23.怖い話
ぼんやりと過ごすことが増えた、そんな日。
まだ殿下が帰ってきた様子はない。ツバメもフクロウも届かない。
わたしはどうしていいのか分からないまま、テオ達に甘やかされるままに日々を過ごしていた。
「ジュリエット、今日は商人が来る日だったよな?」
「そうですね」
「俺、居なくても大丈夫だよな? レオンが帰ってきたらしくて、急に呼ばれてさ」
「ええ、大丈夫ですよ」
「じゃあヨゼフに頼んでおくから。何でも買っていいからな」
「ふふっ、ありがとうございます」
テオはわたしには何も言わない。いつも通り優しくて甘いだけだ。
心地よいぬるま湯につかっているようで、それは気持ちいいのだけれど、いつまでもこうしている訳にはいかないという気持ちもずっと持っていた。
かと言って、自分でもどうしようもないのだけれど。
「ジュリエットお嬢様、商人の方が来られましたよ」
「はい、今行くわ」
「それが、リュカ・ラフィット伯爵子息様もご一緒です」
「え? ラフィット様が?」
「はい」
テオは何も言っていなかったけれど、約束でもされていたのだろうか。それともリュカに何か商品でも頼んでいたとかかもしれない。
そんなことを考えながら急いで応接間に向かう。
中へ入ると、本当にリュカが座っていた。隣には異民族のようなマントを頭から被った商人が一人座っていて、他にも荷物を持った商人が数人立っていた。
「ラフィット様、お待たせして申し訳ありません」
「こんにちは、ジュリエット嬢。お久しぶり」
「お久しぶりでございます。あの、本日テオは所用で出かけておりますが……」
「ああ、テオに用はないから。今日はこの人を連れてきただけ」
そう言って隣を指し示すリュカ。特に約束をしていた訳ではないとホッとしたのも束の間、フードの下から覗くその顔を見て、心臓が止まりそうになった。
「で、でん」
「しーっ! お兄ちゃんにバレると殺されるから、静かにね」
リュカの言葉にハッとして手で口を塞ぎ、首を縦に振る。
するとリュカは満足そうに微笑み、頷いてから手で合図をした。すると荷物を広げた商人たちが部屋から出ていく。
三人になった空間で、小声で問いかけた。
「あの、何が何だかなのですが……」
「だろうね。でも時間があんまりないからさ、とりあえず俺は行くわ。殿下、この貸しは高いですよ」
「……ああ、恩に着る」
聞こえた声もやっぱりジョルジュ殿下のものだった。帰ってきていたことさえ知らなかったわたしは、本当に何が何だかだ。
呆然としているわたしを置いて、リュカがエマと護衛達を連れて出て行ってしまった。
二人きりになった部屋で、殿下がサッとフードを外した。それはやっぱり見覚えのありすぎる、わたしの大好きな顔だった。
「殿下……」
「久しぶり。ただいま」
そう言って優しく微笑むのは、殿下なのかジョーくんなのか。だけど久しぶりに見るその顔が少し瘦せてしまったようで、胸が詰まる。
「おかえり、なさいませ」
「突然ごめんね。こうでもしないとあなたに会えそうになくて」
「……えっと、それは」
真実の愛の相手を連れて帰ってきたから、もうわたしと大っぴらに会うわけにはいかないということなのだろうか。
先の言葉を勝手に想像して泣きそうになってしまう。恋という感情は面倒くさい。
「テオが手強くて。めっちゃ時間かかった、ごめん」
この言い方は、ジョーくんだ。
わたしの大好きなジョーくん。泣きそうなくらい胸が苦しい。
わたしの表情に気が付いたのか、ジョーくんが立ち上がってわたしの隣に腰かけた。ふわりと香るのは確かにジョーくんの香りだ。もう涙がこぼれそうになる。
「ほんとにごめん。俺、婚約の時にちゃんと説明したつもりになってた。バタバタしてたとはいえ忘れるなんてマジでありえないけど。でもホントに、俺にとっては忘れるくらいどうでもいいっていうか、女って怖いなってくらいの感想しかなくて……あー、とりあえず最初から説明する、聞いてくれる?」
わたしの手を取り、ぎゅっと握ってくるジョーくん。その目はわたしをまっすぐに見つめてくれている。
その事実だけでも嬉しいのに、嬉しかったはずなのに。いつの間にか、それだけじゃ満足できなくなっていた。
涙をこらえながら頷くと、ジョーくんは静かに話し出した。
「四年前……ジョルジュが十六歳になったころ、婚約者候補が発表されて。大方アラード家のシャルロットに決まりだろって状況だったんだけど」
それはわたしでも知っている。まだわたしが元気だった頃の話だ。
「でもそのシャルロットがホントどうしようもない女でさ、候補になった中でも次に有力だったブランシェ家のコレットを襲わせて、コレットは腕に傷が残ったんだ」
「ブランシェ家の……」
確か、シャルロットが襲わせたのはエミリではなかっただろうか。新たな名前が出てきて、少し混乱してしまう。
「そんで結局、コレットは候補を辞退して修道院へ入った。その後は、自分もそんな目に合うかもしれないって思ったんだろうね、ガニョン家のサラは知ってるだろ?」
