61.主
結局、オデットとルネが交代することになったらしい。
出立前日のその日、オデットはいつもの無表情で仕事にやってきた。その表情からは何の感情も読み取れない。
「オデット……大丈夫? 急なことでごめんなさいね」
「いえ。わたくしは大丈夫ですのでお気になさらず」
返ってきた言葉がどこか暗く感じる。
ルネが無理強いしたのではないかともやもやするが、オデットが受け入れたのであれば今更わたしがどうこう言っても仕方がない。
「そう。じゃあ、留守をよろしくね」
「はい。……お気をつけていってらっしゃいませ」
「ありがとう」
この時のわたしにもう少し周りを見る余裕があったなら、オデットが何か言いたそうにしていた雰囲気に気付いただろうか。
だが、気が弱くなって両親の元へ逃げようとしていたわたしは、自分のことでいっぱいだったのである。
翌日早朝。
シュヴァールが引くのは、比較的地味な馬車だった。
御者席にはダミアンとアンリ、荷馬車の御者席にはマチアスとセルジュ。そして馬車の中にはわたしとエマ、そしてルネである。
旅用の軽装に身を包んだわたし達は、ナタリーとマクシムなど留守組に見送られてひっそりと王都を出発した。
ここから二日掛けてエマの実家であるデュポワ領へ向かう。
デュポワ領は、我がボネ領からはレオンのモロー領を挟んで山の向こう側にある。
いつもはモロー領の海側の道を通って王都へ行くのだが、今回は山の方へ向かい、ぐるりと山を避けて行く道だ。その途中にデュポワ領がある。
ちなみにマクシム隊長の実家であるジラール領も通る道だ。
旅は順調に進み、当然ながらプーゲに出会うこともなく、デュポワ領に着いた。
エマのご両親であるデュポワ男爵夫妻が、にこにこの笑顔で出迎えてくれた。
男爵は相変わらず人好きのする、こちらまで笑顔にしてくれる顔だ。
夫人はエマと同じく金髪美女だが、瞳の色が緑なのでエマとは少し雰囲気が違う。
「デュポワ男爵、夫人、お久しゅうございます。今日はお世話になりますわ」
「ようこそ、ジュリエット様。いやいや随分と大きくなられて、お美しくなられましたなあ。お元気そうで何よりです」
「ほんとうに。このようなところまでお越しいただいてありがとうございます。お久しゅうございますわ」
「おじ様もおば様もお元気そうで良かった。もっとお会いしたかったのだけど……その代わり、今夜はエマとゆっくり過ごして頂戴ね」
久しぶりの実家だというのに、エマはいつも通りにこやかな笑みを浮かべているだけだ。
仕事中だからという意識は素晴らしいけれど、せめて今日くらいは、滅多に会えないご両親との時間を大事にしてほしい。
「ありがとうございます。ささ、狭いところですがどうぞこちらへ」
デュポワ領は山に囲まれているため、とてものどかでこじんまりしたところだ。村という方が友梨亜にはしっくりくる。
住人はほぼ顔見知り、だからこそ治安は守られているが、住んでいる者にとっては――特に若者にとっては少し息苦しくもあるだろう。友梨亜の母方の実家もそんなところだったなと思い出す。
案内されたのは、この館唯一の客室だ。
広くはないが、わたしにとっては狭くも感じない。友梨亜の部屋よりは広いのだから当然だ。
部屋にはわたしとアンリがいる。
エマとルネは忙しく荷物を運びこんでいるし、ダミアンや他の護衛達は館の周りを確認しに行ってしまった。
ソファーに座るわたしを守るようにアンリはピシッと立っている。
いつも通りポニーテール姿で、いつもの近衛服ではなく白いシャツに黒パンツというシンプルな格好だが、腰に差した細剣がカッコいいし、立ち姿が凛としていて素敵である。
アンリはルフェーブル男爵家の長女である。
三姉妹だが妹二人はアンリとは年が離れているようで、妹さん達の学費のために騎士として出仕しているらしい。
テオの同級生だから二十三歳。
貴族女性としては、大っ嫌いな言い方だけれど行き遅れと呼ばれる。
こんなに美人でカッコいいのに、婿取りはもう諦めて実家は妹さんに任せるという。
騎士の仕事が性に合うというのだから、アンリにとってもその方が幸せなのだろう。
(だけど! 未婚だからといって馬鹿にされるのは許せない!)
