29.愛称
「さて、何が良いかしら。幼い頃はジョンと呼んでいたけれど、あなたの侍従と同じになってしまうものね」
(侍従ってまさか、あの忍者みたいな!? あの人ジョンっていうの? いやいやその前に、殿下、ちっちゃいころはジョンって呼ばれてたの? やっば、可愛すぎない?)
わたしが幼いジョーくんに想いを馳せていると、隣からとんでもない発言が聞こえた。
「では、ジョーと」
その声にハッとして隣を見上げると、殿下がしてやったりと言わんばかりの表情で微笑んでいた。
(ずっる! ジョーくん、その微笑みはずるいです!)
「いいじゃない。ジョルジュ、ジョーね。ジュリエットはどうしましょう」
(いや待って? ジョー確定なの? 公式でジョーくんって呼んでいいの?)
混乱するわたしを置いて、どんどん会話は進んでいく。
「幼いころはジュジュと呼ばれていましたわ。でもいつの頃からか嫌がって、ずっとジュリエットと」
「あら、そうなのね。どうしてかしら」
「ジュの響きが嫌だとか」
「まあ。ではリエットとか?」
二人の母親が盛り上がる中で、わたしには嫌な予感がよぎる。隣から思いっきり嫌な予感が放出されている。
「では、ユリアと」
(やっぱりー!!)
「ユリア?」
「ええ。ジュリアがいいかなと思っていましたが、響きが気になるのであればユリアと」
澄ましながらいうジョーくんの膝をつねりたい。足を蹴ってしまいたい。
人前でユリアと、友梨亜と呼ばれるなんて耐えられるだろうか。あの声でジュリエットと呼ばれるだけでも未だに心がざわめくのに。
「いいわね! 決まりね、ジョーにユリア。うん、いいじゃない」
「ふふふ、仲睦まじいようで何よりですわ」
「カミーユ、あなたは呼んではいけないのよ?」
「もちろんですわ。王妃様こそうっかりなさいませんよう」
「……気をつけるわ」
意外とかわいい王妃陛下にキュンとしてしまう。この二人は見た目と会話が正反対だ。
「ジュリエットは、ユリアでいい?」
(ダメって言えるわけないじゃないかー!)
「……はい」
「私のことも、ジョーと呼んでくれる?」
(くっそ! めちゃめちゃ嬉しそうなのはなんでなの? かわいい! こんなお願い逆らえるかー!)
「はい。……ジョー、……くん」
恥ずかしすぎて最後にとってつけた”くん”を聞いて、殿下が吹き出しそうになった。
「まあ、ジュリエットは見た目通り控えめで清楚なのね。中身はセドリック様に似たのかしら」
「うふふ、ジュリエットは見た目も中身もわたしに似たのですわ」
「本当に相変わらずね、カミーユは」
顔は変わらず微笑んでいるのに、声だけで呆れを表す王妃陛下のスキルの高さよ。それをものともせずニコニコ微笑んでいる我が母も強すぎる。
「まあ、いいわ。カミーユにはジュリエットの部屋を案内するから、あなたたちは庭でもお散歩してきなさいな」
ぱちんと扇を閉じた王妃陛下が殿下にその扇を向ける。
元々はこの謁見のあと、わたしがこれから自分の部屋に母を案内する予定だった。だが殿下が来てくれたので、王妃陛下がその役を引き受け、わたしと殿下に時間をくださったのだろう。母とゆっくり話したい気持ちもあるのかもしれない。
「そうします。じゃあ、行こうかユリア」
「はい。御前、失礼いたします」
殿下にエスコートされて部屋を後にする。背後でドアが閉まったのが分かると、少しだけ肩の力が抜けた。
「お疲れ。緊張した?」
「もちろんですよ。ていうか何ですか、ユリアとか無理!」
「何でよ? 間違えなくていいじゃん。俺上手いこと言えたと思ったのに」
「だって、そんな……ジョーくんの声でユリアとか……ジュリエットって呼ばれるだけでもまだ慣れないのに」
「なーんだ、照れてるだけね。すぐ慣れるでしょ」
こそこそと話している姿が仲睦まじく見えるのか、遠目に見える使用人やたまにすれ違う役人の視線が生温かい。
エミリの噂があったときはあんなに冷たかったというのに、バーナード男爵が捕縛された途端またしても掌返しのように視線が変わった。
