18.婚約
次の週、父と母が王都へ戻ってきた。
両親が帰ってきた馬車にはもちろん六本足の馬、シュヴァールが繋がれていた。
友梨亜は初めて見た本物のシュヴァールの大きさに、死ぬほど驚いた。本当に象みたいな大きさだったのだ。全然馬じゃないのに、姿形は馬としか言いようがなかった。
馬で驚いているわたしが、熊を見たら一体どうなるのだろう。ジョーくんの言葉を思い出してゾッとした。
引きこもり万歳である。
そして、すぐにジョルジュ殿下とジュリエットの正式な婚約が結ばれた。
我が家が揃って謁見のあと、王家とボネ伯爵家が見守る中、大聖堂で宣誓のあとにサインをする。ただそれだけの婚約式だった。
リロイ王国、というよりこの国を含む大陸全土らしいが、この周辺で信仰されている宗教に名前はない。神も多く存在していて、創造神クーリエ、その妻で美の女神マーリーがツートップ。この二神の子どもたちが八神いて、それぞれの名前がついた十か月で一年とされている。
他にも週や曜日に値するものも、それぞれ神様の名前がついている。神様がいたるところにいるという考え方は日本人の友梨亜にも馴染深い。
婚約も婚姻も、クーリエとマーリーに誓うことで成される。しかし婚約は儀式的にはあまり重要視されておらず、こういった簡易なもので済ませるのが普通だった。
その日のうちに王家からの発表もされて、ジョルジュ殿下の婚約者としてわたしの周りは一気に慌ただしくなった。
そして月末――今は夜神の月である――、わたしたちの婚約お披露目のための夜会も開かれることになり、わたしはその準備に追われていた。
ドレスはまたしてもリュカが生地を献上したらしく、今度は着物で使われるような金襴のようなものだった。なんだがエキゾチックな仕上がりになりそうだ。
王城のシェフはなんと餃子も作り上げてしまい、当日は肉まんと餃子も並ぶそうだ。
煌びやかな会場とキラキラのドレス、タキシードの人々の中で並ぶのが肉まんと餃子ってアリなのだろうか。殿下がオーケーを出したから、良いのだろう。
そして迎えた、お披露目夜会当日。
わたしは王城で支度をすることになっていて、前日からエマとともに泊まり込んでいた。
そして早朝に起こされ、お風呂に入れられ、ゴッドハンドレベルのマッサージを受け、全身ピカピカに磨き上げられていた。王妃付き侍女たちのスキルはものすごかった。
リュカが用意してくれた生地で出来上がったのは、着物のような印象のドレスだった。
黒いしっかりした生地で、シルエットはベアトップのマーメイド。腰には右前に立体的な大きなリボンがあるのだが、それが帯のような金襴との組み合わせになっている。
金襴は腰のリボンから後ろの裾にまで広がっていて、後ろから見る方が華やかだ。だけど前から見ると、黒い生地の裏地が赤だから、歩くたびに裾から赤がちらっと見えて、それもかわいい。
ジュリエットにしてはかなり大人っぽいデザインで、でも鏡では友梨亜にしか見えないわたしにしてみればありがたい。ドレスに合わせてメイクもハッキリしてくれたので、皆からはかなり大人びたジュリエットに見えていることだろう。
「ジュリエットお嬢様、今日は一段とお綺麗ですわ」
「本当に。花の妖精姫というよりは、月の女王様のような」
「ええ、ええ! 夜を支配されているかのような」
「素敵です! ご婚約おめでとうございます」
エマを始め、侍女たちが次々と誉め言葉をくれる。また恥ずかしい二つ名が誕生しそうで恐ろしいが、それには触れずににっこりと笑った。
「ありがとう。あなたたちのおかげよ」
「では、殿下がお待ちですのでこちらへ」
招待客が続々と到着している時間なのだろう。王城内は既に賑やかな雰囲気だ。だけどわたしがいるジョルジュ殿下の住まいに近い場所には人影は少ない。
大広間の方へ向かう廊下近くに、既にジョルジュ殿下が待っていた。その姿が近づくにつれ、わたしは表情を保つのに必死だった。
(だって! 今日の衣装!!! 『C'est la vie』じゃないですかぁ!!!!! 軍服! マント! 片側マント! わたしのだいすきなやつ!!!! ひぃぃカッコ良すぎる!!! やばい、ニヤニヤしちゃう。ジュリエットがんばれ! どうにかがんばれ!)
