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16.婚約者



(こ、こんやく、いや聞き間違い? 婚約者? いや婚約って、だってジョーくんなのに、ええええ???)


「……おーい」

「はいっ!! いえ! あの、え??」

「あ、戻ってきた」


どうやらジョーくんは固まるわたしの前で手を振り続けていたらしい。視界を肌色がよぎってハッとする。


「ごめん、びっくりさせて。いやー……大変言いにくいことなんだけどね?」

「はい……」

「俺、今殿下じゃん?」

「はい」

「なんなら実質王太子なんですよ。しかも既に成人している。……あなたも、ジュリエットの記憶はあるよね?」

「……はい、途切れ途切れですけど」

「俺にもジョルジュの記憶があるからさ、今の立場で結婚もしていない、婚約者も決まっていないっていう状況で成人したのは非常にまずいわけ」


それはそうだ。わたしの中のジュリエットもうんうんと頷いている。


第一王女殿下が嫁いだ南国や砂漠に阻まれている東方、そして海を挟んだ西国はまだいいが、もうひとつの国境を挟んだ北国とはあまり状況がよろしくない。戦争をしているわけではないが、常に緊張感がある。

もし今戦争が起きたり、王が亡くなってしまったりしたら。王太子ではないジョルジュ殿下が王になるには、ひと悶着ありそうだ。

だってこの国では妻帯せずに王太子にはなれない。だからジョルジュ殿下はジョルジュ王太子殿下ではないのだ。


「確か、候補者の方がいましたよね?」

「ああ……あれ、めちゃくちゃ大変だったんだよなあ」

「申し訳ないのですが、わたしは詳細を知らなくて」

「身体弱かったんだっけ?」

「はい、ほぼ引きこもりで学園にも行っていません」

「そっか、それなら仕方ないか。でもこれ、長くなるけどいい? 時間大丈夫? ってかそろそろ寒くなってきたな」


確かに日差しは陰ってきた。言われてみれば、肌に当たる風が冷たい。


「つうかテオが待ってるんだよね? あいつ怖いから、そろそろ解放した方が良さそうだな」

「ほんと、すみません……」

「だからいいって。でもどうすっかなあ。ああ、もうとりあえず詳細はゆっくり話す時間取るからさ、婚約だけしてくれる?」

「えっ!!」

「あ、レオンとかリュカを狙ってた?」

「ええっ!とんでもないです!」

「テオは実の兄だし」

「何とも思ってません!」

「じゃあ、俺でもよくない? 親に言われた誰かと婚約するより、日本の話できる俺の方がいいと思うけどなあ。今日楽しかったでしょ?」


つまり、それがジョーくんの想いでもあるのだろう。

この国では政略結婚が未だにまかり通っている。恋愛結婚もあるにはあるが、親が相手を決めるのが一般的だ。

ジョーくんがわたしとの時間が楽しかったと思ってくれるのは嬉しいけれど、どうしても婚約という言葉に身構えてしまう。それは友梨亜の気持ちだろう。


「それは、そうなんですけど……」

「でしょ? 俺もそうよ? すんげえ気の強いお姫様より、あなたの方がよっぽど魅力的だと思うし」

「あの、でも」


それでも返事を出来ずにいると、ジョーくんは小さく息を吐いてわたしを上目づかいで見上げた。何それかわいい。


「……これを言うと断りにくくなっちゃうと思うけど、言っちゃうよ?」


上目づかいのままのジョーくんが可愛すぎて内心悶えているわたしに、ジョーくんはどんどん畳み掛けてくる。


「俺がフリーになっちゃったもんだから、北国からお姫様が送り込まれようとしてんの」

「えっ」

「まだ正式じゃないけどね? 水面下で色々揉めてんのよ。正式な形になる前に、さっさと決めろってうるせえんだよなあ。確かに申し込まれたらくっそ面倒なのは分かるんだけど。下手したら戦争になりかねないし」