婚約のお披露目夜会で、北国のアダーリ殿下に見せつけるような態度をとっていた殿下が真実だと思ったのか、皆、二人で話しているだけでも”殿下よかったですね”とでも言いたいかのような目で見てくるのだ。
ちょうど庭へ出たところ、すぐ目の前には花をゆっくり愛でるためのガゼボがある。殿下とわたしについている護衛が、ほとんど見えないところへ引っ込んだ。
いつもの中庭は殿下の住む宮の区域にあるが、この庭は王妃が住む宮の区域にある。いつもの中庭よりも広くて、咲いている花も多くて華やかだ。ガゼボも大きくて、装飾も多い。
わたし達は迷わずそちらへ進む。
「友梨亜ちゃん? 怒ってんの?」
「……怒ってません」
「拗ねてるね、かわいい」
「もうやだこのひと」
「何よ、そんな寂しいこと言わないでよ」
エスコートで触れている腕を、見た目では分からないように離した。
「わあ、ごめんって。浮かれすぎた」
「……浮かれすぎた?」
ジョーくんが浮かれていたとでも言いたいのか。その言葉に視線を上げると、ジョーくんは照れたように目を伏せた。
そんな仕草は大人の男性なのに可愛すぎる。もう何度目か分からないが、またしても心臓を撃ち抜かれたような衝撃だ。
「だって、広すぎるとはいえ同じ家に住めるって、うれしいじゃん」
つまりは同棲だよね、うれしいよねーって事なんだろうけど、同棲という言葉から浮かぶキャッキャウフフな生活を送るとは到底思えないし、そもそも家というには広すぎる。
「……同じ、家」
「いや、まあ、家ってか城だけど」
「城、ですね」
「隣の部屋ですらないけど、一応同じ区域だし」
「区域」
言いながらおかしくなってきてしまった。それはジョーくんも同じだったようで、楽し気に細められた目と目が合う。
「なんかバカみたいじゃん、俺」
「いやでも、わたしも近くに住めるのはうれしいですよ」
「近くね、近く」
「はい、一番手前の客室とはいえ近くです」
「……俺、親たちに絶対手ぇ出すと思われてるんだろうなあ」
「え、無理です」
「分かってますよー」
今度はジョーくんがほんの少し拗ねた口調になってしまった。そんなところも可愛くて、でも絶対に無理強いしてこない安心感がある。
だって今も、拗ねた感じを出してきていたのに、ちゃんとガゼボの椅子をひいて座らせてくれているのだ。
いつの間にかお茶も用意されているところが怖い。きっと先回りしたいつもの忍者侍従――ジョンが用意してくれたのだろう。
「あの人、ジョンっていう名前だったんですね」
「ジョン? ああ、めっちゃジョンって顔してるでしょ?」
「え? そうなんですか?」
そう言われても、いつも気配を消しているし、サッと来てサッと消えていくし、あまりじろじろ顔を見るのもマナー違反だから、顔が思い浮かばない。
「あれ、見たことない?」
「お会いしたことはあるんですけど、いつもスッと消えていくので……正直忍者のイメージしかなくて」
「ははっ、忍者? まあそうかも。あいつ斥候もできるから」
「すご、リアル忍者!」
「じゃあ、そのリアル忍者が用意してくれたお菓子をどうぞ」
そう言って微笑みながら、ジョーくんが銀の蓋に覆われていた皿を開けながら差し出してくれた。開けた瞬間に香るのは、スパイシーな香りだ。
「これは……シナモン!」
「正解。キャロットケーキだよ」
「だいすきですぅぅぅ」
しかもちゃんとクリームチーズが上に乗っかっているタイプである。さすがジョーくん、分かっていらっしゃる。最高だ。どこまでもついていく所存である。
「今日は紅茶ね。でもロイヤルミルクティーにしてもらいました」
「ジョーくん……!」
食べなくても分かるおいしさだ。匂いだけでおいしい。すき。
「最高です、おいしすぎる……」
「よかった。リュカが色々と献上してくるんだけどさ、最近は何に使うか分からないけどとか言いながら持ってくんの。これから友梨亜ちゃんも協力してね」
「協力ですか?」
「うん、広められるものは広めたいから」
よく分からないけれど、おいしいものが広まるのはいいことである。一も二もなく頷いておいた。




