68.サルーン
豪華な馬車の車内は広く、夫妻とわたし、エマとポールが一緒に乗ってもまだ余裕があった。
車内ではこれまでの経緯――とはいえ、エマやルネがどうこうということは伏せて、プルーが暴走してしまって遭難したということ、プルーの様子がおかしかったことなどを伝えた。
わたしはクレッシェ語を話せるが、ダリウスもリロイ王国で使用している大陸共通語を話せるので、会話には困らないのが有難い。
「確かに、プルーの色の変化は気になっていた。長く海にいるが、あんな死に方は見たことない」
「私もだ。出航前に気になる点はなかったのか?」
「いや、何も報告は受けていない。実際、暴走するまで誰も異変に気付かなかった」
「そうか……」
ダリウスとポールは難しい顔をして話し込んでいる。
ポールはクレッシェとの貿易でモロー侯爵やレオンを乗せて来たことがあるようで、ダリウスとも顔見知りだった。
そして海の男二人にとって、プルーの様子はよほど気になるものだったようだ。
「ポール、あのプルーを調べても構わないか?」
「そりゃあ構わないが……何を調べるんだ?」
「腹の中だよ。何か変なものでも食べたのかもしれない。海中で偶然食べたのなら、今後の航海では注意しなくてはならないからね」
「なるほど。今回はたまたまここまで辿り着けたが、海のど真ん中で動けなくなったら困るな」
「そういうことだ。ジュリエット、そういう訳であのプルーはこちらで引き取ろう。代わりのプルーを用意するよ」
「いいのかしら……」
死体のプルーと生きているプルーでは価値が違いすぎると思うのだが、今後の危険を回避する投資だと思えば安いものなのかもしれない。
「もちろんだ。二、三日で用意出来ると思うから、それまではゆっくりしていてくれ」
「ダリウスがそう言うなら。分かったわ、お世話になります」
ぺこりと頭を下げて感謝を伝えた。
侯爵夫妻の屋敷は、別荘とはいえ立派なものだった。
大規模なパーティーが開かれることもあるらしく、わたし達程度の客人には慣れっこらしい。素晴らしい。
船員達は思いっきり庶民なので、ボネ家とは格が違う貴族様のお屋敷にびびりまくっていた。
しかし、当の侯爵夫妻が大変気さくであること、使用人たちもにこにこと迎え入れてくれたこと、そしてさすがダリウスなのだが船員たちにちょっとした力仕事を与えてくれたことで、彼らも気持ちが楽になったようだ。
確かに、ただでお世話になるよりは、少しでも対価を返した方が気が楽になる。
わたしに求められた対価は、妊婦であるラミア夫人の話し相手だった。
着いて早々、早速お部屋にお呼ばれした。
『それで? どうしてこんなことになってしまったのかしら』
『とても言いにくいのだけれど……発端としては、わたしの侍女教育不足かしら』
クレッシェ語での会話なのに、傍に控えていたエマが微かに反応した。もちろん、ここで口を挟んでくるような彼女ではない。
『そうなの? どんな関係があるのかさっぱり分からないわ』
『領地でね、せっかくだから船に乗ってみたいと我儘を言ったの。その時、わたしの侍女がエマを海に落としたの』
『なんですって!?』
クレッシェ人らしく、感情豊かなラミアが驚愕の声を出して目を見開いた。
『エマは!? ここにいるってことは無事ね? 大丈夫だったのね?』
『ラミア、落ち着いて。お腹の赤ちゃんが驚いてしまうわよ』
『……そうね、落ち着くわ』
そう言うとラミアはふうっと大きく息を吐いて、ソファーに深く腰掛けた。
妊婦さんを興奮させるのはまずいのだが、元々興奮しやすいラミアだから難しい。
『エマは見ての通り無事よ。こちらにいるダミアン・ロペスが助けてくれたの。彼は近衛第四隊の副隊長で、プーゲを二度も討伐した実力の持ち主なのよ』
『まあ! そうだったのね』
自分の名前が出てきたのが分かったのだろう、わたし達の視線にダミアンが膝をついて礼をとった。
「ダミアン。……ありがとう、エマ、助けてくれて」
ラミアが片言の大陸共通語で言うと、ダミアンは「勿体ないお言葉です」と深く頭を下げた。エマも頭を下げている。なんだか微笑ましい光景だ。
『それで、わたしが驚いて声をあげてしまったせいで、プルーが暴走したのよ』
『それは仕方がないわ。誰だって大声をあげてしまうわよ。わたしなら叫んでいたわ』
『落ちたエマより取り乱してしまって恥ずかしい限りよ……でも、船長のポールが言うには普通ならあれくらいの声で暴走はしないみたいなの。死んだときの色といい、不審な点が多いからダリウスが調べてくれるみたいね』
『そうだったのね。ダリウスが調べるなら大丈夫よ、どんな些細なことも見逃さないわ』
夫への信頼感が頼もしい。相変わらず仲が良さそうで安心する。
『そうよね。任せておけば安心よね』
『だから、ジュリエットはわたしに付き合って頂戴ね?』
『付き合う?』
『ええ。本当はアルケミストの領都を案内したかったけれど、このサルーンもとてもいい街なの。一緒に回りましょう』
『まあ。でも身体は大丈夫なの? ダリウスに止められないかしら』
『今はもう大丈夫よ、少しは歩かないと逆に気持ちが悪いわ』
