20.王子妃教育
無事にお披露目を終えたわたしは、翌月――誕生の月――から王城が抱えた家庭教師による教育がなされることになった。
今までもボネ家が雇った家庭教師に師事していたのだが、伯爵家が雇える教師と王家が抱える教師はレベルが違う。
そしてもちろん、伯爵令嬢と王太子妃殿下に求められるレベルも違う。歴史、外国語、マナー、ダンスはすべて専用の教師がつき、初めての公務までに叩き直されることになっている。
どこまでやれるのか、正直不安しかない。
まだマナーの先生にしかお会いしていないが、ひっつめ髪に釣り目の眼鏡、地味な茶色のドレスだった。ボネ家の教師だったタマル先生がかわいらしく見えるレベルに怖い。怖すぎる。
その後お会いした歴史の先生は白髪頭のおじいちゃん先生だったが眼鏡の奥が笑っていない気がして怖すぎたし、外国語の先生は多分北国の血が混じっているのだろう、あのお姫様みたいな赤茶の巻き髪にそばかすのおばさまで、身体が細いからか口の動きが小さいのに、早口すぎて怖かった。
最後になったダンスの先生に一縷の望みを掛けたものの、わたしが習うのは社交ダンスに近いはずなのに、腰の動きが速すぎるお姉さまだった。習うのベリーダンスとかそういうやつだっけ?と勘違いしそうになって怖かった。
そんな第一印象の先生方だったが、意外にも虐められたり怒鳴られたり、あからさまなため息をつかれたりするということはなかった。
マナーのアンドゥ先生は何かを指摘するたびに細い棒で指し示すのだが、それがわたしの身体に触れたことはない。
いつも怒っているのかと思うくらい厳しい視線だが、レッスンの最後には必ず今日のマナーチェックとしてお茶が出る。
ニコリとも笑わないアンドゥ先生だが、わたしがその時に出る焼き菓子を食べるときだけはほんの少し優しい目をしている気がする。
歴史のヌルグ先生もまったく笑いもしない先生だが、口調は穏やかだ。
ヌルグ先生もレッスンの最後にその日の復習として口頭でテストをしてくれるのだが、その時には必ず緑茶を出してくれる。
先生は砂糖をしっかり入れて飲むのだが、わたしがそのまま飲んでいるのを見るときだけは、なんとなく視線が和らぐ気もする。
外国語のモーリ先生も表情が乏しい。しかし乏しいだけでアンドゥ先生やヌルグ先生に比べれば目に感情が出やすい気がする。
早口すぎてレッスンの難易度が上がっている気がするのだが、時折ハッとしたようにゆっくり喋ってくれるときもある。そういう時はちょっとした焦りが見えて可愛らしい。
たまに手作りだという各国のお菓子を振る舞ってくれて、そんな時は照れも見える。
ダンスのサワディエンヌ先生は最初ひたすら腰を振る練習をさせられてどうなることかと思ったが、それはそれで楽しかった。
その後は普通にわたしがイメージしていたレッスンになったが、男性パートを踊ってくださるサワディエンヌ先生は、その時はちょっとカッコよく見える。
休憩用のテーブルまでエスコートしてくださるときは、宝塚にハマるお姉様の気持ちが分かるような気がした。
そんな話を、週に一度のジョルジュ殿下とのお茶会で話していると、途中まで澄ました顔でわたしの話を聞いていた殿下が突然俯いて肩を揺らし、ちょっと待てというようにわたしを手で制した。
「っ、くくっ、やば、ちょっと無理」
「え? どうされました?」
顔を上げた殿下は耐えきれないというように笑っていた。笑い声だけは上げないように何とか耐えているといったところだ。
「そんな、笑いどころあります?」
「いや、そうだよね。ごめんごめん、あんまりにも……姿が思い浮かんじゃって」
そういえば、先生方は幼い頃のジョルジュ殿下の家庭教師でもあったのだ。その時のことでも思い出したのだろう。
「あー、あのね? 俺の方には、あなたの妃教育に関する報告が定期的に上がってくるんだけど、実は全員、もう次の段階に進んでいいと言われてる」
「え、うそ! まだひと月くらいなんですけど!」
「ほんとほんと。ジュリエットは予想以上に優秀だね」
満足げに笑う殿下、いや今は俺って言ったからジョーくんだろう、ジョーくんが緑茶の注がれたティーカップを優雅に口にする。ため息が出るほど綺麗な光景だ。
ちなみに今日のジョーくんは薄い水色のジャケットに黒い蝶ネクタイだ。これももちろん衣装である。
