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66.自覚



操作室を出て、広い甲板の方に向かった。

外は晴れ、波も穏やかである。相変わらず海面はキラキラと輝いていた。


だが、船首の方を見れば馬鹿でかいタコがうねうね動きながら船を引っ張っている。

確かにわたしが今まで見てきたプルーよりは元気がない。うねうねしている動きが本当はもっとダイナミックなのだ。これでは気持ち悪さが半減している。


「ジュリエット様、あまり近づかない方が」

「ええ。ここから見るだけにしておくわ。でも、本当にちょっと様子がおかしいわね。元気がない気がする」

「私には分かりませんが、ポールさんも言っておられましたね」


じっと目を凝らしてプルーを見つめる。気を抜けば気持ち悪い動きを注視してしまいそうになるが、ぐっと堪えて俯瞰するように見つめた。


すると、八本ある足のうち、一つだけがほとんど動いていないことに気付いた。足の先が海からほとんで出てこないのだ。

怪我でもしているのだろうか。出港前には必ずチェックしているはずなのに、やっぱりおかしい。


「アンリ」

「はっ」

「ダミアンから聞いたのだけど、ルネの不審な動きを見たんですって?」

「……はい。視界に入っていただけですが、デュポワ男爵令嬢とルナール子爵令嬢の距離が近すぎて危ないなと。その後、飛びのくようにルナール子爵令嬢が降りていたので気になりました」

「そう……。アンリもルネに何かされていたのかしら」

「いえ、私は……」


プルーを見つめていた瞳をアンリに向ける。どんな表情をしているのか自分には分からないが、アンリは目が合うとハッと息をのんで一瞬だけ視線を伏せた。


「私は、直接的な被害はありません。多少嫌味を言われたくらいでしょうか」

「……ということは、他に直接的な被害を受けている誰かがいるのね」

「デュポワ男爵令嬢のことは存じませんでしたが、マノン……メルシエ子爵令嬢は時折、私物がなくなったり、配給物を受け取れなかったりしたことがあるようです」

「マノンまで……確かマノンとルネは同級生だったわね」


そしてマノンもルネも同じ子爵家だ。

マノンのメルシエ家は、ジョルジュ殿下の二番目の姉君が嫁いだフォルティエ公爵家に隣接する子爵家である。


裕福な家だがお子さんが多く、確か八人兄弟のはずだ。マノンは4番目の子であり、次女。

それだけいれば進路も好きにすればいいとなったらしく、元々剣が好きだったこともあり騎士の道を選んだという。

見た目はふわふわな女子なのに、とてつもなく強くてカッコいいのである。


「聞けば学生時代から何かと絡まれていたようで……ジュリエット様に進言すべきと何度か伝えたのですが、もう慣れっこだからと取り合わず」

「そうなの……」


鏡を見ても友梨亜の顔にしか見えないので忘れそうになってしまうが、ジュリエットの見た目は儚げな美少女なのである。

何たって花の妖精、百合の聖女というくっそ恥ずかしい二つ名がつくほどだ。


そんな儚げな美少女に事実を伝え、ごめんなさいと泣かれでもしてしまったら、こちらの方が申し訳ない気持ちになってしまうことだろう。

相談なんかできないのも仕方がないのかもしれない。主としては情けないけれど。


「少し考えれば、私達だけでなく侍女の方にも被害に遭っている方がいることは想像できたはずなのに、すぐに報告せず申し訳ありません」

「そうね。次からはどんな些細なことでも、わたしか、せめて隊長には報告して欲しいわ」

「はっ。必ず」

「……でも、本当は言われなくてもわたしが気付くべきだったのよね」


視線を海へと戻す。

キラキラ輝く海面はとてもきれいで、先ほどよりクレッシェのシルエットが大きくなっていた。


きっと、誰が聞いても、わたしがジュリエットとして目覚めてからのあれこれは怒涛のように、それこそ台風にでも巻き込まれたかのようにぐちゃぐちゃに過ぎていったことだと思うだろう。


異世界で目覚めて、何故か推しがいて、婚約者になって、恋心を自覚して、他にも転生者を見つけたかと思えば、訳の分からない天界に呼ばれ、世界の終わりを告げられて。

思い返しても意味が分からない。


でも、ここにいるわたしは、ジュリエット・ボネなのだ。

宮崎友梨亜だったことを忘れることはないけれど、この先、ここで生きていくならば、わたしがジュリエットとして生きていくことに覚悟を決めなくてはならない。

友梨亜という逃げ道は、たやすく使うべきものじゃないのだ。


「ジュリエット様……」

「ふふ、大丈夫よ。まだまだお子様だったのだなあって反省しているの」

「そんなことはありません。ジュリエット様は大変大人びておられるので、殿下も王妃陛下も、隊長やわたし達も……きっとご家族や領民の皆様も、甘やかしたくて仕方がないくらいなのです」


