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59.ブルー



当然ながら、ジュリエットの結婚式は王家の結婚式でもあるので、それはもう盛大である。


周辺諸国からも王族皇族レベルの来賓が来るので、招いた国々の言葉はある程度話せなくてはならない。

わたしの苦手な北国の言葉ももちろんである。


「そこの発音はッヒヴィです。下唇を噛むように」

「……ッヒヴィートリッヒ?」

「そうですね。丁寧な発音を心がけましょう」


北国の言葉だけはどうしても苦手意識が先行してしまう。

日本語とも英語とも共通点が少なく、単語も長くて言いにくいし覚えにくい。


ジュリエットも身体が弱かったせいで学習は遅れ気味だったし、友梨亜も別に驚くほど賢かった訳でもないから、ここにきての新言語習得にはかなり手こずっている。

こういうところにこそ、チート的な能力が欲しかった。



モーリ先生とも長い付き合いになってきたし、先生方が皆ジュリエットを可愛がってくれているのは分かる。

が、期待に応えられているかどうかは別問題だ。


結婚式の日取りも決まったのに、このままのペースで良いのだろうか心配になってしまう。

周りが誰も何も言ってこないから余計に。


明らかにダメダメなのに何も言われないというのは、精神的にクるものがある。

もう諦められてしまったのかなとか。ジョーくんができる子だからわたしはそんなに期待されてないのかなとか。


(あー、ダメだなあ。ネガティブ寄りになってきてる)


今日は久しぶりにジョーくんに会えたけれど、最後に二人きりで会ったのはいつだっただろうか。

お互いに公務や学習の時間が詰め込まれ、ゆっくりとお茶をする暇もない。


クロエにさえ会う時間もなく、クロエはもう嫁入り準備のためにリュカの領地へ行ってしまった。

スマホがないこの世界では突発的に時間が空いたとて、すぐに誰かと会う約束はできないから仕方がないのだけれど。




それからも忙しい日々は続いていった。

先生方のレッスンに、孤児院や修道院への慰問と炊き出し。

常に誰かに見られているものと心掛けながら、いつもニコニコ笑顔で、姿勢良く感じ良く。


(日本での皇族と同じようなもんよね。あの方々も大変だったんだろうなあ……)


わたしは未だ、王太子妃(仮)の扱いだから、せいぜい王都周辺での活動が主である。だが(仮)が取れると、一気に活動範囲が広がっていく予定だ。


例えばジョルジュ殿下の一番目の姉君であるパトリシア様が嫁がれた隣国ザハロへもご挨拶へ伺う予定になっている。

そのため、ザハロの言葉や歴史、主要人物、習慣などはかなり深いところまで学ぶ。

一国へ行くだけでも準備時間が半端じゃない。外交というのは大変なものなのだと思い知る。


「はあ……」


ため息も重くなるというものだ。

最近はジョーくんを見掛けてすらいない。


先月までは、時折朝食や夕食などを共にできた時間もあったのだが、今月に入ると彼は国内の各領地へ視察に行ってしまった。もちろん、側近候補の彼らを引き連れて。

それはそれは楽しそうな旅立ちだったので、見送るわたしはニマニマしないように必死だったほどだ。


しかし、片やわたしの方は孤独なものだ。

先生方、いつもの護衛と侍女、たまに王妃陛下が声を掛けてくださるが、どうしても一人だという思いは消えない。

ストレートに言うならば、寂しい。


「ジュリエット様、今日はジャスミン茶にしました」


わたしの重いため息には触れずにいてくれるエマが優しい。


「ありがとう。いただくわ」

「それと、サラ様よりベイカーさんの新作フィナンシェが届いております」

「まあ、サラ様から?」


エマが差し出してきた箱には、たくさんのフィナンシェが敷き詰められていた。ほんのり冷たいのはヒョウオで冷やしながら運ばれてきたせいだろうか。


「カリーのフィナンシェ? それにシナモン? まあ、バジルとミントまで。スパイス系のフィナンシェなんて新鮮ね。さすがベイカーさん」

「お好きなものをお選びくださいませ」

「そうね。じゃあカリーとシナモンをいただくわ」

「かしこまりました」


エマが下がっていくと、一人の部屋でまたしてもため息がこぼれた。


頑張るのは嫌いじゃないのだが、今は何のために頑張っているのかよく分からなくなっている。

わたしのため? ジョーくんのため? この国のため?

