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63.ボネ領



翌日、ゆっくりと朝食を頂いたあと、わたし達はデュポワ領を後にした。


昨夜は随分盛り上がったのか、男爵とダミアンもかなり親しくなったようだ。わたしだけでなく、ダミアンにもまた来るようにと言葉を掛けていた。


「ふふ、おじ様はよほどダミアン副隊長のお話がお気に召したのね」


プーゲの討伐、しかも二度も討伐したとあれば、男性にとってはヒーローのような存在なのかもしれない。そんなヒーローの話を直に聞けるなんて、さぞ感激したことだろう。

つくづく、こんな人がわたしなんかの護衛をしていていいのだろうかと思ってしまう。


わたしの呟きに夫人がにこにこしながら答える。


「そうなのですよ。昨日は本当に楽しそうでしたわ。ジュリエット様、このような機会を下さったことを改めて感謝申し上げます」

「おば様はエマとゆっくり過ごせたかしら?」

「ええ、ええ。それにジュリエット様とも久しぶりにゆっくりお話が出来て楽しゅうございましたわ」


にこっと笑う夫人の優しい笑顔はエマによく似ている。


「わたしもよ。お元気でいらしてね、おば様」

「はい。次はご結婚の際ですわね。ジュリエット様の美しい姿を楽しみにしておりますわ」


その言葉にははにかむように微笑んでおいた。

現在マリッジブルーの真っ最中です、なんて言えやしない。言ったところでその言葉は伝わりもしないだろうが。



一晩休んでいつも通りの元気を取り戻したシュヴァールの馬車に乗り込み、手を振って男爵家の見送りに応えた。

夫妻の笑顔はどんどん遠く小さくなっていくが、手の動きはその姿が見えなくなるまで続いていた。


「エマ、ご両親とはゆっくり過ごせたかしら?」


男爵家が見えなくなった窓から視線を外しながら聞く。エマを見ると、何故かほんの少し顔が赤くなっていた。家族との別れが辛くなってしまったのだろうか。


「はい。ありがとうございました」


二人きりならば色々聞き出したいところだが、ルネもいるし外にはダミアンとアンリもいる。ボネ家に着いてからにしようかと、何も気付かなかったふりをして微笑みながら頷いた。


「それなら良かったわ」


その後は特に会話もせず、景色を見つめていた。


あまり通らない道の景色から、ボネ領に入るとどこか見慣れた景色になっていく。そんな変化も楽しいものである。

ぼーっと何も考えずにいられる状況がありがたく、ささくれていた心が少しずつ丸くなっていくような気がした。



翌日の午後、ボネ領の領都にある屋敷に到着した。

両親とサラ様、それに執事のセバスや他の使用人達も出迎えてくれた。みんなの優しい笑顔を見るだけで、何だか泣きそうになってしまった。


ダミアンの手を借りて降り立った瞬間、母に向かって駆け寄る。母はにこにこ微笑みながら受け止めてくれた。


「あらあら。お帰りなさい、ジュリエット」

「お母様……」

「うふふ、そんな顔しないの。さ、お父様とサラにもご挨拶なさいな」


何も聞かずに頭を撫でてくれる母に促され、父の方を向いた。


「ただいま戻りました、お父様」

「ジュリエット! よくぞ戻った!」


相変わらずわたしに甘い父も、何も聞かずに抱きしめてくれる。ぎゅーっとしてくるその力も、今はただ愛おしい。


「サラお義姉様、ご機嫌麗しゅう。しばらくよろしくお願いいたします」

「お久しぶりね、ジュリエット。なかなか会えなくなってしまったから寂しかったのよ。貴女に着せたい服もあるの」


温かい歓迎を受け、涙がこぼれそうになるのを必死で我慢する。

これくらいで泣きそうになるなんて、わたしのマリッジブルーは相当重症だったようだ。




気兼ねなく過ごせるというのは素晴らしい。

気心知れた存在ばかりの上、みんなある程度の理由を察しているのかとても優しく甘やかしてくれるのだ。


領地を歩けば「お帰りなさい」と声を掛けられ、「結婚の前祝いだ」と野菜や果物などを手渡される。

子ども達は手を振ってくれたり摘んだ花をくれたり、癒ししかない。

街では大好きなベイカーさんのフィナンシェを大人買いしたし、大きすぎる鯛のようなポワッソ料理もしっかり食べた。

母が以前くれた練り香水や、王妃様愛用のぴっかぴかになるクリームの廉価版を扱った化粧品店もできていたので、エマやルネにはプレゼント、そして留守番組のナタリーやオデットにもお土産として買っておく。


両親もサラ様も、殿下のことも結婚式のことも、ほとんど口にしなかった。

ただ笑顔で、気ままに過ごすわたしの話を聞いてくれて、出来る限りの時間を共に過ごしてくれた。


気さくで優しい人々に囲まれた領地で過ごす日が経つにつれ、わたしは自分が元気になっていくのを、身をもって感じていた。




「明日は、海の方へ行こうと思うの」


今日も街の人々と交流を深めて満足したわたしは、帰りの馬車の中でルネに言う。


ちなみに今日は普通の馬が引く馬車だ。王都から頑張ってきたシュヴァールはボネ家のシュヴァールと一緒に仲良くのんびりしていることだろう。


「海というと、殿下と行かれたところですか?」

「いいえ。あの浜辺ではなくて、港があるところよ。漁船がたくさんあるところ。ルネはプルーを見たことがあるかしら? 足が八本あって、うねうねしている青い生き物」

「いえ、見たことはありません。話は聞いたことがあります。……その、かなり奇妙で気持ち悪いとか」

「うふふ、そうね。最初に見たときは気持ち悪いかも。でもプルーはとても賢くて、船から落ちた人間がいるとその足で助けてくれるのよ」


吸盤付きの脚でぐるぐる巻きにしながらだけど、とは言わないでおいた。

ただでさえ眉間の皺が隠しきれていないルネがどんな顔をするか分からなかったからだ。王都周辺、都会育ちの人間から見れば気持ち悪いだろう。


「明日はプルーの船に乗せてもらうつもりだし、気持ち悪かったら休んでいていいわ。エマとダミアン達がいれば事足りるでしょうし」

「……いえ、ご一緒いたします」

「そう? 無理はしないでね」


わたしもプルー、つまり超でっかい青タコが引く船にはまだ乗ったことがない。

それまでは人力のボートが主だったし、今でもそうだ。


ただ、ジュリエットの曾祖父がプルーを飼い慣らすことに成功し、プルーが引く船でさらに遠くへ行くことができるようになった。


元々、海を挟んだ隣国クレッシェの土地はよく晴れた日にはかすかに目視できたのだが、潮の流れの複雑さもあって人力で渡ることは叶わなかったのだが、プルーが引けば潮の流れなどまったく関係なかった。わずか半日程度で渡ることに成功した。

そして祖父の代から、隣のモロー領と協力しつつクレッシェとの貿易と友好関係が始まったのである。


プルーは今や、貿易だけでなく漁にも使われている。

大きさによってスピードが違うので、小さめの個体を漁に使用しているのだ。

ボネ領の子どもたちはプルーを見慣れているせいで恐怖心はもはや感じない。みんな、プルーの船に乗りたがるのである。


(けど、わたしがここに居たときは身体が弱いせいで乗せてもらえなかったのよね……)


ジュリエットが幼い頃、テオやレオンが乗っているのを羨ましく見ていたことは今も思い出せる。


今回は幼い頃の願いを叶えるチャンスなのである。

わたしは大変張り切っていた。


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