「せ、戦争ですか……」

「バカみたいだよなあ。だから俺も色々探してたんだけど、ジュリエットちゃんなら条件的にOKだし。俺としても、あなたがいいなって思って」


そんなことを言われて、しかも大好きなひとから言われて、心が動かないならそれはもう人間じゃない。


「……でもわたし、ほんとにジョーくんの、美山譲くんのファンなんです」

「うーん、別にいいけど」

「えっ? いいんですか?」

「うん。今更そんなこと問題じゃなくない? だって俺、今は美山譲じゃないし。あなたもここでは宮崎友梨亜じゃないでしょ」


そう、わたしにはジョーくんにしか見えないけれど、この人はジョルジュ殿下なのだ。この国の、王になるひと。


「殿下の婚約者ってことは、王太子妃になる……?」


つまりは将来的に王妃になる可能性があるのだ。


(王妃? わたしが? 無理じゃん?)


「お、それを悩み出したってことは、前向きになったってことね?」


頭の中を見透かしたようにジョーくんが笑う。前向きではないけれど、ジョルジュ殿下と並ぶジュリエットを思い浮かべてしまったのは事実だ。


「んじゃ、ダメ押しといきますか」


そう言うとジョーくんがサッと立ち上がった。

瞬きする間に、わたしの前で片膝をついて跪く。椅子に座ったわたしより、ジョーくんの視線が下になる。

そのままわたしを見上げたジョーくんが、スッとわたしの左手をとった。そしてわたしを見上げ、じっと見つめた。


「ジュリエット・ボネ嬢。どうか私の婚約者になってください」


(っっっ!! 心臓が!!! 止まるかと!!!! 思いました!!!!!)


