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21.真実の愛



その日もわたしは王城に居た。


ジョルジュ殿下とお茶会の予定だったのだけれど、殿下は急遽隣町へ行くことになったらしく、その前に御挨拶を、いやその前に何か差し入れでもしようかと厨房にいた。

護衛の騎士は入り口で待っていてくれて、わたしは顔なじみとなっていたコックと一緒にレモネードを仕上げていた。


「ありがとう、これでほぼ完成ね。あとは出来るわ」

「はい、喜んでいただけるといいですね」

「そうね。お仕事の邪魔をして悪かったわ、戻って頂戴」


コックはとんでもないと首を振りながらも、一礼して持ち場に戻った。


隅の窓際で、レモネードを小さなコップに移すわたしの耳に、小さな会話が聞こえてきた。


「え! ほんとに?」

「ほんとほんと! 町じゃ噂になってるらしいわよ」

「ええー、じゃあ殿下が隣町に行くのも?」

「きっとそうよ! あの方を迎えに行くんじゃないの?」


殿下、という言葉にドキリとして、一瞬手が揺れてしまった。きっと誰にも気付かれてはいないだろうけど、そっと息を潜めて彼女たちの会話を待つ。

盗み聞きなんて何一ついいことがないのは知っていたのに、わたしは動けなかった。


(あの方って誰かな? わたしには思い当たる人がいないけれど……)


「じゃあ妖精姫はどうするのかしら? 正式に婚約してしまったのでしょう?」

「そうよねえ。あちらは力をつけてきた伯爵家、かたやこちらは名もなき男爵家、正式にお披露目もしてしまったし、そう簡単に乗り換えるなんてねえ」


(何、これ。何その話。男爵? 乗り換える? どういうこと?)


聞きながらも指先が冷えていくのを感じる。

これ以上は良くない、頭ではそう分かっているのに身体が動かない。


「殿下ももう少し待っていれば良かったのにねえ」

「仕方ないわよ、北国のお姫様から物凄い勢いで申し込まれてたって話だし」

「まあね、あれは妖精姫じゃないと断れないわよね」

「あの美しさなら黙るしかないものね」

「でも、殿下はそれでも男爵令嬢を選ぶんでしょうね」

「そうよね、真実の愛の相手だもの! ずっと探してらっしゃったんだし」

「はあ、素敵よね。あら、そろそろ行かなきゃ」

「そうね、じゃあまた」


ハッとして手を止める。いつの間にかレモネードが溢れそうになっていた。


(何、いまの話。男爵令嬢ってなに? 真実の愛ってどういうことなの?)