どれもピンとこないのだ。


(マリッジブルーってやつなのかなあ……。結婚するのは全然実感湧かないけど。ていうかホントにこのまま結婚するのかなあ、いいのかなあジョーくん)


「お待たせいたしました」

「ありがとう」


百合の絵が描かれた二つの小皿に一つずつフィナンシェが乗っている。

一つは少し黄みがかったフィナンシェ、もう一つは濃い目の茶色のフィナンシェである。どちらからもいい香りがする。


「エマ、一緒に食べない? 半分こしましょう」

「……はい、いただきます」


少しの躊躇いを見せたのは、ここが王城だからだろう。王城の使用人達は一緒にテーブルについてくれることなどまずない。


「じゃあ、カリーからね」


二つに割って、片方を目の前に座ったエマに渡す。割ると香りが強くなった。

食べてみると、口の中がカリーになる。でもほんのり甘くておいしい。なるほど、フィナンシェはバターたっぷりだから、カリーとの相性はいいはずだ。


「うん、おいしいわね」

「そうですね。不思議な感じがしますが、おいしいです」

「次はシナモンね。これも絶対おいしいわ」


ジャスミン茶で口の中をリセットして、もう一つのフィナンシェも二つに割った。シナモンも香りが強い。


「あー、香りだけでおいしいって分かる」

「ふふふ、ジュリエット様はシナモンがお好きですよね」

「大好きよ。……あら、木の実が入ってる。おいしいー」


中には細かく砕いたクルミのようなナッツ類が入っていた。香ばしさが増していいアクセントである。


「このおやつがあると思えば、しばらくは頑張れそうだわ。サラ様にお礼の手紙を書かなくちゃ」

「きっとお喜びになられますよ。サラ様もテオ様がいらっしゃらなくて心細いかもしれませんから」

「そうね……うちの両親が放ってはおかないでしょうけどね」

「伯爵様も奥様も、サラ様のことを大変可愛がっておいでですものね」


サラ様もクロエもそれぞれのお相手の領地にいる。もう気軽に会える距離ではなくなってしまったのだ。

それがこの寂しさに拍車をかけている。


「……エマ、こっちに来て」

「はい?」


皿を片付けていたエマを呼び止めて、隣をポンポンと叩く。

戸惑いながらも隣に座ってくれたエマに、飛びつくように抱きついた。

お仕着せの上からでも分かる豊かな胸に包まれ、目を閉じる。洗剤の香りだろうか、かすかに心地よい匂いがする。

エマの腕がそっと背中に回された。


「ふふ、幼い頃を思い出しますわ」

「なんか、ちょっと細くなってない?」

「少し痩せたのです。ここはお食事が美味しすぎるので、控えるのが大変です」

「痩せる必要ないのに。エマの体形は憧れだよ」

「昔からそうおっしゃってくださいますね」


ポンポンと優しく背中を叩いてくれるエマ。

わたしの身体がまだ病弱だったころ、夜中に辛くなった時はいつもエマがこんなふうに背中をさすってくれていた。


「……ああ、帰りたいなあ。お父様とお母様に会いたい」


ポロリとこぼれる弱音。エマの前だからこそ、つい出てきてしまった。

これは本格的にマリッジブルーというやつなのかもしれない。


「そうですね、一度帰りましょうか」

「……え?」


まさかの言葉が返ってきて、思わず顔を上げた。

すぐそこにある金髪碧眼の妖艶な美女の顔は、これ以上ないほどに優しく微笑んでいる。


「休みなくお一人で励んでいることは、お仕えする皆が存じております。王妃陛下からも、無理はさせぬようにきつく言い含められております。結婚式を控えて準備のためと申し上げれば、きっと王妃陛下からの許可は下りるはずです」


だめだ、泣きそうである。

必死に涙をこらえるが、うっすらと視界が滲んでいく。


「ほんとに、いいのかしら」

「大丈夫ですよ。数か月分のお休みをまとめていただくだけです」

「……ふふ」


有給休暇のように言うエマが可笑しい。

エマは頼りになるわたしの侍女でもあり、姉のような存在でもあるのだ。


「じゃあ、途中でエマの実家にも寄りましょう。おじ様やおば様のお顔も見たいわ」

「遠回りになりますよ?」

「いいじゃない。それくらい許してくれるでしょう」


ふふふっと笑い合うと、気分がすっきりした。


わたしは一人なんかじゃないと、ちゃんと思えた。

もちろんエマのおかげである。


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