「クレッシェ語も完璧だし、朱国の漢字も教えてもないのに読めちゃうし」
「いやクレッシェ語はともかく漢字は……」
「ふふ、いいじゃん。勘違いさせておけばいいよ。マナーも歴史もほぼ完璧であとはもう、ダンスの種類を増やすのと、北国の言葉、それに国外の主な貴族たちくらいかな? 頭に入れて欲しいのは」
「そうなんですね」
「でもね、あの人たちは花の妖精姫にそれはそれは惚れこんじゃってるから、少しでも長く続けたいのよ」
「……え? そんな感じ、まったくしませんけど」
「何しても可愛くてたまんないから、ずっと表情殺してんのよ。そのくせ餌付けは欠かさないし」
くくくっと思い出すかのように笑うジョーくん。
そういえばレッスンのたびと言っていいほどにお茶の時間がある。
「ちっちゃい妖精ちゃんが一生懸命健気に頑張ってんだもん、そりゃデレデレしちゃうよね。俺んときも餌付けされまくったなあ」
そんな話を聞いてしまえば、先生方のちょっとした仕草や行動がわたしへの思いやりに溢れていると気付いてしまう。
アンドゥ先生が出してくださる焼き菓子はわたしの好きなフィナンシェに似たものが多いし、ヌルグ先生は毎回緑茶を出してくださっていたし、モーリ先生は東方風なお菓子を作ってきてくださることが多いし、サワディエンヌ先生が休憩の時に出してくださるのはわたしの大好きなレモネードだ。
うん、順調に餌付けされていた。
「……餌付けされていました」
「はははっ、だろ? あなたが頑張ってるからだよ」
そうやって笑うジョーくんの顔がとっても優しくて、それだけですごく幸せな気分になる。
ちなみに後日、さりげなく指摘してお礼を言ったら、先生方は皆さん固まってしまわれた。普通のことをしただけで歴戦の先生方を手玉にとってしまうジュリエットの魅力が、いちばん怖いのだった。
それを言ったらまた、ジョルジュ殿下がジョーくんの顔をして笑っていたけれど。
また、ある日のこと。
この日は風が強くて、いつものガゼポではなく殿下の私室でお茶をしていた。
いくら婚約者とはいえ、室内で二人きりになるなんてはしたないという風潮がある化石のような世界だ。ドアは開けられていたけど二人きりにさせてくれたのは、殿下の信頼度が高いおかげだろう。
わたしはといえば、初めて入った殿下の私室にソワソワしていた。
この日のジョルジュ殿下はブロンズ色のラメっぽい生地のジャケットだった。ライトグレーのシャツにえんじ色のナロータイが素敵だ。シンプルだけど派手なので、これも何かの衣装なのだろう。
せっかくなので、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの……」
「ん?」
いつものようにオシャレなティーカップにいれられた緑茶を飲みながら、殿下が優しく聞き返す。この話し方はジョーくんだと、もう分かる。
「お洋服、どんな風にオーダーしても、”シャルモン”の衣装になるって言ってましたよね?」
「ああ、残念ながら」
「今まで、どんなものがあったんですか?」
「ふふ、気になる?」
ちょっと意地悪な笑顔もキュンとする、なんて思いながら首をぶんぶんと縦に振った。ここは是非とも聞いておきたいのである。
「えーっとね、最初、俺がここで気付いた時は『pétale de rose』のオープニングの衣装だった」
「『pétale de rose』のオープニング……」
『pétale de rose』は五年ほど前に出た”シャルモン”のアルバムだ。
バラの花びらという意味が表すように、セットも衣装もバラが多く使われていた。
そのオープニングに着ていた衣装といえば、ロングジャケットにそれぞれのメンバーカラーの立体的なバラがこれでもかとくっついていたものだろう。
「すんごいバラの?」
「そうそう、それ」
「えー! どういう状況で!?」
なかなかゆっくり二人きりになれないわたし達は、こんな話をしたのも初めてだったりする。
本当はこの夢からさめる方法とかを話し合いたいところだけど、ジョーくんに出会ってからのわたしはそこにこだわりが見い出せない。推しが婚約者の夢とか幸せすぎて、目が覚めたらきっと絶望しかない。
「夜会の日だった。まだ始まる前の控室、一人きりの状況で。多分うたた寝してたんだろうね、ハッと目が覚めたらそうなってて。記憶が混乱しまくってて、着てるのが衣装だからコンサート前なのかと思って、でもリハの記憶もねえし、そもそもこれかなり前のやつじゃん、いやその前にまだツアーできる状況じゃねえし……って大混乱だよね」