溢れる疑問に、わたしの記憶は答えてくれない。つまりジュリエットにとっても何の話なのか分からないということだ。


「ジュリエット?」


呼びかけられた声に振り向くと、そこには出かける準備をしたジョルジュ殿下がいた。

羽織った外套はいつもより地味で、雰囲気もどことなく目立たないようにしているようだ。いつもの王子様然とした空気はない。


「殿下……」

「ここにいるって聞いて。顔色悪いけど、大丈夫?」

「あ、はい。お出かけになられるとうかがったので、飲み物をと……」

「レモネード? ありがとう」


雰囲気は地味だけれど、口調も、わたしを気遣う優しさも、いつもと何も変わりないように見える。

殿下はわたしが持っていた容器を受け取り、自分で蓋を閉めた。そしてわたしを覗き込んできた。


「体調悪いの? あんま無理すんなよ」


そっと囁いたのはジョーくんの口調だ。表情も心配そうに眉を寄せている。


「あの……」

「ん?」


ジョーくんなら。殿下じゃないジョーくんになら聞けそうな気がする。


「今日は、隣町に?」

「ああ、急にごめんね。ずっと探してた奴が見つかったって話でさ」

「そうなんですね」

「連れて帰らなきゃだと思うんだけど……」


そこまで言うと、ジョーくんははあっと大きな溜息をついた。何かを耐えているような、そんな顔になっている。


「ああ、ごめん。そろそろ行かなきゃ。レモネードありがとう、持っていくわ」

「はい、お気をつけて」


去っていく後姿を見つめながら、そっと胸に手を寄せた。


真実の愛って、なんだろう。

殿下の婚約が白紙になったことと何か関係があるのだろうか。

そもそも、わたしは殿下の婚約が白紙になった理由をまだ知らない。何も聞かされていない。



こういう時に頼れる人物が、わたしにはほとんど居ない。

ダメもとで聞いてみようと思い立ったのは、わたしの唯一の女友達といっていいクロエだった。

帰りに寄ってもいいと言われ、すぐさまクロエの家に向かった。


クロエは部屋に招いてくれて、二人きりの空間にしてくれた。わたしの顔色が悪いのにも気付いただろうに、心配そうに眉をよせるだけで何も触れない。

出してくれた緑茶を啜り、ふっと息を吐き出すとようやく気持ちが落ち着いた。


「クロエ、あのね」

「うん」

「今日、殿下が隣町へ向かったのだけれど……」


そう言うと、クロエはハッとして目を見張った。


「まさか、本当だったの?」

「え?」

「噂よ、噂。あのエミリ様が見つかったっていう」


エミリ。

その名を聞いてジュリエットの記憶に思い浮かんだのは、エミリ・バーナード男爵令嬢だ。

たしか殿下と同じ年で、すごく優秀な女性だと聞いたことがある。

誰に聞いたのか……確か、テオだ。テオがまだ学生だったころ、長期休暇で領地へ帰ってきたときに、特に優秀な者が集められる特別クラスに初めて女性が入ったという、その人ではなかっただろうか。

見つかったということは、行方不明にでもなっていたのだろうか。


「わたしは、ずっと探してた方が見つかった、としか」

「まあ! じゃあ決まりじゃない。でも……ジュリエットはどうするの?」

「どう、って?」


クロエの瞳に戸惑いが浮かんだのを見て、嫌な予感を抱く。


「ほら……エミリ様って、殿下の婚約者候補だったシャルロット様の指示で襲われたって話じゃない? あの時は殿下が優秀なエミリ様を婚約者にするのではって噂から、シャルロット様が阻止しようと襲わせたって聞いたけど……まあ、結局それがバレてシャルロット様は修道院へ送られてしまったけど。エミリ様はその時に傷を負って、そんな自分は殿下にはふさわしくないからって自ら身を引いたっていう話だったでしょう?」

「……そうね」

「今はジュリエットが正式な婚約者になったから、出てきたということなのかしら……」


わたしにとってみれば、初めて聞く話ばかりだ。心臓がバクバクしてきた。


シャルロット様というのは、この国の五大公爵家のひとつであるアラード家のご令嬢だ。殿下の婚約者候補の一人というか、筆頭だった方だ。

他の候補はブランシェ侯爵家のご令嬢や、今はテオの婚約者でもあるガニョン侯爵家のサラ様など、家格が下がる方ばかりだったから、何の問題も起こらなければ婚約者はシャルロット・アラードで間違いないと言われていた。


これは、わたしが病気になる前の話だ。これ以降わたしは病気がちになったため、社交の場にほとんど出ることがなく、領地にこもりきりだったために王都の出来事をほとんど知らない。


