22.よくある話
その日も妃教育のために王城へ行くはずだったのに、わたしの身体は起き上がらなかった。
エマに手を借りて起きようとするのだが、どう頑張っても力が入らない。
「ジュリエットお嬢様、良い機会です。最近とても頑張っておられたので、心配しておりました。どうぞごゆっくりとお休みください」
「でも、今日も講義があるのよ」
「そのようなお身体で外に出しては、わたくしが旦那様に叱られてしまいます」
「そう、ね……どちらにしろ起き上がれそうにないわ」
その後は頼りになる執事ヨゼフが王城へ使いをやってくれ、わたしはエマに世話を焼かれながらゆっくり休むことになった。
この日の担当だったヌルグ先生から貴重な本とともに「講義は予定より早く進んでいるので、ゆっくり休むように」と書かれた手紙を受け取り、その優しさに目が潤んでしまった。
身体は起き上がれないが、頭は回る。
ぐるぐると色んなことを考えてしまう。考えないようにしていても、どうしても殿下のことを考えてしまう。
クロエの話や他の噂をまとめてみると、殿下の婚約が白紙になった理由がなんとなく見えてしまった。
それこそ王道乙女ゲームのストーリーである。
シャルロット・アラード公爵令嬢は、言ってみれば悪役令嬢みたいな人物だったのだろう。エミリ・バーナード男爵令嬢は、いわゆるヒロイン。
優秀なヒロインが身分に合わない特別クラスで王子様と出逢い、仲良くなり、惹かれあい、それに嫉妬した婚約者候補の公爵令嬢が嫌がらせをして。ヒロインは襲われてしまい身体に傷を負ってしまった。
公爵令嬢は修道院に送られ、王子はヒロインを婚約者にしようとしたが、身分と傷を理由にヒロインは身を引き、姿を隠してしまう。
だけど王子は諦めきれずにずっとヒロインを探し続けていた……そんな、ベタな話。
それは美しい悲恋として、人々の心に残っているのだ。
殿下とわたしとの婚約披露の時に憐れんできたご婦人方がいたのは、そのせいだったのだろう。
身代わりとされたわたし、本当は愛されていないわたし、いつか捨てられるかもしれないわたしを憐れんでいたのだ。
心に渦巻く気持ちが何なのか、わたしには分からない。
悲しい、悔しい、寂しい、怖い、恥ずかしい、泣きたい。
何も知らなくて悲しい、何も言い返せなくて悔しい、何も言ってくれなくて寂しい、これからどうなるのか分からなくて怖い、何も知らずに浮かれていた今までの自分が恥ずかしい……泣きたい。
涙がポロポロこぼれてきて、わたしはブランケットを顔まで被った。
「こんな顔、見せられないのに」
エマやヨゼフがもっと心配してしまう。身体は動かないけれど、心だけは何でもないようにしていたいのに、ままならない。
わたしは、どうなるのだろう。
ジョーくんが帰ってきたら、もしもエミリを連れ帰ってきたら。
きっとわたしとの婚約はなかったことになり、新たな婚約者としてエミリが披露されるのだろう。そして、人々はようやく殿下が正しい相手と結ばれたと歓迎するのだろう。
婚約が白紙になってしまったら、きっともうジョーくんと一緒に笑い合うことはなくなってしまう。
緑茶を飲んで、饅頭を食べて、日本の話をたくさんした。まだ見ぬ米やラーメンが出てきたら、なんて話もたくさん。
いっぱい食べて、いっぱい笑って、一緒に色々考えて。
『友梨亜ちゃん』
ジョーくんに呼ばれた声は、忘れられそうにない。
あの笑顔を近くで見ることが出来ないと思うと、胸が苦しい。
わたしにだけ見せてくれていたジョーくんの表情を、エミリにも見せるのだろう。想像するだけで涙が止まらない。
「こんなの、もう、恋だよ……」
こんな想いを抱えたまま、生きていかなくてはならないなんて。
ずっと遠くから見ているだけなら、ただの推しとして見ているだけなら、抱えなかった想いだ。
(もうやだ、帰りたい。あのわたしのアパートに帰りたい……)
ジョーくんと出会ってから抱えることのなかった想いが久しぶりに顔を出す。
ぐすぐすと泣きながら鼻を啜っていると、遠くからバタバタと足音が聞こえてきた。何だか聞き覚えのある足音だ。
でもまさか、そんなこと。
けれど、足音はどんどん近づいてくる。
「ジュリエーット!!!」
ばぁーんと勢いよく開けられたドアから聞こえたのは、泣きたくなるくらい大好きな兄の声だった。
