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44.白い部屋



その日の夜は、ジョーくんが来なかった。

そのせいかわたしはいつもより早く、いつもより暗い気持ちでベッドにもぐりこんだ。


こういう日に限ってエマは休みである。子どものようで恥ずかしいけれど、心から信頼できるエマが傍にいて欲しかった。


ぐるぐるとネガティブなことを考え、なかなか寝付けない。

目だけを閉じても、今日の嬉しそうなレイカさんと、部屋に入っていくジョーくんの横顔が思い浮かんできてしまう。

何かあるはずもないのに、何がこんなに気になるのか。自分でもよく分からない。



どれほど時間が経ったのか、ようやくうとうとしていた、その時。


――ピンポーン


久しぶりに聞こえた電子音に、思わず身体が反応してしまった。

「はーい!」とインターホンに答えるつもりの言葉で飛び起きる。寝ぼけていたわたしはこの時、「買った洗剤が届いたのかな」などと馬鹿なことを考えていた。


飛び起きたわたしは反射的に目を開ける。するとそこは焦がれていた友梨亜のワンルーム――ではなく、ジュリエットの新しい部屋となった相変わらずゴージャスな百合の間でもなく。


言うなれば、日本の役所の一角にある応接スペースのような、何とも味気ない長机とパイプ椅子が置かれているだだっ広いところだった。


「……は?」


この一瞬の間に考えたのは、わたしがジュリエットだったのはやはり夢で、今はその夢から別の夢に移行したのではないかということだった。ほら、夢って突然訳の分からないところに繋がるから。


「今度は何なの?」


そう言いながら自分を見下ろしてみると、わたしの姿はジュリエットのままだった。服装も今日着ていた黄色のネグリジェのままである。


「あれ?」と首を傾げていると、長机と椅子を挟んで向こう側に突然ドアが出現した。突然現れることでお馴染みのあの有名なピンクのドアではなく、いたって普通の白いドアだ。


「いやー、お待たせしちゃってすみません!」


ドアが開くと同時に、そんな軽い台詞を吐きながら一人の男が入って来た。

くるっくるの巻き毛は茶色よりの黒で、まん丸の眼鏡をかけている。小脇にタブレットのような薄い機器を挟んでいて、サラリーマンといえばコレというような普通のグレースーツを着ている。首に下げているのは社員証をぶら下げるような青いパスケース入れ。顔も見るからに日本人だ。

妙にホッとしてしまったのは何故なのか。


「いやいや、すみませんね! 突然でびっくりですよね? まあまあ、どうぞお座りください」

「は、はあ……」


久しぶりに感じる、どこか懐かしいこの気安く押しの強い雰囲気に戸惑ってしまった。

言われるがままにパイプ椅子を引き、腰をおろす。


巻き毛さんが向かい合って座り、タブレットのようなものを操作すると緑茶といちご大福が出てきた。もちろん、何もない空間からである。訳が分からない。


「あれ? いちご大福、お好きじゃありませんでした?」

「いえ、好きですけど」


何なら大好物である。そういえばジュリエットのところにはイチゴもなかった。久しぶりすぎる再会である。


「じゃあどうぞ。ここの大福、おいしいんですよ。陽風堂(ようふうどう)のなんですけど」

「えっ!」

「お好きですよね?」


にんまりと笑う男性に驚きを隠せない。

陽風堂のいちご大福といえば、友梨亜の実家がある地方では有名なのだ。友梨亜も帰省するたびに買いに行き、もちろんお土産として持って帰るのが常だった。


遠慮なくパクっと口に入れる男性が、「んー、おいしいですねえ」と幸せそうに食べている。

友梨亜もこらえきれずに口に運んでしまった。がぶっと噛みついた途端、ジューシーなイチゴの果汁が口の中に広がっていく。そして甘さ控えめなこしあんと、赤ちゃんのほっぺたのように柔らかいおもちが包み込む。