「ひえぇぇ」
「しばらくしたら、誰かが呼びに来て、訳も分からずついていったら城の広間で凄い数の家臣に跪かれてた」
「こっわ! よく乗り切りましたね!」
「そこに立ったらジョルジュの記憶がじわっと出てきてさ。元々愛想の悪い奴だったから、一言喋ってずっと黙ってた」
この度胸が凄すぎる。わたしなんてエマに優しくされてただけだもの。もしわたしがそんな状況になっていたら、気絶している自信がある。
「ここに戻ってきて、クローゼットの中見てびっくりだよ。入ってんの”シャルモン”の衣装ばっかりでさ、しかも超派手なやつばっかり」
「え、例えば?」
「『coccinelle』のオープニングの水玉模様のやつでしょ? 『la mer』の赤レザースーツとか、一番地味だなって思えたのが『Piere』のときの薄い紫色のスーツ」
「それも派手ですよね……」
「さすがに目が痛いし、もっと落ち着いた色がいいってリクエストしてみたら、『fou d’amour』で着てた赤と黒と金の衣装が出来上がってきて」
「お、おちついた……?」
「今度は、もっと地味なやつがいいってストレートにオーダーしてみたら、リュカが仕入れてきたっていう、柳くんがデザインした衣装が出来上がってきて」
「おお……」
りゅっちは、とある番組に出てから水彩画の才能を開花させたので、それを衣装のデザインに生かしたことがある。
二年前のツアー中に着ていたもので、確かに色合いは地味だが形が独特で、シャツとパンツの間、腰にヒラヒラした色んな色の生地が巻ついている。決して地味な衣装ではない。
そもそも衣装なのだから地味になりようがないのではと思う。
「黒とか紺とかねえのかよって言ったら、バルマスケのやつと、ミュゲの紅白のやつが出来てきた」
「お疲れさまでした……わたしが見たジョーくんは努力の賜物だったんですね」
ほうっと息を吐きながら言うと、ジョーくんは苦く笑った。
「いや素面で衣装着てんのも超恥ずかしいんだけどね? 普通のスーツじゃ何でダメなんだろうね」
「わたしには眼福です」
「そうだ、クローゼット見てみる?」
「え? いいんですか!?」
わたしの表情が分かりやすく輝いたのだろう、ジョーくんが得意げに笑って立ち上がった。そして部屋の奥にあるクローゼット、いやウォークインクローゼットへ案内してくれる。
「どうぞ? ここにあるのは一部だけどね」
そう言ってドアを開けてくれた中には、眩しいくらいの衣装がズラリと並んでいた。否応なしにわたしのテンションが上がってしまう。
「わ、これ『coccinelle』の! これはこの前のセラヴィー! それにこれ『enchanté』じゃないですか! 『rêve』の白い羽根もある! じゃああれは? その後に着てたブルーグリーンみたいな絶妙な色の!」
「あー。そういやあれはまだ見てないな」
「わたし、あれも好きだったんですよね」
「ふーん、五本指に入るくらい?」
「そうですねえ。選ぶの難しいけど、それと、セラヴィーのコレと、あと『amulette』の白いシャツにリボンタイの衣装は確実に五本指に入りますかね」
「そっちもまだ見てねえな」
「楽しみが増えました!」
「いやいや、そもそも俺は衣装から脱却したくて頑張ってるんだけどね?」
そんな事を言いながらも、テンション高く衣装を見ているわたしへの視線は柔らかい。
こんなふうに、この週に一度のお茶会は、わたしにとってかけがえのない時間だ。
頼りになるテオも、父も母も、家族は皆領地へ帰ってしまった。
寂しくともジュリエットとして頑張る毎日の中、とっても贅沢な御褒美の時間。
建前は婚約者同士の仲を深めるお茶会だけど、わたし達にとっては友梨亜とジョーくんとしてゆっくり話すことができる時間。
殿下がジョーくんの顔をして話してくれるたび、わたしはどんどん彼に惹かれていく。
元々好きだったけど、この気持ちが推したい気持ちの延長のままなのか、恋心に変わってしまったのか、わたしにはまだ分からない。だけどそれでいいと、少なくとも今はそれでいいと思っていた。
そんな風に日々は過ぎ、少しずつ殿下との、ジョーくんとの距離も縮まっていったのだ。




