51.花ちゃん
プーゲの襲来は衝撃的だったが、残りの日程は滞りなく進んだ。
ボネ領の領都にあるボネ家の屋敷に着いたのは、それから一日が過ぎてからだった。
「ようこそいらっしゃいました」
わたしの両親とサラ様が玄関で出迎えてくれた。しかしテオの姿がない。
「出迎え感謝する。しばらく世話になるよ」
「たいしたおもてなしは出来ませんが、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
父が殿下を誘って中へ入っていく。わたしもその後に続きながら、小声で母に問いかけた。
「お母様、テオお兄様はどうなさったの?」
「それが……今セドから説明させるわ」
我が家の応接室へ入っていく父と殿下。
わたしもそれに続き、殿下の隣に座った。正面には両親が座り、右隣にはサラ様が座った。
サラ様はいつものような圧倒的な美しさが控えめである。気丈に振舞ってはいるが元気がないのがよく分かる。
「テオ殿の姿がないようだが?」
「はい……それが、数日前から様子がおかしいのです」
「様子が?」
「サラや私達に対して、よそよそしいといいましょうか。食の好みも変わったのか、あまり食欲もないようで」
サラ様から頂いた手紙の通りである。
サラ様を見ると、悲し気に眉を寄せていた。数日後に結婚を控えた新婦のする表情ではない。
「それで、お兄様はどちらに?」
「部屋にいると思うわ」
「様子を見に行っても?」
「構いませんが、失礼があるかもしれません」
「それは構わない。ユリア、行こう」
「はい」
あまり大人数で行っても、ということでわたし達の二人でテオの部屋へ向かった。
しかしテオは部屋ではなく、景色の良い二階の踊り場にあるテラスに居た。
置いてある椅子に腰掛けて、ぼーっと遠くを眺めているようだ。
「……あの、ジョーくん?」
「うん」
「わたしには、花ちゃんにしか見えないんですけど」
「だよな。俺も」
驚くことに、そこにいたのは赤いサラサラ髪の若い花ちゃんに似たテオではなく、友梨亜の記憶にある花ちゃんに近い年格好の黒髪花ちゃんだった。意味が分からない。
「え? 何で? めっちゃカッコいい」
「おい」
「え、だって。完全に花ちゃんじゃないですか」
「何が何だか分かんないけど、とりあえず確かめようか」
そう言うと、ジョーくんはテオに向かっていった。わたしもその後に続く。
気配を感じたのか、テオがふっとこちらを向いた。その瞳もいつものモーヴ色ではなくなっている。本当に花ちゃんにしか見えない。
「……ジュリエット? え、ジュリエット!?」
焦ったような言葉が、わたしの記憶を思い起こさせる。
わたしもジュリエットになって初めてテオに会った時は、テオの名前がすっと出てきたことに驚いたのだ。
「え? ゆず? 何で?」
これはとても小さな声だった。だけど距離を詰めていたわたし達にはばっちり聞こえてしまった。
花ちゃんはジョーくんのことを|譲≪ゆずる≫のゆずと呼んでいるのだ。
「聞きました?」
「ああ、確定だな」
目を合わせて頷きあったわたし達。
殿下がさっと合図をして人払いをする。
「エマ、緑茶をお願いね」
そしてテオのいるテーブルに座り、三人だけになった。
テーブルには花柄のコーヒーカップにいれられた緑茶。
テオのカップには砂糖がつけられていたが、テオは砂糖を入れずにそのままごくりと飲んだ。
「お兄様、お砂糖は入れなくてよろしいの?」
「え? ああ、入れなくても飲めるようになったんだよ」
「まあ。いつからかしら」
「うーん、ここ一週間くらいかな」
わたしとのこの会話でも、テオは一切わたしと目を合わせない。これは溺愛シスコンテオとしては由々しき事態である。
「それまでは入れてらしたの、覚えてるの?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、わたしが倒れたことは覚えてる?」
「え? ……ああ、うん。覚えてるよ」
「そう。じゃあ、お兄様が花井直くんだったことは?」
「それも……はあっ!? なんで?」
そこで花ちゃんはようやくわたしと目を合わせた。予想通り驚愕に染まっている表情だ。
ジョーくんもそこにトドメをかけてきた。
「俺の顔に見覚えは?」
「はっ!? いや、殿下何を」
「直くん」
「えっ? ゆず? マジでゆずなの? え、これ夢じゃないの?」
この砕けた話し方は、完全に花ちゃんである。
「うん、まあ夢だと思っておきなよ」
「はっ!? 何だよそれ」
「ちなみに、幼馴染のレオンは覚えてる?」
「レオン? ……嶺? 何で?」
「俺も分かんないけど、テオが直くんだったなら、レオンも嶺くんなのかもなあ」
うーんと顎を撫でて考え込むジョーくん。
「リュカもそうですかね? でも何かきっかけがあるんでしょうねえ」
