53.強靭な精神
久しぶりに自分の部屋で過ごす夜は、何だか落ち着かなかった。
身体が弱くて寝込んでばかりいた時のことを朧げに思い出すからかもしれない。
この部屋では寝込んでいた思い出がいちばん多いのだ。
「はあ……眠れないかも」
真っ暗闇の中、ごろごろと寝返りを繰り返す。
同じ屋根の下に、ジョーくんも花ちゃんもいると思うと余計に落ち着かなかった。
天気は穏やかで風もない。遠くで鳥の鳴き声が聞こえるくらいに静かだ。
電気もないから部屋は真っ暗で、窓から細い月の頼りない光が見えるくらいである。
何度も何度も寝返りを打ち、ようやくうとうとと微睡み始めた頃――
再び、ピンポーンと電子音が鳴り響いた。
ビクッと身体を起こして目を開くと、そこはまたしてもあの、市役所の応接スペースのような長机とパイプ椅子がある白くてだだっ広い部屋だった。
「……また?」
思わず呟いた一言と同時に、あの白いありがちなドアが出現した。
ガチャッと開くと同時に入ってきたのは、見覚えのある茶色い巻き毛と丸眼鏡だ。
「いやー、どうもどうも! お久しぶりです、宮崎さん! またお会いしましたねえ」
相変わらず軽くて押しの強い挨拶である。どうぞどうぞと勧められるがままに椅子に座る。
「わたし、また何か思い詰めてました?」
テオが花ちゃんだと分かったのは衝撃的だったが、別にショックを受けた訳ではないように思う。
何故また呼ばれたのかさっぱり分からないが、前回も思い詰めている自覚はなかったので今回も無意識かもしれない。
「いえいえ、今回は大丈夫ですよー」
「ですよね? じゃあなんでまた?」
「それは今から説明させていただきますので、えーっと、そうだなあ。今回はこれにしようかな」
漣さんがタブレットのようなものをトントンと操作していくと、何もない空間から緑茶と桜餅が現れた。
「さ、さくらもち!」
「やっぱり和菓子の方がいいかなあと思いまして」
「これって、もしかして」
「ええ。宮崎さんお気に入りの陽風堂さんです」
にんまりと笑う漣さんが神に見えてきた。
「とりあえず、どうぞ」
「いただきます!」
二回目ともなると、全ての疑問はスルーして目の前の御馳走に集中出来てしまう。そんな自分がちょっと怖い。
友梨亜の地元にある老舗和菓子屋、陽風堂は江戸時代から続く名店である。前回食べたいちご大福が一番有名だが、季節ごとの和菓子もとてもおいしい。
桜餅はつぶつぶが残る道明寺風のもので、中身は口どけの良いこしあんだ。もっちりとした感触がたまらない。
「おいしいー……」
「私はくるりと巻いた長命寺派でしたが、道明寺もおいしいですねえ」
「わたしはこのつぶつぶもっちりがないと物足りなくて」
「なるほどなるほど」
向かい合って桜餅を食べているわたしたちは、一体どんなふうに見えているのだろうか。場所の異様ささえ除けば、大変平和な空気である。
「いやあ、おいしかった!」
「ごちそうさまでした。……で? 何で呼ばれたんでしたっけ?」
「あはは、相変わらず切り替えが早いですね!」
くいっと丸眼鏡を押し上げながら笑う漣さん。人懐っこい笑顔のまま、またしても爆弾発言をしてきた。
「あのですね、友梨亜さんの世界がですね、また崩壊が進みまして」
「……はあ」
「結論から申し上げますと、ジュリエットさんの世界にですね、友梨亜さんの世界から来る日本人は最終的に約一万人ほどになるようです」
「多くない!?」
「そのうち、元の世界の人格が戻っているのは百分の一もいないくらいでしょうか」
「……それでも百人近くない?」
ジュリエットの世界は、日本に比べて人口密度が低い。
統計などあるはずもなく世界中にどれだけの人間がいるのかは分からないから、そのうちの百人が多いのか少ないのかは分からないが、感覚的には多いと感じる。
「多くの皆さんは、誰にも言わないまま暮らしておられます。散り散りになっているので、会うことも滅多にないですし、会ったとしてもすぐに分かるものでもないですから、自分の胸に秘めたままこの世界での寿命を終えることになるでしょうね」
「……それ、わたしは当てはまってませんよね?」
なんたってすぐにジョーくんに出会ってバレてしまったし、スズキさんや花ちゃんにも出会ってしまっている。
「何事にも例外はありますから。あなたと、”シャルモン”の皆さんが大きな例外ですね」
「それって、もしかして」
「”ジョーくん”のお察しの通り、あとの二人も元の世界から来られています」
「え? リュカも?」
「そうですね。昨日気付かれたようですが」
「昨日!?」
「はい。カリーライスを食べて思い出したようです」
「何それ平和!」
カリーライスを食べているリュカが、雷に打たれたようにりゅっちであることを思い出したと想像するだけでおもしろ……平和である。
「基本的にですね、思い出した皆さんには前回宮崎さんにお話したようなことはお伝えしているんですよ」
「へー、そうなんですね」
「ただ、他にも日本人がいるということはお伝えしてません。今ある環境で精一杯生きてくださるようにお願いしています。日本人の皆さんは国民性なのか、すとんと受け入れてくださる方が多くてこちらも助かります。アニメや漫画の影響ですかねえ」
「まあ、アンパンがヒーローだったりロボットがタイムトラベルしてくるアニメで育ってますもんねえ。チビッコ憧れのヒーローは変身前提ですし」
あんな何でもありの世界を観ながら育つわたし達は、ファンタジーの英才教育を受けているのかもしれない。