「おいしい……」


懐かしすぎて泣きそうな気持ちを、緑茶とともに胸に流し込んだ。


「ふう。……それで、どちら様ですか?」

「あはは、切り替え早いですね。すみません、すっかり申し遅れました。わたくし、こういう者です」


丸眼鏡の男性は、胸元から名刺を取り出して差し出してきた。


『天界人間支部日本課 課長補佐

            漣 敬一郎』


「えっと?」


まず、ひと際大きく書いてある名前の名字で躓いた。読めない。

そして肩書でもう一度躓いた。なんだそれ。


戸惑いながら丸眼鏡の敬一郎さんを見ると、指でくるりと裏返すように示してきた。

その通りに名刺を裏返してみる。


『312-541-916-387 ●●●●●●●●●』


こちらは数字しか読めなかった。なんだこの象形文字は。

鳥や麦のような絵柄の文字が並んでいるが、読める気がしない。


「ね? 読めないでしょう? ですからこの裏面を作ったのです」


そう言いながら首に下げているパスケースをくるりと裏返し、名刺と同じように書かれている漢字面と数字面を見せてくれた。

しかしながら、問題は山積みである。


「いやどっちにしろ訳が分かりません」

「そうですよねー! まあ今からご説明致しますのでご安心ください」


なぜだろう、まったく安心できる気がしない。


「そうは言ってもまだ亡くなられていない貴女に……あ、友梨亜さんとお呼びした方が? それともジュリエットさん?」

「どっちでもいいです」

「あ、じゃあ宮崎さんにしますね! 宮崎さんはまだ亡くなられていないので、言えないこともいっぱいあるんですけど、言える範囲で説明させていただきますので!」


亡くなられていないとはどういうことなのか。この軽い感じで言われている状況に追いつけず、混乱の一方である。


(いやそもそも天界人間支部日本課って何? 天国? でも支部って?)


名刺に視線を戻したわたしの視界に、タブレットのような機器が入って来た。そこには宮崎友梨亜と、ジュリエット・ボネの顔が並んで映し出されていた。

ジュリエットの顔は久しぶりに見たが、こうやって並んで見るとどこかが友梨亜と似ているような気がする。もちろん、与える印象は天と地ほど違うけれど。ジュリエットまじで妖精。


「えーっとですね、まず、もうお気付きかとは思いますが。今、宮崎さんがジュリエットさんとしているところは、いわゆる異世界です」

「異世界……」


初対面のこの人に言われたことなのに、なぜかすとんと理解できてしまった。

それはわたしもずっとそう思ってきたからかもしれない。夢だと思いたかったけれど、夢にしてはいろいろとおかしい。


「ええ。友梨亜さんの夢ではなく、ちゃんとした世界です」

「てことは、友梨亜は死んだってこと? ジュリエットの前世が友梨亜なの?」

「いや、違います」

「は?」


だってわたしには、友梨亜の記憶もジュリエットの記憶も、どちらも幼少期のものがあるのだ。前世と考えた方がつじつまが合う。


「大変、言いにくいことなのですが。人間、いや人間に関わらず生きとし生けるものすべて、誰にだって間違いはあります」

「はあ」

「本来なら、友梨亜さんは友梨亜さんとして生きていた世界の、ほんの僅かに違う世界を友梨亜さんとして生きているはずでした」

「……まったく意味が」


何度噛み締めても意味が分からない。


「そうですねえ。じゃあ例えばですよ? 宮崎さんが……そうだなあ、電気やインターネットのような歴史を変える重大な何かを発明する人だったとしましょう。貴女がいないとその世界の歴史が変わってしまう。一方、別の世界で生きる宮崎さんはその発明に関わらない人だとする」

「……はあ」

「世界と呼ばれるものって、実は数えきれないほどあるんです。そして生きとし生けるものはすべて、世界を少しずつ移動して生きています。まあ、通常は気付かないほど些細な違いの異世界です。それでも一部覚えてる人もいるみたいですけどね。マンデラ・エフェクトとか聞いたことありません?」

「……ないですね」

「国の配置とか偉人の生死とか、ちょっとした記憶の違いで済まされることが多いですけど、まあほとんどが異世界の記憶でしょうね」

「はあ」


雲行きが怪しくなってきたが、ここで話の腰を折るのは賢い判断ではないだろう。


「それでね、発明する宮崎さんの世界の一つで、宮崎さんが何らかの自然災害に巻き込まれて亡くなるということがあったとしましょう。だけど宮崎さんがいないと、その世界は困る訳です。あるべき歴史が変わってしまうから」

「はい」

「そうなると、どうするのか。我々天界の者が、発明しない宮崎さんが亡くなる世界から宮崎さんの……一番分かりやすい表現をするならば、魂ですかね。魂を引っ張ってくるのです。そして、自然災害に巻き込まれて亡くなるはずの発明する宮崎さんの身体に入れてしまう」


なんじゃそりゃ。

口にせずとも想いが伝わったのか、敬一郎さんがにんまりと笑う。


「信じなくてもいいんですよ。我々には貴女に説明する義務があるだけで、貴女がどう受け止めるかは個人の自由です」


そう、余裕たっぷりに笑って言った。

まるでわたしが信じていないことなどお見通しのようだった。


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