36.修道院
その日も、わたしの公務の日だった。
今回の公務は、王都の外れにあるリーンハイツ修道院への慰問だ。ここは王家が管理している修道院で、貴族の未亡人や没落してしまったなど事情がある女性を受け入れている。街中にあるよりも綺麗で、清潔だった。
だがしかし、難点と言えば遠いことだ。そのため、日帰りをするためには馬では間に合わない。
そこでシュヴァールの出番である。象のような大きさの、六本足の馬。友梨亜としての記憶が混ざってから乗るのは初めてである。
大きさはヤバいが、見た目は馬。毛並みも良くつぶらな瞳は可愛らしい。
御者に撫でられて気持ちよさそうにしているところも愛らしいが、大きさのせいで余計にバグ感があって、何とも落ち着かない気持ちになる。
今日のお付き侍女はエマが休日のため、一番若いピンク色の髪のルネ。
彼女は学園を卒業してすぐに王城で働き出したまだ新人だ。そのせいかまだ少し頼りないというか、安心してすべてを任せるとまではいかない。その点、今日は落ち着いた場所だから安心である。こういうところで経験を積ませてあげないといけない。
彼女はわたしの二つ上の十九歳でルナール子爵家の次女。
先日聞いた話だと、クロエと、女性騎士マノンと同級生だったようだが、あまり仲が良かったわけではなさそうに思えた。学園でも経営科、騎士科、家政科、侍女科と科が違うようなので、そういった理由もあるのだろう。
(もしわたしが学園へ行っていたら、家政科? あんまり興味ないわあ……)
学園への憧れは、確かにジュリエットの気持ちとして覚えている。それも大変強い想いだ。
だが、今となってみれば怖い話もたくさん聞いたからか、そんな気持ちは微塵もなくなってしまった。
家を取り仕切ることにもあんまり興味はないが、今はそんな我儘を言える立場でもない。
そして、今日の護衛は、ダミアン副隊長とチャラ男マチアスである。
この二人も騎士科での同級生らしい。二人とも今年で三十歳になるという。
ダミアン副隊長は金髪の長髪をいつも後ろで一つにくくりつけている。いつ見ても優しい微笑みを浮かべているイケメン優男に見えるし、仕草もスマートでとっても優しいのだが、とんでもなく機敏で強いそうだ。ここにもギャップ萌えがいた。
彼はロペス男爵家の次男だが、数年前の大型化した熊――わたしはまだ見たことがないが、プーゲという凶暴な熊らしい――の討伐で活躍したらしく、一代限りの騎士爵位を持っている。奥様には先立たれてしまい、現在バツイチ独身だ。
侍女たちからもすごい人気だそうだが、亡くなられた奥様を大変愛していたらしく、再婚の意思はないらしい。これはルネがこっそり教えてくれた。
見た目チャラ男のマチアスだが、こちらもギャップ萌えの塊である。
最初の挨拶で妖精姫とからかってきたようなチャラい言動の奴だが、こう見えて三姉妹の父親らしい。奥様にも娘たちにもそれはもうデレッデレらしく、常に姿絵を持ち歩いているとか。
侍女たちにも「今日も可愛いね、オデットちゃん」とか「エマちゃん今日もきれいだね」とか絡んでいるくせに、実はめちゃくちゃ愛妻家。悔しいが萌える。
そんなわたし達を乗せた、シュヴァールが牽く馬車に乗って街道を進む。
街道はきちんと整備されていて、それなりのスピードが出ているのに揺れも少なかった。たまに頭をぶつけることはあるが、許容範囲だろう。
友梨亜はただのOLなので、スプリングやゴムをどうにかすれば快適だろうと想像はつくが、想像するだけである。具体的な方法が思い浮かぶはずもなく、クッションでしのぐしかない。
ダミアンのエスコートで馬車から降り立つと、院長らしき女性が出迎えてくれた。きっちりとまとめた髪が印象的な、すらっとした気品のあるおばさまだ。
「出迎えありがとうございます」
「ジュリエット様に御挨拶申し上げます。こちらのリーンハイツ修道院を任されております、院長のアデルと申します。本日はこのようなところまでお越しいただきありがとうございます」
「アデル、今日はよろしくお願いしますね」
「はい。ではこちらへどうぞ」
アデルの案内をうけて、中へ進む。
隣接する礼拝堂へ行くまでに何人かのシスターとすれ違ったが、みんな清楚な雰囲気で美しかった。元貴族が多いからだろう。
礼拝堂でお祈りを済ませ、修道院に戻ってぐるりと中を案内してもらう。足りないものはないか、何か困っていることはないか。いつものようにそんな話をしながら進み、厨房まで来たところで、カリー用のスパイスを渡した。
サラ様の発案であった、カリースープ。それを子どもでも食べやすいようにとミルクを足したものがここの人には刺さったらしい。わたしが公務へ行くたびに、行く先々で振る舞っているのだ。
この流れももう何回目かになるのだが、ルネは初めてである。今日はわたしもお手伝いしながら、カリーミルクスープを作った。
アデルに味見してもらえば、「まあ! とてもおいしいのですね」とお墨付きをいただいたので、許可をもらってシスター達に振る舞う。
この時間に礼拝堂へ来ていた一般の方にもおすそ分けしようということになり、鍋ごと外へ運んでいる時だった。
「あら?」
礼拝堂から出てきた、一人の男性に目が留まる。