今日のジョーくんは、この前音楽番組で見たばかりの新曲『C'est la vie』の衣装を着ていた。
わたしの性癖を直撃する軍服姿、片側マント。カッコよすぎてもうしんどい。
「お待たせ、致しました」
「いや。まだ時間はあるから、控えの間まで行こうか」
そう言って手を差し出してくるジョルジュ殿下。ついついそちらを見てしまうと、今日もばっちりオールバック気味に流したジョーくんが居た。
手を重ねながら目を伏せる。麗しすぎて見ていられない。そんなわたしの気持ちを見透かしたように、頭上でフッとジョーくんが笑ったのが分かった。
視線を落としたものだから、ジョーくんの衣装がよく見える。
わたしの金襴とマントの生地がお揃いだった。裏地が赤いのもお揃いだ。歩くたびに、膝近くまであるマントが揺れて赤い裏地が見えている。
しかも腰には黒いサーベルまで携えていて、とにかくめちゃくちゃカッコいい。語彙力壊滅。
「その顔は、これが何かは分かってる感じ?」
エスコートされながらそっと囁かれる。前後には侍従や護衛が居るから、ドキッとしたところでそれは出せない。何事もない顔で歩きながら頷く。
「困ったことに、五本指には入るくらい好きな衣装です」
「ははっ、困るんだ?」
「さっきからにやけちゃいそうで……」
「全然普通だから大丈夫だよ」
「めっちゃ頑張ってますもん」
ひそひそとそんな会話をしながら歩いていると、控えの間についた。
まだ伯爵家が到着している時間帯だということで、一息つこうということになる。ソファーに浅く腰掛け、ふっと息を吐いた。ジョーくんがニヤッとしながらわたしを見る。
「緊張してますなあ」
「経験値が少なすぎて……こんなに注目される機会もそうないですし」
「それはこれから慣れていくしかないよね。今日は外国からのお客様も多いし」
「そうなんですよ。北国の方も、いらっしゃるんですよね?」
「例のお姫様がね。面倒なことにねじ込んできてね」
「……こわ」
「まあ、今日は俺が離れないから大丈夫でしょ」
軽々しくそんなことを言うジョーくんに、胸が高鳴る。全然慣れてくれない。カッコいいなあ、ホントに。
「それもあるんですけど、わたし、まだあんまり北国の言葉話せなくて……ドイツ語みたいな感じしません?」
「あー、そっちね。大陸共通語で大丈夫よ」
「そうなんですか?」
「うん、この国ではね。向こう行ったら話せないとだめかもだけど」
その言葉にホッと安心できた。ジュリエットは身体が弱かったせいで、こういった外国の方をお招きするような夜会へは参加したことがない。記憶にないほど幼い頃はあったようだが、そこでは言葉の心配などする必要もなかった。
「まあ、外交へ行くようになるにはまだ時間がかかるだろうし、ゆっくり勉強してくださいな」
「ジョーくんは、話せるんですか?」
「一応ね。幼少時から叩きこまれてますから、殿下が。記憶はあるよね」
「すご……」
「今日の心配はそれくらいかな?」
「はい。緊張はしますけど、がんばります」
「いいね。がんばろうぜ」
ジョーくんがふふっと笑ってくれる。その優しい視線だけで、いくらでもがんばれる気がしてしまう。
「今日はめっちゃ大人っぽくて、可愛いってより綺麗だよね。似合ってるよ」
「……ありがとうございます」
「お、今日は素直だな」
「ジュリエットが褒められてると思うようにしています」
「今日は絶賛の嵐だろうからね、その方がいいかもね」
やっぱり中身が今のジョーくんだからだろうか、空気が穏やかだ。
目の前にいるカッコよすぎる姿はドキドキするけれど、わたしも慣れていかなくてはならない。このひとはそれを見透かした上で、たまに意地悪をしてくるから気が抜けないけれど。
コンコンとドアがノックされ、向こうから「そろそろお時間です」と侍従の声がした。ジョーくんがサッと立ち上がり、わたしに手を差し出してくれる。それはもう、ジョルジュ殿下の顔だった。
「行こうか」
「はい」
立ち上がってそっと手を重ねた。かすかに震えていたのは、気付かないでいてほしい。
そのままエスコートされ、大広間への扉の前へ立つ。
既に国王陛下と王妃陛下も入場したようで、ドアの向こうは静寂だ。小さく、国王陛下が話している声が聞こえる。この婚約に至った経緯などを話しているようだ。
そしてわたしたちの名前が呼ばれ、ドアが開けられる。
信じられないくらい多く、とは言っても”シャルモン”のコンサートよりは少ない視線に晒されながら、玉座の方へ進んでいく。
気を抜いたら足が震えてしまいそうだ。微笑を崩さず、姿勢よく、優雅に。それだけを念じながら歩いた。
「息子がようやく伴侶となる女性を決めた。ジュリエット・ボネ嬢だ。花の妖精姫とも呼ばれるこのように素晴らしいご令嬢を、王家の一員として迎えられることを、私も嬉しく思う。みな、今日は祝いの席だ。この初々しい二人にも祝いの言葉を」
(ひぃぃ! その恥ずかしい二つ名を!! 公式発言としないでください国王陛下!!)という、珍しく友梨亜とジュリエットの一致した叫びを言葉に出来るはずもなく、だけど殿下の腕を掴む手に力が入ってしまった。ふっと横から笑みがこぼれたのが分かる。
くっそ、ジョーくん絶対面白がってる。
下に見える貴族たちが口々にお祝いの言葉を言い出し、空気がざわめく。それを制するようにジョルジュ殿下が手を上げ、わたしとともに一歩前に進んだ。
「祝いの言葉、感謝する。皆を始め、国民にももどかしい思いをさせたかと思うが……結果として、このように素晴らしい理想的なご令嬢と巡り合えたことは、私にとってもこの国にとっても僥倖なことだった。さあジュリエット、あなたの声も聞かせて」
いつになく饒舌なジョルジュ殿下に促されるままに、わたしは精一杯の微笑を見せた。
「ジュリエット・ボネです。殿下のため、この国のため、精一杯努めてまいります」
そう言うと、拍手が聞こえた。そちらを見れば、わたしの愛する家族が、両親とテオ、その婚約者であるサラ様がいる。お父様が拍手をしていて、それにならってその周囲から拍手が続く。
それは大きな波となり、会場全体を覆っていった。
よかった、どうやら全体的には歓迎ムードのようだ。ところどころ、目が笑っていないひともいるけれど。
それと、視線を合わせないようにしてはいるけれど、来賓の一角も雰囲気が刺々しい。きっと北国のお姫様がいらっしゃるのだろう。怖い。
落ち着いた所を見計らい、王が立ち上がる。そして宴の開始を告げた。
これからは挨拶地獄だ。外国からの来賓を始め、国内の貴族からも挨拶が続く。そのすべてににこやかに微笑みつつ、揚げ足を取られないような発言をしなければならない。