異世界に飛ばされても和食を追い求める余裕すらある。
「ただし、”ジョーくん”だけは例外です」
「え?」
相変わらず漣さんの話はどこに目的地があるのかさっぱり分からない。そんな中でジョーくんの話が出てくるのは不穏だ。
「“ジョーくん”は生い立ちのせいなのか何なのか、疑い深くて信じてくれないんですよ。それに、精神も強靭だから跳ね返されちゃって、もう我々は呼べないんですよね」
強靭な精神を持つイケメン。
さすがジョーくんである。わたしの軟弱な精神とは大違いだ。
「宮崎さんくらい素直だと、我々も接触しやすいんですけど」
「褒めてるってことだよね」
「そうですそうです。仕事がしやすくて大変助かります」
「で、結局言いたいことは何なんですか?」
「いやー、あの、以前お話しした役割のこと、覚えていらっしゃいます?」
もちろんだ。忘れるわけがない。
わたしがジュリエットとしてあの世界に存在していることには、何らかの意味があるという話。
それは少なからず世界に対して役割を持つということである。
「覚えてますよ」
「本来ならこういうのはトップシークレットなんですけど、上から許可が出たのでお伝えしますね?」
「えっ? 何それ、聞いていい話ですか?」
「特別に、ということで。まあ死後の選択肢がちょっと少なくなっちゃうかもしれませんけど」
「何それ、怖いんですけど!」
死後の選択肢って、天国行きか地獄行きかくらいしか思いつかない。その選択肢が少なくなるというのは恐怖である。どっちの選択肢なのかが重要だ。
「大丈夫ですよー、怖くない怖くない。人間、未知のものには恐怖を感じるようになってるので仕方ないですけど。まあ大丈夫なので聞いてくださいね? 宮崎さんがジュリエットとして為すべき役割ですが、我々の言葉を“ジョーくん”に伝えていただくことです」
「……は?」
「分かりやすくいうと誤解を招くのですが、役割にも他者が代行できるものとそうでないものがありまして。今回、今の世界でジョルジュ・リロイが果たすべき役割というのが、そうでない方なのですよ」
「はあ……」
「その為、我々としてもある程度の話はしておきたいのですが……あの方、跳ね返してくるんで。全く接触できなくて」
「ああ、精神が強靭ですもんね」
「そうなんです!」
分かってくれますかとばかりに膝を打つ漣さん。わたしもうんうんと頷く。
こんな訳の分からない人にまで精神力の強さを褒め称えられるジョーくんがさすがすぎる。
「それでですね、そんな“ジョーくん”も宮崎さんの言葉なら信用してくれそうなんですよね」
「えー……」
いくら婚約者とはいえ、こんな荒唐無稽な話をして信用してもらえるとは思えない。頭がおかしくなったのかと思われそうだ。
「大丈夫ですよ、自信持って!」
「いやあ、どうですかねえ」
「一応、私も接触を試みてはいるんです。完全に夢だと切り捨てられましたけど」
「でしょうねえ」
「なので、私の名前を出していただいて構いませんので! 二人で同じ夢を見たとあればきっと信じてくれると思うんですよ」
「……まあ、それなら何とか話くらいは。それで、何を伝えればいいんですか?」
渋々ながらもそう言うと、漣さんの雰囲気がフッと変わった。
ニコニコして気安くて押しの強い感じだったのに、突然、威厳のある空気を纏っている。
「ジョルジュの志を忘れるな」
声まで違う。重くお腹に響いてくる不思議な声だ。
「ジョルジュの、志?」
口の中がカラカラになりながらも聞き返すと、漣さんはまたフッと元の雰囲気に戻った。空気もどことなく軽やかになる。
「ええ、お伝えいただければ分かります。補足としては、あなたのお仲間がきっと役立つとも。では、よろしくお願いしますね!」
話は終わったと言わんばかりの笑顔である。
だがわたしはまだ聞きたいことが山ほどあるのだ。分からないことが多すぎる。
だけどわたしの口から出てきたのは、どちらかといえばどうでもいい方の疑問だった。
「え、待って? せっかくだから聞きたいんだけど、何でジョーくんは“シャルモン”の衣装ばっかり着てるの?」
「あー……」
途端に気まずそうな顔をする漣さん。
「あれはですね、その……神のいたずらとでも思っていただければ」
「はい?」
「上がですね、せっかく四人揃うんだから、そういう縛りに変えちゃえば? って、まあ悪ノリしちゃいまして……でも、おかげで宮崎さんと結ばれたわけですし! 結果オーライですよね」
「何それ……でも、じゃあもう普通に戻るってこと?」
「それが、一度作ったシステムってそう簡単に変えられなくて。でもそのうちネタが尽きるはずですから」
「いやあの人達デビューして十五年だから十五年分ありますけど?」
「まあまあ、そのうちね! では、そういうことでよろしくお願いしますね!」
もう何の質問も受け付けないようににっこりと微笑んだ漣さんは、パパッとタブレット操作し、友梨亜の部屋のドアを出現させた。
こうなるともう、わたしには戻る選択肢しかない。ごねて帰れなくなったら困る。
はあっと大きなため息をついて、立ち上がった。
「もしかして、また呼ばれることもあります?」
「さあ、それこそ神のみぞ知る、ですが可能性は高いと思います」
「そっか。じゃあ、次は陽風堂の水まんじゅうにしてね」
「あはは! リクエストされたのは初めてですね! 了解しました、その時はぜひ」
ニコニコ笑う漣さんに背を向けて、百合のドアを開いた。
眩い光に目を閉じて――次に目を開けると、ジュリエットの部屋に戻っていた。