茶色の帽子に、くすんだグレーのシャツとパンツに猫背の男性。ぱっと見はどこにでもいる庶民だが、その顔には見覚えがあった。
「ダミアン、ついてきて。ルネとマチアスはこのまま外へ運んでね」
「はっ」
「え? ジュリエット様、どちらへ?」
「お願いね!」
戸惑うルネの言葉を背に、速足で歩きだす。後ろにはちゃんとダミアンがついてきてくれているのが分かるから安心だ。
「あの!」
足早に門を出ようとする男性に、慌てて声を掛けた。
パッと振り向いたその男性は、わたしと目が合うと驚いたように目をまん丸にして、それから眉を下げてふにゃりと笑った。
「あー……見つかっちゃったかあ」
「やっぱりレオン様! どうしてここに?」
わたしの言葉で背後のダミアンに視線をやったレオンは、さっと辺りをうかがった。
「ジュリエット、一人だけ? 殿下は?」
「今日はわたしの公務ですので。殿下は執務中です」
「もう公務とかやってんだ? 大変だなあ」
いつものようにのんびりした口調のレオンは、今日もとってもレイちゃんっぽくて癒される。いつもの服装が違いすぎるのに、どこか馴染んで見えるのが不思議だ。
レオンは貴族らしからぬ行動ばかりしているというのは、テオから散々聞いていた。きっとこういう格好で自由に街中を歩くことも、それに含まれているのかもしれない。
「それで、何をなさっているの?」
「うーん……あんまり話したくないかな」
こういうところは、本当にレイちゃんっぽい。基本的に人当たりがよくて優しいのに、ここぞという時は物凄く頑固で、本当に大変なことは一人で抱え込んじゃう。そこは友梨亜が持っているレイちゃんのイメージと、ジュリエットが持つレオンの記憶が一致している。
友梨亜はイメージでしかないけれど、ジュリエットは目の前にいるこの第二の兄ともいえる存在の扱い方を熟知していた。
「そうですか、分かりました。では、ここでお見掛けしたことのみ殿下とテオに伝えておきますね」
「……それも嫌だって言ったら?」
「ですが、レオン様はモロー侯爵家の嫡男でいらっしゃいます。内密に動かれているのも、もちろん国や領民の為かと存じますが、危険なことに巻き込まれないためにも、せめて幼馴染として親交が深いテオだけにでも」
「分かった! わーかったよ、もう。話すから、代わりにテオにも殿下にも内緒だからな?」
「ふふ、かしこまりました。もちろん、内容によりますけどね?」
「危ないことはしてないよ。でも公務中だろ? 終わってからの方がいいんじゃない?」
くるりと振り向いてダミアンの方を見ると、いつも通り微笑みながら頷いている。
「振る舞いの場にはおられた方が良いかと存じます」
「そうよね。レオン様、終わるまでお待ちくださるの?」
「まあ、いいよ。どうせ今日は休みだし」
「ジュリエット様、近くに信頼できる宿屋があります。そちらで部屋をお借りしましょう」
ダミアンはとても仕事ができる男である。
「ありがとう、お願いするわ」
「はっ。ではモロー殿、御案内致しますので、恐縮ですがこちらでお待ちください」
「ん、分かった」
そう答えるとレオンは帽子を深くかぶり直し、塀へ寄りかかった。
わたしはそれを確認し、足早に皆の元へ戻る。
礼拝堂の前ではすでに鍋が設置され、近づくたびにカレーのいい香りが漂ってくる。
「ルネ、マチアス、お疲れさま。設置ありがとう」
「ジュリエット様! どちらへ行かれていたのですか!?」
ルネの大きな声に少し眉をひそめる。エマならこんな場所でこんなに大きな声は出さないのに、と比べてしまうのは、ルネにとっても酷なことだろうか。まだ出会って間もない侍女だ、関係性を求めるのは早すぎる。
「それより、早速始めるわよ。ダミアンはあちらをお願いね?」
「はっ」
ダミアンはマチアスに何やら小声で短く伝え、マチアスが頷くとすぐに駆け出して行った。レオンの事はこれで安心だろう。
「ジュリエット様、ダミアン様はどちらへ?」
「別の仕事をお願いしたのよ。さあ、ルネも配るのを手伝ってね」
院長やシスター達とともに、お椀にスープを入れていく。匂いにつられた人々が少しずつ集まってきた。
「並んでください! 皆さんの分、ちゃんとありますからね。お近くの方はご自分の食器を持ってきていただけると助かります!」
慣れない大声は、普段使わない筋肉を使うのだろうか。見かねたマチアスが同じことをよく通る声で言ってくれた。
「マチアス、さすがね。ありがとう」
「騎士は声での通達訓練もありますからね。お任せください」
後ろに控えるマチアスが案内を請け負ってくれたので、わたしは目の前にきた人へスープを渡すことに専念する。
「おお! なんだこれ、初めて食べたぞ!」
「ちょっと辛いけど美味いな!」
「おいしい! 辛いけどおいしいよ!」
その場で食べだした人々の声に、にんまりとしてしまう。
国民食カリーへの道は順調である。みんな、もっといろいろ魔改造しておいしいものを生み出すがいい。
大きな鍋いっぱいに用意したカリーミルクスープは、好評のうちに配り終えた。
院長が大変喜んでくださって、バザーの日にまた配布するという。
カレーの魅力は国境を、世界をも越えるのである。