「うん。見え方が明らかに変わったもんな」
「ですよね。今は完全に花ちゃんですもん」
「いやちょっと待ってよ。普通に話してるけど、この子は何者なの?」
明らかに不審者を見る目でわたしを見つめるテオ。いつものデレデレした顔じゃないのが新鮮すぎる。
「あなたの妹でしょうよ」
ジョーくんが突き放したように言う。これも花ちゃんに対する態度だと思えば納得である。
ジョーくんは親しい人には基本ツンツンな態度なのだ。かわいい。
「いやそうだけどそうじゃなくて」
「混乱に拍車をかけると思いますが、よろしいでしょうか?」
「は? この際いいよもう」
これ以上訳分かんないことなんてないだろ、と吐き捨てるように言った花ちゃん。
だがこれ以上があるのがこの世界である。
「はじめまして、宮崎友梨亜です」
「え? ……何これ、誰?」
「だからはじめましてって」
「いやそうじゃなくて! 顔が違って見えてるんだけど」
知ってる。きっと魔法のように顔が切り替わったことだろう。
「あー、やっぱり名前を知ってると顔が見えるんですね」
「うーん、じゃあテオの顔が直くんに見えてるのは?」
「記憶があるかどうかくらいですかね、以前との違いは」
「なるほど。じゃあ本人の記憶があって、かつ名前を知っていればその人の顔に見えるってことか」
「そう考えると、わたしが最初からジョーくんに見えていたのも納得です」
「いや考察してねえで状況教えろよ」
苛立った花ちゃんの声が割り込んでくる。
「俺らも分かってねえんだよ。色々状況変わるから、少しずつ整理してんの」
「いや、その前にここはどこなんだ?」
「いわゆる異世界だと思います」
「はっ!?」
あー、花ちゃんって異世界とか絶対信じなさそうだなあというのが、この短い返事で分かってしまう。
「俺らの他にも、日本人がもう一人いたんだよね。だから他にもいるのかも」
「一番怪しいのは”シャルモン”の残り二人ですけどね」
「ちなみに直くん、気付いた瞬間はいつだった?」
「……一週間くらい前。起きたら突然ここにいた。けどじわじわテオの記憶も思い出してる」
「何歳?」
「俺は三十四だけど、テオは二十三」
「うん、同じっぽいね」
テオと花ちゃんが置かれた状況も、わたし達とそう変わらないようだ。
こっそり漣さんの言葉を思い出したわたしは、きっと花ちゃんも元の世界では亡くなってしまったのだろうと心が痛む。言葉には出さないけれど。
「あと、明後日テオは結婚式だけど、大丈夫そう?」
「そうなんだよ! 嫁が不二子ちゃんなんだけどどうすりゃいいの!?」
「いや直くん、めっちゃ好みでしょ」
「そうなんだよ! 何なんだこれ!? いいのか!?」
いいのか、と言いながら手が何かを掴むように動いている。我が兄ながら、そして大好きな”シャルモン”とはいえ、ドン引きである。
(ああ……やっぱ巨乳好きなんだ……)
遠い目をしているわたしに、テオは全く気付かない。
「いいんじゃない? 堪能しなよ」
ジョーくんの言葉もどことなく冷たいのだが、花ちゃんは全く気付いていない。
「じゃあとりあえず、今日のところはこれで」
「えっ!?」
「結婚式、頑張って」
さっと立ち上がったジョーくんは、もうテラスを出ていこうとしている。
わたしも同じように立ち上がったが、おずおずと花ちゃんに話し掛けた。
「あの」
「なに?」
「……妹として、ですけど。両親もサラ様も心配してます。テオの記憶があるなら、ちょっとフォローしてあげてもらえません?」
「……ジュリエット、は、いつから日本人なの?」
「一週間ほど寝込んだ日からです」
「結構前じゃねえ?」
「そうですね」
「全然……気付かなかった」
「それは仕方ないですよ。わたし達も気付いてませんでしたから」
「でも……二人とも、ジュリエットとジョルジュ殿下として、いたんだな」
花ちゃんがこの状況を受け入れるには、まだ時間がかかるだろう。しかも明後日は結婚式、ただでさえ人生においての重大イベントを控えているのに。
「あとで緑茶と、おにぎりを差し入れますね」
「……おにぎり?」
「はい。見つけたんです、米」
「マジで!?」
やはり和食、米の価値は果てしない。見るからに花ちゃんのテンションが上がっている。
「色はちょっとアレですけど、味はおいしいので」
「お、おう」
「では、失礼します」
ぺこりと頭を下げて、花ちゃんに背を向けた。テラスの出口ではジョーくんが待っている。
「お待たせしました」
「……優しいね、友梨亜ちゃん」
「妹ですからね」
わたしが混乱していたときに、テオの存在がどれほど大きかったか。テオがいてくれたから、わたしはジュリエットとしてのわたしを保てたのだと思う。
そう思えば、つい甘やかしてしまいたくもなるのだ。
たとえ、中身が巨乳好きの花ちゃんだとしたって。




