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17.顔



疲れ果てたわたしは、エマにされるがままの状態でその日は寝てしまっていた。


ぐっすりと深く眠っていたわたしを、エマが控えめに起こしてきたのはまだ早い時間帯だった。


「ん……もう少し、寝てはだめ?」

「ジュリエットお嬢様、殿下が来られるそうです」

「そう、殿下が……えっ!!!」


その一言で飛び上がったわたしは、目を丸くしてエマを見上げた。


「え? 殿下が? なぜ?」

「用件は分かりかねますが、とにかくご用意を。急ぎましょう」


よほど慌てているのだろう、屋敷の中も既に動き出している気配がする。エマだけでなく他のメイドもやってきて、わたしの身支度も超特急で仕上げられている。


わたしの準備が終わったころ、テオが部屋へやってきた。とても不機嫌な表情だ、仕方がないけれど。


「……今日も可愛いな、くそっ」

「お兄様……もう、何なのですか」

「……ああ、可愛い」


昨日からテオのポンコツ具合がひどい。これはそろそろサラお義姉様を召喚するべきではないだろうか。

内心ではそんなことを考えながら、テオにエスコートされつつ広間へ急ぐ。


「お兄様、殿下はどうされたのですか?」

「俺にも分からん。でもお忍びで来るのは間違いない。昨日の今日で何だっていうんだか。どうせジュリエットの可愛さにやられて耐えきれなくなったんだろ」


(いやいやいや、残念ながら殿下は中身三十二歳のジョーくんなのでジュリエットにそんなこと思っていたら犯罪臭が半端ないですから。そもそも昨日、わたしの名前を聞いてからはジュリエットじゃなくて友梨亜に見えてるんじゃなかったっけ?)


ソファーに座りながら待っていると、程なくして我が家の執事であるヨゼフが馬車の到着を告げてきた。


玄関までお出迎えに立っていると、地味な馬車から今日は普通のスーツ姿のジョルジュ殿下が降り立ってきた。普通とはいえシャツはストライプだし、ネクタイは紫だから、きっとこれも何かの衣装なんだろう、どんな風にオーダーしても衣装しか出来上がってこないって言ってたし。どんな縛りだ。


「朝早くから失礼する」

「ようこそいらっしゃいました」


歓迎の言葉を、まったく歓迎していないように言うテオ。ジョーくんはふっと笑って、テオが先導するままに後ろをついていく。

我が家の中で一番格調高い応接間に案内され、殿下が上座に座った。わたしとテオも向かい合う形で座る。ヨゼフが気を利かせて烏龍茶をいれてくれたようだ。合わせるのが焼菓子なのは微妙だけれど仕方がない


「テオ殿。……ジュリエット嬢に確認したいことがあるのだが、二人にしてはもらえまいか」

「まだ婚約前の身で、そうそう二人きりというのはいかがなものでしょう。昨日の今日ですし」

「そう言われると思って内密で来た。大切なことなのだ、頼む」


頭を下げずとも、殿下からそんな風に言われてしまえば、これ以上は失礼に当たってしまう。テオに目配せすると、渋々感を隠しもせずに立ち上がった。


「ドアは開けさせて頂きます」

「ああ、構わない」

「なるべく手短にお願い致します」

「わかった」


テオと殿下の侍従が出ていくと、部屋は一気に静かになった。ドアは開けられたままだが、話し声が外まで聞こえるわけではない。

二人きりになったのを確認したジョルジュ殿下は、ふっとジョーくんの表情になった。


「ごめんね、朝から」

「いえ……でも、どうしたんですか?」

「そう聞いてくるってことは、あなたは何も変化がなかったってこと?」

「え?」


何か変わったことがあったのだろうか。昨日帰ってすぐに寝てしまったとは言い出しにくい雰囲気だ。


「俺はね、昨日の夜、鏡を見たら、譲の姿が見えた」

「……え?」

「うん、そういう反応になるよね。あなたは鏡見てない?」


言われてみて気付く、わたしは今日まだ自分の姿を確認していない。慌ただしかったせいもあるし、基本的にエマに任せているから、気にしていなかった。

部屋を見回せば、鏡はないけれど飾り棚にガラスがはめ込まれている。そこで確認出来ないだろうか。


「あの、ちょっとお待ち下さい」


そう言って立ち上がり、飾り棚の前まで歩いた。わたしの意図を把握したのか、ジョーくんも後ろからやってくる。


ガラスに映る自分を見て、わたしもさすがに驚いた。


だって、そこに映っているのは、妖精でも何でもなかったのだ。ぱあっと鮮やかに思い出した、友梨亜の顔だった。


「え!」

「あ、あなたも見えたんだ?」


そう言って後ろから覗き込んできたジョーくんが、わたしと並ぶ。

ジュリエットとジョーくんならまだしも、友梨亜とジョーくんが並んでいるのは違和感しかない。

というより、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。いくらきちんとメイクをしているからといって、ドレス姿の自分とジョーくんが並んでいるのは恥ずかしすぎる。