ベッドにいるわたしの方へ駆け寄ってくる気配が分かる。ブランケットからそっと顔を出せば、息を切らしたテオと目が合った。
「ジュリエット! 大丈夫か? 泣いてたのか? やっぱりお前に妃教育なんて無理なんだよ、ほらもう身体壊す前に領地に帰ろう? お兄様とずっと一緒に居ればいいだろう?」
相変わらずのぶっ飛んだ溺愛に、ふふっと笑みがこぼれた。
そうだ、わたしはこんなにも大事にされている。
たとえ王城にわたしの居場所がなくなったとしても、ここにわたしの居場所がなくなる訳ではない。
「お兄様……なぜここに?」
「ああ、サラとの結婚書類を整えに……いやジュリエット、大丈夫なのか?」
心底心配そうなテオの表情に、笑いながら涙がこぼれた。
「ジュリエット……」
手でそっと涙をぬぐってくれるテオは、相変わらず甘い。そしてイケメンだ。花ちゃんに似てるけど、わたしにはもうテオにしか見えない。
この人は花ちゃんじゃない。わたしの兄だ。わたしを溺愛してくれる、ちょっと残念なお兄様。
だけど殿下は。
ジョルジュ殿下はわたしにとってはジョーくんで、推しのジョーくんにしか見えなかったのに、今ではもう手の届く好きな人になってしまった。
好きな人にとってわたしの存在が邪魔になるなら、わたしは身を引きたい。遠くから幸せを願う方がいい。
今までどおり応援するだけ、テレビやネットがないから姿を見ることは出来ないけど、それだけの方がいい。
「お兄様、本当にわたしがずっとお兄様たちと一緒に居たいと言っても、ご迷惑じゃありませんか?」
「当たり前だろ!」
「ふふ、じゃあ……もしもの時はお願いします」
「……何があった?」
そう聞いてくるテオの表情は、優しいだけのものではなかった。凄みのある、貴族らしい一面も垣間見えた。
そのせいか、するりと言葉が出てきてしまった。
「殿下が……探していた方が見つかったと」
「ああ、エミリ・バーナードだろ?」
「……やはり、その方だったのですか」
「だって殿下が探してる奴なんてあいつくらいしか……ちょっと待て。ジュリエット、殿下から何も聞いていないのか?」
わたしに視線を合わせてきたテオは、真剣な表情をしている。
「何も、とは?」
「殿下がどうしてエミリを探しているのかとか、そういうこと」
「……聞いていません」
わたしの答えを聞くと、テオは厳しい顔をして舌打ちをした。
「あいつ、自分で説明するっつったじゃねぇか」
「お兄様?」
「……ジュリエット。しばらく王城へは行くな」
「え?」
「いやこの屋敷から出るな。必要なものは俺が用意するから」
「え、お兄様? 何故ですか?」
「いいから。ヨゼフには言っておく。俺もしばらくは王都にいる」
それだけを言うと、テオはわたしの頭を優しく一撫でしてから出て行った。
それから、本当にわたしは屋敷から出られなくなった。
買い物にも出られず、欲しいものがあればヨゼフが用意してくれる。
テオは家にいたりいなかったり。イブート便でお父様とのやり取りはしているみたいだけれど、何をしているのかはさっぱり分からない。
テオ達のおかげでわたしの体調はほぼ戻ったけれど、庭で散歩をしたり、商人を呼び寄せて何かを買ったり、そんなことしか許されなかった。
あの時は分からなかったけれど、テオは殿下に本気で怒っていたらしいとお母様からの手紙で分かった。
どうやら殿下との婚約話をなかったことにするべく動いているとか。
あなたは本当にそれでいいの?と書かれた手紙を前に、それでもわたしはどうしていいのか分からなかった。
「だって……まだ何も言われてない」
諦めたくないのかもしれない。ダメだと認めるのが怖いのかもしれない。
ジョーくんが推しという存在でいたままだったら気付かなかったこの想いは、自分で思っていた以上に重かったのかもしれない。
ここにいる間は、まだわたしはジョーくんの、ジョルジュ殿下の婚約者だ。
だけどここから出てしまったら、ジョーくんが帰ってきてしまったら、おそらくその立場はエミリに取って代わられるのだろう。
その後わたしは、テオと一緒に領地へ戻される可能性が高い。
「その方が、いいよね」
出てきた声は弱々しいものだった。自分に言い聞かせるため声に出したというのに、その弱さに笑ってしまうほどだ。
どんな答えも、まだ受け入れられそうにない。