女子憧れの女性騎士としてそこそこ有名なアンリだが、中には、未婚だからといって“男性に相手にされないのは女性として下の存在”だと公然と見下すような発言をする女子がいるのである。
しかもそれが、わたしの侍女の中に居ると知った衝撃といったらない。
(返す返すも、現行犯で注意できなかったのが悔やまれるわ……)
つい先ほどのことだ。
わたしがお手洗いに行っていた、その外でアンリは不自然にならないように待ってくれていた。
そこにルネが通りかかったらしく、アンリに向かって「あら、女性のお手洗いを覗く不届き者かと思ってしまいましたわ」などと失礼発言をぶっ放したのである。
アンリが何も返事をせずにいたのが悔しかったのか何なのか、さらに「そのような格好ばかりしているから立ち振る舞いまで男性のようね。少し離れているだけでも判別がつきませんでしたわ」などと畳みかけていた。
すぐにでも出て行きたかったのに、お手洗い中、そしてドレス姿という障害がわたしを阻んだ。
その中でも最速で出てきたのだが、アンリはいつもと変わらぬ表情のまま立っていて、わたしと目が合うとにこやかに笑ってくれた。それだけで、さっきのアレが日常茶飯事なのだと分かってしまう。
アンリは貴族とはいえ男爵家。しかも王都から離れた砂漠に近い貧しい男爵家だ。
女性騎士としては名高いが、家格としては下の方になってしまうから言い返すことも出来ないのだろう。
ルネは子爵家の人間だから尚更だ。
(ルネはわたしには愛想が良いけど、相手の立場によって態度を変えるせいなのね……。わたしの周りだとアンリ以外にも平民出身のアルノーとか、オデットとダミアンも男爵家出身だわ。マクシム隊長も次期男爵だけれど、まさか隊長やダミアンにはあんな口は聞かないわよねえ)
はあっとため息がこぼれる。
ルネはよく気が付くし仕事はちゃんとできると思っていた。口が軽くておしゃべりで、ちょっと我儘で感情を出しやすいという欠点はあるが、教育途中だと思えば目を瞑れるレベルである。
(だけど……陰であんな発言してるのを知っちゃったら、このまま“次期王妃の侍女”として扱うのはマズイでしょう。しかも殿下達が女性の社会進出を掲げた政策を提言しようとしてるっていうのに)
しかもここはある意味閉鎖空間となっている王城ではなく、見知らぬ人間が多く働いているエマの実家である。
誰が聞いているとも分からない場所での不適切発言は、ここで働いている人間に聞かれたところで痛くも痒くもないという傲慢ささえも感じてしまう。
(ああ、エマ! エマも何か言われたりしているのかしら。何かあればちゃんと言ってとは伝えてあるけれど……ちゃんと注意して見ておかないと)
マリッジブルーのような無気力さを感じて領地に逃げ帰っているはずなのに、そこへのしかかる問題が重すぎて嫌になる。何にも考えたくなくて逃げているのに。
「ジュリエット様、失礼いたします」
「どうぞ」
ダミアンの声に入室を許可すると、アンリと同じように軽装のダミアンが入って来た。
「周辺は問題ありませんでした」
「そう、ありがとう」
「アンリと交代いたします」
「お願いね」
部屋がいつもより狭いため、夜はアンリが中で護衛を続けてくれることになっている。
正直、夜通しの護衛など必要ない長閑さなのだが、彼らの仕事を否定してはいけないだろう。
アンリが出て行き、ダミアンと二人きりになった。
「あ、そうだわ。ダミアン副隊長」
「はっ」
「オデットは急な予定変更となってしまって申し訳ないわ。兄妹でゆっくり話す機会も出来たかもしれないのに」
「……いえ、そのような」
「同じ職場だとお休みが一緒になることも少ないでしょうし、歳が離れているからあまり同じ時間を過ごすこともなかったでしょう? せっかくの機会だったのに」
ジュリエットの顔でそう言いつつも、頭に浮かんでいたのは友梨亜の弟である勇吾だった。
歳が離れていたせいで、勇吾が小さかったときはよく面倒を見ていたけれど、成長するにつれてお互いの環境が変わりすぎて疎遠になってしまった。ようやくお互いが大人になり、最近は良い距離間で仲良くなれていたのだが。
(勇吾も何かに巻き込まれてどこかの世界へ行ってしまったのかなあ……)
少し意識を飛ばしていたせいか、ダミアンが言葉を発したのに気付くのが遅れてしまった。
「……ジュリエット様も妹の立場でいらっしゃいますが、その、大きくなっても、というか婚約者ができるような歳になっても、兄とは定期的に会いたいと思うものでしょうか」
「え?」
何を当然のことを言っているのかというニュアンスを込めて首を傾げる。
いつもにこやかなダミアンは笑顔の奥で考えていることを微塵にも出さないタイプなのだが、今は少しの不安が滲み出ていた。
そんなわたしの視線に気付いたダミアンが、今度は照れくさそうに頭を掻く。
「いやー、まだセリーヌ……前の妻が生きていた頃は、セリーヌがオデットを可愛がっていたこともあって会う機会は多かったのですが、一人になってしまうと誘いづらくて。貴重な休日を兄に使わせてもいいものかと」
「まあ! 休日すべてを使う訳でもないのに、何を遠慮しているのかしら。重ね重ね残念だわ、今ここにオデットが居ればそんなことも腹を割って話せたのに」
(まったく、ルネは余計なことしかしないわね……って、こんな風に考えるのはダメだわ。完全に色眼鏡がかかってしまう)
「いえいえ、今のお言葉で勇気を頂きました。帰ったら一緒に実家へ帰ろうと誘ってみます」
「いいわね! 休みを合わせるのに協力が必要なら、何でも協力するわよ」
「はははっ、器の大きな主で我らは幸せですね」
にこやかな、ではなく楽しそうな笑顔を初めて見せてくれたダミアン。
本当に主と認められたようで、ちょっと嬉しい。
これからもいい主人でいたいと思う気持ちを強くしたわたしは、単純なのである。