「噂に、なっていたのね」

「再燃したのはほんの最近ね。真実の愛だなんて、口さがない人たちがする話題にピッタリなんでしょうよ」


呆れたように言うクロエが肩をすくめる。


「わたしはどうしたらいいのかしら……」


その方が真実の愛のお相手だというのなら、わたしはもう用済みなのではないだろうか。北国のお姫様は帰っていったし、とりあえずの危機は去った。

それとも、王子と男爵令嬢ではやっぱり身分差があるから認められないのか。そうなるとわたしはそのままで、彼女を愛人的な立場に置くつもりなのか。


「何言ってるのよ、ジュリエットは陛下にも認められた正式な婚約者なのよ? 堂々としていればいいわ」

「そう、なのかな」

「そうよ! 噂なんてそのうち消えるし、それに殿下が迎えに行ったのでしょう? 任せておけばいいわ」


クロエの言葉が何を意味しているのか、素直に受け止められないくらいには混乱していた。


この国では王が愛人を持つことは否定されていない。むしろ子どもを増やす面からも推奨されている時代もあった。

だけどわたしは今、日本での倫理観が強い。愛人がいると分かっている人に嫁ぐのは辛い。


しかも相手はジョーくんだ。遠目から見ているだけならまだしも、ジョーくんが他のひとを愛している様子を、近くで自分と比べながら見ているのは辛すぎる。


「そうね。ありがとう、クロエ」


内心を隠すのは、アンドゥ先生のマナー教育のおかげでかなり上手くなったと思う。にっこり微笑んで、その後は他愛のない話をして。

ほんの少しだけ気分が解れたわたしは、そのまま帰宅した。




殿下は、なかなか帰ってこなかった。


それでもわたしの妃教育は続いていたのだが、日ごとにわたしへの視線の種類が変わっていった。

一週間が経ち、殿下が件の男爵領へ向かったという話が聞こえてきたころに増えたのは、憐れみと憎しみの視線だ。

気にしてしまうと、どんな噂話でも聞こえてきてしまう。


『真実の愛のお相手が見つかって、用済みとなって捨てられるであろうわたし』を憐れむ噂。

『真実の愛のお相手が見つかったのに殿下が帰って来られないのは、わたしの存在が邪魔だからだ』と憎しみを込めた噂。


人々の意識というものはこんなにも簡単に変わってしまうのだ。それに抵抗する術は、わたしにはない。

どれだけ心を抉られようとも、ただ、いつも通り姿勢よく何も気にしていませんという顔をして歩くだけだ。



元々、わたしが婚約者になったのは北国のアダーリ姫からの婚約申し込みを避けるため、国と国との衝突を避けるために、ジョルジュ殿下から頼まれたからだ。


わたし自身を望まれた訳ではないし、かりそめの婚約者だと理解している。

結婚が嫌だったら逃げてもいいとさえ言われているのは、この婚約がかりそめのものだと国側も理解しているのだろう。

もしかしたら、その男爵令嬢が戻ってくることを見越していたのかもしれない。



わたしは、ジョルジュ殿下の婚約者だけれど、彼を愛している訳ではない。

ジョルジュ殿下へ敬愛の気持ちはあるけれど、それだけだ。


でも、あの方はジョーくんでもある。ジョーくんへの気持ちは、敬愛よりももう少し深い。一方的に彼を知っているだけの状態から、認識してもらい、名前を呼ばれ、笑いかけてもらってしまったから。


ジョーくんに愛する人がいるというのなら、応援したいとも思う。

でもどうせなら、本人の口から聞きたかった。きっと彼女を連れて帰ったら、紹介とともに説明してくれるのだろうけれど。ジョーくんはそういう人だと思うけれど、わたしはその時、何を思うのだろう。


「ツバメでもフクロウでも送ってくれればいいのに」


スマホがあれば、繋がっていれば、もう少し気軽に聞くことができたかもしれない。

だけどここのリアルでは、手紙を書いて我が家専用のツバメ――イルデールの脚に括り付けるしかないのだ。ジョーくんが面倒がるのも頷ける。



視線の痛い王城へ通う日々。殿下からはまだ音沙汰がない。

屋敷に帰ればエマやヨゼフが心を砕いてくれるけれど、気の置けない家族が居ないのが寂しかった。何も言わずに抱きしめてくれるであろう両親やテオを思うと、涙が出そうなほどに寂しかった。


そんな状況の中でも、先生方の態度が変わらなかったのだけが救いだった。

むしろ、アンドゥ先生の焼菓子は増えたし、ヌルグ先生はジャスミン茶まで取り寄せてくれたし、モーリ先生はなんと肉まんを作ってきてくれたし、サワディエンヌ先生はレモネードをお土産にまでくれた。

何も言葉にはしないけれど、先生方の行動が嬉しい。


それでも、もともと病弱だったわたしの身体は、じわじわとメンタルがやられてしまうとともに弱ってきていた。


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