そうなのだ。わたしの周りは、わたしを甘えさせたい人達ばかりである。


(その筆頭は、やっぱりジョーくんだったかなあ)


あの人は、もうジョルジュ・リロイとして生きる覚悟を決めている。それこそ、わたしと出会った頃にはきっともう、とっくに。

わたしなんかより重責のある立場なのに、それを受け入れ、前を向いて生きている。

その重責にわたしを巻き込んだという自覚があるからこそ、あんなにわたしを甘やかしてくれるのだろう。


(レオンも、リュカも。そしてテオもきっと、もう覚悟が決まってるんだよね……)


わたしは、いつも抱えていた。

“次に目が覚めたら、友梨亜の部屋に戻っているかもしれない”

“ジョーくんがわたしを選んでくれたのは、たまたま日本人同士だったからだ”

“わたしなんかジョーくんにふさわしくない”

“みんなが優しくしてくれるのはジュリエットの見た目のおかげだ”

“わたしは何も持ってない”


そんなふうにわたしを貶めていたのは、わたし自身だったのである。

友梨亜はジュリエットを受け入れてなんかなかったのだ。


だからこそ、ジュリエットの周りに何が起こっても、心のどこかで無意識に他人事だと線引きしていたのかもしれない。


漣さんが、わたしはジョーくんへの思いが強すぎると言っていた。

それは裏を返せば、この世界でわたしが心から想っていたひとはジョーくんしかいなかったということである。


わたしの周りにはこんなにも、わたしを想ってくれる人達で溢れていたというのに。


(中身が二十八だからって、わたしはもう大人だと奢っていたのかもしれない。何にも分かってないのに)


自覚した時こそスタートラインだ。

ゴールがどこになるかは分からないけれど、前を向いて足を動かさなければ。

信じることは怖いけれど、大切にしたいなら信じることから始めなければ。


まずは、わたしがわたしを信じるのだ。グッと拳を握りしめた。




「お嬢様、向こうから信号が来たぞ!」


いつの間にか甲板に出ていたポールが声を上げた。

クレッシェの方に視線を向けると、煙が上がっているのが見える。同時に、チカチカと何かが光っていた。


「とりあえず遭難信号は受信してくれたみたいだ。プルーの動きがかなり弱まってるから、浜まではもたないかもしれないが、その時は向こうから救助ボートを出してくれるだろう」

「……よかった」


何とかなりそうな空気にホッとする。

まだまだ気は抜けないが、とりあえず海に漂う状況は免れたようで一安心である。


それから、プルーは見るからに弱っていった。スピードも徐々に落ちていく。


そして遂に、プルーはその動きを止めた。身体はぷかぷかと海面に浮かんだままだ。

一番近い浜に向かっていた船は、あと少しというところで停まってしまった。


「おめぇら、櫂を持て! あと少しだ、浜まで辿り着くぞ!」


ポールの声が響くや否や、船員たちが櫂を持って駆け出した。そして「せーの!」という声とともに櫂を動かす。

プルーと比べるべくもなくゆっくりとだが、船は少しずつ浜へ近づいて行った。


「停まれぇ!」


まだ岸とは少し距離があるところでポールが動きを止めさせた。


「かなり浅瀬のようだから、ここで碇をおろすぞ。残りはボートで行く。お嬢様、こっちだ」


船員たちは慌ただしく動いている。船尾の方には小さなボートが用意されていた。十人ほどは乗れる大きさだ。


「まずはお嬢様達が行くんだ。船員は二人つけるが、そいつらは漕ぎ手だからまた戻る。俺は最後に降りるから、それまでは頼んだ」

「分かったわ」


向こう岸には、既に人が集まっていた。野次馬なのか、信号を見て駆けつけてきてくれたのかは分からない。


わたしはエマやアンリ、ダミアンと一緒に手荷物だけを持ち、ボートに乗り込んだ。

先ほどの船とは比較にならないくらい揺れるが、波は穏やかなので漕いで渡るのに支障はなさそうだ。


船員の二人が力いっぱい漕いでくれて、体感としてはすぐに岸に着いた。人々は遠巻きに眺めているだけだ。


ダミアンが降り立ち、周りを確認した上でわたしに手を差し出してくれた。エマとアンリも同様に降り立つ。


「ありがとう。気を付けて戻ってね」

「お安い御用だ、お嬢様! 無事にリロイへ帰ろうぜ」


余裕そうに笑う船員がボートを漕いで船に戻っていくのを見送り、わたしはスッと姿勢を正した。


ここからはわたしの出番である。


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