「え、これ、なんで?」


だけどわたしが自分を見下ろしても、肌の色はジュリエットの白さのままだ。映りこむわたしだけが友梨亜に見える。


「何なんだろうな。昨日、あなたの名前を聞いた瞬間から、俺にはあなたの姿が変わって見えたから、ほんとの名前が何かのきっかけなのかもしれないけど」

「でも……わたしには、ジョルジュ殿下は何も変わって見えません」

「多分だけど、名前を知ってるかどうかが関係してるんじゃ? あなたは俺の名前を知っていた。だけど俺はあなたの名前を昨日初めて知ったから」


名前を聞いた瞬間に変わって見えたという経験がわたしにはないから、それがどんなものなのか上手く想像できない。だけど実際に体験したジョーくんは名前がきっかけになった確信があるのだろう。


「じゃあ、わたしもジョーくんに名前を知られたから、自分がこんなふうに見えるように……?」

「いや、それだと俺は前から知られていた訳だから、昨日まで自分の顔が見えなかったのはおかしくない?」

「あ、そうですよね……。じゃあ、何がきっかけなんだろう?」


確かにわたしも昨日までは鏡を見てもジュリエットの姿しか見えなかった。昨日ジョーくんと話したことがきっかけなのは間違いないだろう。


「あの……でも、これはこれですっごく恥ずかしいんですけど」

「ん?」

「わたしが、ドレス着て、ジョーくんと並んでるの」

「ああ、日本人としてね? 俺は衣装だから慣れちゃったけど、そっちは完全にドレスだもんね」

「ジュリエットだから着こなせてるのに……無理、もう鏡見られない」


さっと視線を逸らして俯く。ジュリエットだから、絶世の美少女だからジョーくんの隣に立っていられたのに。


「俺はどっちも可愛いと思うよ?」

「……そうですか」

「信じてないなあ、ショックだわー」

「当たり前じゃないですか」

「いやホントに、俺としては友梨亜ちゃんに見える方が罪悪感なくていいよ。ジュリエットの見た目だとどうしても色々抵抗あってさあ。ジュリエット、どう見ても子どもじゃん? いくら婚約者だっつってもねえ」


確かに、三十二歳のジョーくんの感覚ならば見た目十七歳以下のジュリエットを婚約者にするのは抵抗しかないだろう。


「だから、友梨亜ちゃんのドレス姿も可愛いって思ってるよ?」


前を見れば、ガラス越しのジョーくんがふふっと笑っている。衣装だからなのか、もともとカッコいいからなのか、様になりすぎている。顔が熱い。


「すぐ赤くなるし」

「……ジョーくんがカッコよすぎて腹立ってきました」

「何だよそれ」


ハハッと笑ったジョーくんが大人の余裕で流してしまう。わたしの手を取ってソファーまでエスコートしてくれるのも、自然すぎて抵抗もできない。


「今日はそれだけ確認しに来たの。さすがに俺も驚いて、消化しきれなくて」

「……驚きました」

「俺だけじゃないって分かって安心したわ。何が何だかさっぱりだけど」

「ほんとに、さっぱりです」

「まあ、また何かあれば……連絡するのも会うのも大変だよなあ。スマホあれば一発なのに」

「ですよねえ……」


しかし、そんなことは今更言ってもどうしようもない。


「毎回ツバメ呼ぶの面倒なんだよな」


その言葉で思い出すのは、ツバメに似た鳥を使った郵便だ。伝書鳩ならぬ伝書ツバメ。

とはいえ似ているというだけで、ツバメよりは二回りほど大きいし、尾は赤いが頭は青い。本当の名前はイルデールという。

ここで郵便といえば鳥を使ったもので、目に見える近いところはこのイルデール、目に見えない遠いところはフクロウに似たイブートを使うのが主流だ。


「やっぱりツバメって呼んじゃいますよね」

「あれはツバメにフクロウだろ。たまにホントに呼んじゃうから困るけど」

「ふふふっ」

「笑ってるけどさ、そのうち友梨亜ちゃんもやらかすからね? 馬とか熊とか虫とか、訳分かんねえのいっぱいいるし」

「あー、わたしはあんまり外に出してもらえてないから、まだよく分からないんですよねえ」

「じゃあまだ熊見てない?」

「見てないですね」

「マジかよ。一回見といた方がいいよ。予備知識ないと怖すぎるから」


一体どういうことなのだろう。ジュリエットの記憶を探ってみても、熊は熊でしかない。知らないということだ。


「ああ、話がずれた。とにかく、ありがとね。じゃあ俺帰るから、このまま玄関まで行こうか」


そうして、朝早くの訪問からジョーくんは帰っていった。

お忍びとはいえ王族を迎えるのは大変なことらしく、執事を筆頭に多くの使用人が安堵していた。


わたしはといえば、その日は部屋に引きこもってずっと鏡を見ていた。


忘れてしまったと思っていた友梨亜の顔。ジュリエットのような絶世の美少女ではないけれど、これでも長年見てきた愛着のある顔だ。

ジョーくんの隣に立つのは恥ずかしいけれど、この顔を見ることができたのは嬉しかった。


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