いわゆる安定期と呼ばれる時期なのだろうか。
だが、現代日本でも出産は命がけのものである。この世界ではもっと致死率も高いだろうと考えると心配になってしまう。
言い出したら聞かないラミアだから、きっとわたし達は出かけることになっているだろうけれど。
そしてその予想通り、翌日のわたし達はサルーンの中心街に居た。
サルーンはアルケミスト領の端だが、リロイ王国との貿易の中心地でもあるので、第二の領都と呼ばれる賑やかさだそうだ。
港を取り巻くように街が作られていったのが分かる、半円状の街並みである。
新鮮な魚介類が取引されている市場のような一角があったり、看板にカニやエビの絵があるレストランがあったりするのが、港の街ならではという感じでワクワクする。
と同時に、わたしがまだジュリエットでしかなかった時に、このクレッシェではカニやエビといった甲殻類を食べるのが普通だが、リロイ王国では考えられないことだったのを思い出す。
アルケミスト夫妻に聞いた時、そして持ち込まれた時には、ジュリエットを始めとするリロイ王国民はドン引きしていたのである。
(でも、実際食べたらおいしかったのよねえ……。それ以来、ボネやモローでは食べられているけれど、王都ではまだ見ないわね)
思い出すと食べたくなるのが常である。しかもそこにあるのだ、食べない選択肢はない。
『ねえ、ラミア。わたし、エビかカニが食べたいわ』
『うふふ、もちろんよ。わたしのレストランを予約しておいたわ』
『わたしのレストラン?』
『ええ。最近はお店を経営するのが我が国の貴族女性のたしなみのようなものなの。領地によってどんなお店なのかは変わるけれど、わたしは魚介のレストランね。こうやってお客様をもてなすのにも役立つし、領民の雇用も生まれるし、もちろん領民達の憩いの場としても使えるし、いいことづくめなの』
ラミアの言葉は、リロイ王国では考えられないものだ。だが友梨亜の常識にはピンポイントで嵌ってしまう。
(それ、わたしにも出来そうじゃない? ジョーくんがいたら相談するのに!!)
『素敵ね! 楽しみだわ、ラミアのレストランだなんて』
『お店にもメニューにもこだわったのよ。ジュリエットに来てもらえるなんて最高だわ』
気が逸るばかりのわたしは、少し早めのランチにすることにしてラミアのレストランへ向かった。
そこは街中でも大きめのレストランで、だが格式張っている訳でもなくカジュアルで入りやすい雰囲気だった。一階はオープンテラス式になっているせいだろう。奥にはキッチンが見える。
まだ客の数は少ないが、テラスに置かれたベンチとテーブルには何人かの客がいた。
漁師のような逞しい男性が一人で食べていることもあれば、女性同士で賑やかにお喋りをしながら食べている姿、そして子ども連れのファミリーまでいる。これもまた、リロイ王国では考えられない光景である。
日本を思い起こさせる光景に懐かしさを感じながら、二階に案内されていく。階段は広く緩やかで、これも色々な配慮を感じた。
二階は個室が並んでいて、いわゆるお金持ち向けのスペースだそうだ。
わたし達はその一室、一番広くて見晴らしがいいという部屋に案内された。
二階建ての建物がそもそも少ない世界である。広がる景色は一面の海で、大変美しかった。
そしてその景色を邪魔しないように、インテリアは白くシンプルにまとめられていた。
ゴージャスな部屋ばかり見慣れていたジュリエットにはとても新鮮だっただろうが、友梨亜にしても洗練されたオシャレさを感じた。
『素敵ね! 素晴らしいお部屋だわ』
『ありがとう。ジュリエットならそう言ってくれると思っていたわ』
『景色がとってもよく見える。……ああ、プルーが引き上げられているわ』
岸の方ではガタイの良い男達がロープを引っ張っているのが見えた。その近くに佇んでいる体格差のある二人がおそらくダリウスとポールだろう。
『あら、本当ね。今日は身体の中を調べてみるって言っていたものね』
『それにしても、本当に綺麗。この景色だけでも、このお店へ行きたくなるわね』
高いところから俯瞰して見る景色というのは、どうしてこんなにも心を動かされるのだろうか。
物凄い天守閣を作った昔のお殿様の気持ちも、大きなタワーに展望台を付けたくなる気持ちも、今ならちょっと理解できる。
『まあ。貴女と同じことを言って、よく来てくださる方がいるのよ。今日も予約が入っているから、後で紹介するわね』
『そうなの? それは気が合いそうな方だわ』
景色を楽しむ余裕がある人は、この世界ではまだ少ない。自然が圧倒的な存在であり、かつ身近すぎるからかもしれない。
だがこの景色には、心を動かす何かがある。
それはここだけではない、どこにでもあるはずだ。
誰と、どのように見るかが違うだけである。
自分の店だと胸を張るラミアは輝いて見えた。
そしてそれは、リロイ王国でのクロエや、サラ様など自分に誇りを持って仕事をしていた女性達と通ずるものがある。
(わたしも、もっと頑張りたい)
何が出来るかは分からないが、周りのために出来ることを始めていきたい。
これからはもっと、ジュリエットの周りを大事にしていきたいのだ。