その言葉にこっくりと頷く。サラ・ガニョンはテオの婚約者であり、わたしの未来の義姉である。
「そのサラや他にもいた候補者が全員辞退して、残ったのはシャルロットだけになった。コレットを襲った奴らは捕らえられたけど、当然ながらアラード家の名前を出すはずもなくて、結局そのままになってしまった。その時に他の候補者も立てようとしたけど、出てくるわけもないよね」
どこか達観したように言うのは、ジョーくんだからだろうか。ジョルジュ殿下は、その状況に対してどう思っていたのだろう。
「ちなみにその時ボネ家にも打診したけど、断られてるみたい」
「ああ……ちょうど病気の時だったと聞きました」
「そうだね。でも元気であっても、あんな状況でボネ家が名乗り出るとは思えないけど」
「……かもしれません」
正直にそう答えると、ジョーくんも眉を下げて笑った。
「ジョルジュもさ、そんな奴が王妃になるなんてと思って何とか白紙にしようと頑張ってたんだけど、まあ立場的に無理だよね。候補のままで抑えるので精一杯だった。でもそれも限界でさ、卒業したら正式に婚約するって決まったのが、十八になる歳。あと一年で何とかしないとって焦ってた記憶がある」
そこまで言うと、ジョーくんはわたしの手を片手でとったまま、もう片方の手でカップを持ちお茶を飲んで喉を潤した。そしてすぐにまた喋りだした。
「そんな最終学年の年に、新学期から特別クラスに編入してきたのがエミリ・バーナードだった」
その名前にドキっとする。ジョーくんから聞くと、それだけで怖い。
わたしがこわばったことに気付いたのか、ジョーくんはそっとわたしの手を撫でた。顔を上げると、優しい目と目が合う。それだけでわたしのこわばりは解かれた。
「エミリは男爵家だったけど、それまでの成績が優秀だったこともあってジョルジュが特別クラスへ推薦した。ジョルジュは姉たちの影響を受けて女性の立場を向上させたかったみたいでさ、エミリを女性初の官僚にしたいって思惑があったの。だから何かと気にかけていた。身分差があったからシャルロットが何かするとも思えなかったし、二人きりになることももちろんなかったしね」
「官僚に、ですか」
「優秀なのは間違いなかったよ。ジョルジュも期待もしてたんだけど……」
初めて聞く話に驚きが止まらない。確かまだ女性の官僚は居ないはずだ。
わたしの義姉になる予定のサラ様が王城で宰相補佐の仕事をしているが、それは官僚としての立場ではない。あくまでもサラ様の父である宰相のお手伝いといった形になっている。
女性の政界進出、立場向上はまだまだほど遠い道のりだろう。
「でも、周りも本人も、ただ期待しているだけだとは捉えてくれなかったみたいだね。いつの頃からか、婚約するのはエミリなんじゃないかって噂が流れ始めた。そんな噂がシャルロットまで届いちゃって、まあ激怒だよ。コレットの時は相手がブランシェ侯爵家だから多少は遠慮したんだろうね。今回は取るに足らない男爵家だと判断したのか、馬車の襲わせ方もヤバかった。御者は殺されたし、一緒に居たメイドも足を切られたし、エミリ本人も一緒に連れ去られて……まあ、酷い目に合った」
「そんな……」
怖い、怖すぎる。ぬくぬくと伯爵家の田舎領で育ってきたわたしには、そして現代日本の中で育ってきたわたしには、信じられないほど血なまぐさい状況だ。
ジョーくんが濁した言葉の先が想像出来てしまう知識が友梨亜にはあるだけに、余計に怖い。
「さすがにそこまで大きな事件を起こせば、証拠だって残るはずだ。だけどいくら調べても出てこない。でも調べていくうちに、襲われたエミリが本人ではなかったことが分かった」
「え?」
「影武者っていえばいいのかな、バーナード男爵は裕福だったからね。学園に通っていたエミリは本物のエミリ・バーナードではなかった。髪の色と瞳の色が同じなだけの、平民の優秀な女の子だったんだ」
「……じゃあ、本物は」
「領地で好き放題しながら生きてたよ。もちろん優秀なんてものじゃなくて、玉の輿を狙う普通のご令嬢だった」
噂で聞いていた話とどんどんかけ離れていくのが怖い。何、影武者って。実在するの。
「これが公になると、困るのはバーナード男爵だけじゃない。シャルロットが襲わせたのは『ただの平民』ということになり、罪なのに罪じゃなくなってしまう。そんな時にやっとエミリを襲わせたのはアラード家だという証拠が見つかって、ジョルジュはエミリを傷心のまま隣国で姿を消したという筋書きにして、アラード家を追い詰めた。そしてシャルロットは修道院に送られ、無事、婚約は白紙になったってわけ。それが半年前のこと」
「……そう、だったんですか」
思っていたよりもずっと壮絶な話だった。学園でのいざこざがきっかけとはいえ、家の力が絡むとこうもひどいことになるのだ。ジュリエットの学園生活に対する憧れが音を立てて崩れていく。
思いがけない真実を受け止めるように、大きく息を吐いた。