死にそうなのは分かっているはずなのに、ジョルジュ殿下はわたしの左手の甲にそっと触れるキスをした。ふりじゃなくて、一瞬だけ本当に触れるキスを。


真っ赤になったわたしが硬直していると、手をとったままの殿下がジョーくんの顔になった。

どう見てもからかっているときのジョーくんだ。メンバーを弄っているときの。


「言い忘れたけど、結婚が嫌だったら逃げていいから」

「……え?」

「とりあえず婚約だけしてくれたら、あとのことはあなたの気持ちに任せるってこと」

「そ、そうなんですか……?」

「ま、俺としてはそのまま結婚してくれると嬉しいけど、こればっかりはね? 相性もあるし友梨亜ちゃんの気持ちも尊重したいし」

「でも……逃げるなんて」

「ボネ家なら何とでもするでしょ?」


それは確かにそうかもしれない。わたしが本気で嫌がれば、両親も兄もどうにかして逃がしてしまいそうだ。

それを分かった上でこう言っているということは、ジョーくんは、ジョルジュ殿下は本気で今、わたしを婚約者の立場に置きたいだけだということだ。


「婚約、だけ」

「そう。とりあえず、婚約だけ。俺を助けると思って、ぜひ」


それほどまでにこのひとが困っているのなら、そしてわたしが力になれるというのなら。


「……はい」


しっかり目を見て頷けば、ジョーくんはふっと息を吐いてわたしの手を額に押し当てた。

それだけで、ジョーくんもかなりの緊張をもってこの話をしてくれたのだと分かる。


わたしの手をそっと離したジョーくんが、向かい合った席に戻る。

座ってこちらを向いたジョーくんは照れくささを隠しきれない笑顔だった。こんな表情を見られただけでも、何でもできるというものだ。


「ありがとう。本気で助かる」

「はい、頑張ります」

「頼む。多分、妃教育とかで忙しくなると思うけど」

「……あ、そうですよね」

「俺も出来るだけ顔出すし。何か困ったことあったら言ってね」

「はい、分かりました」

「詳しいことはまた日を改めて。とりあえず、テオのところまで送る」


テオと聞いてハッとする。

勝手に婚約を決めてしまったけれど、テオが聞いたら何と言うだろうか。その前にどう説明すればいいのか。

青ざめたわたしに気付き、ジョーくんが立ち上がって手を差し伸べてきた。


「大丈夫だって。あいつにはちゃんと話通してあるから」

「え?」

「あなたのお父上にもね? さすがにこの世界、当人たちだけの気持ちだけで決めるってわけにはいかないから」

「あ……それも、そうですよね」

「で、ボネ伯爵もテオも、あなたの気持ち次第でOKだって言うからさ。まああの辺はここのところの事情も知ってるから、そう言ってくれると思ってたけど」


テオはそんな素振りを見せなかったのに。困ったことになった、と言っていたのはここまで含んでいたのだろうか。


「だから、あなたは……ジュリエットって呼んでいい?」

「は、はい」

「ありがと。ジュリエットはなるべく、幸せそうにしていてくれるとトラブルが減るから」


そう言いながら、ジョーくんはわたしの手を引き寄せて立ち上がらせてくれた。そのままエスコートされて歩き出す。


「……がんばり、ます」

「ふふ。二人きりの時は友梨亜って呼んでもいい?」

「っ!!」


少しかがんだジョーくんが耳元でそんなことを囁くものだから、わたしはまたしても顔が熱くなってしまう。それを見たジョーくんが楽しげに笑っている。


「もう! やめてくださいよ」

「ごめんって。反応が可愛らしすぎて」

「ご自分がイケメンすぎる自覚あります? ほんと勘弁してくださいよ」

「いやいや、あなただって妖精ちゃんじゃん?」

「でもそんな風に見えてないくせに。殿下は殿下でもジョーくんでもどっちにしろカッコいいのに」

「あなたも可愛らしいって言ってるじゃない」

「嘘つき」

「くくっ、無駄に頑固。それとも照れ隠し?」

「もう!」


こんな会話をしていると、いつの間にか庭を出て廊下を歩いていた。向こうから歩いてくる人たちがサッと避けて一礼する中を進んでいく。

テオと別れた部屋の前まで行くと、その前に立っていた騎士が敬礼をしてドアをノックした。

程なくしてドアが開き、テオが出てくる。そしてわたしたちの姿を見ると、不機嫌そうに眉をひそめた。


「……どうぞ、中で話しましょう」

「ああ」


殿下の皮をかぶったジョーくんが、慇懃な態度でわたしをエスコートしながら入っていく。そしてわたしを隣に座らせた。


「見れば分かりますが、一応、念のため、結果をお伺いしても?」


殿下の前でそのふてくされた態度は不敬にあたるのではないだろうか。

ジョーくんは、ジョルジュ殿下は気にしないだろうけれど。テオのことだからそれを理解した上でのこの態度だろう。


「ああ。無事、了承してもらえた」

「……ジュリエット、本当にいいのか?」


殿下へ向ける視線とは打って変わって、心配そうな顔になるテオ。ちょっとだけ胸が苦しくなったけれど、安心させるように微笑んだ。


「もちろんです。光栄に思います」

「なら……いい」


呟くように答えたテオが、立ち上がって頭を下げた。


「殿下、妹のことを宜しくお願いいたします」

「分かった。必ず守ると誓おう」


その返事を聞いたテオは安心したように座り込む。わたしはといえば、そのセリフにきゅんきゅんしていた。


(必ず守るって! 誓うって!!! キャー! ていうか花ジョーやっば! この二人が並ぶと一人の時より迫力三割増しでカッコよすぎるよー!)


「伯爵の戻りは来週だったか?」

「はい、今のところ変更はありません」

「急ですまないが、発表もその日に行うことになった」

「……状況が?」

「ああ、向こうもなりふり構わずといったところだ」

「仕方ありませんね。まあ、ジュリエットの姿を見れば諦めもつくでしょう」


さらっと出た兄バカ発言に苦笑する。隣の殿下を見上げれば、殿下もふふっとわたしを見て笑っていた。


「……兄の前でいちゃつかないでもらえますか」

「え!」

「いや別にそんなつもりは」

「目で会話をしたでしょう! 今!」


それはイチャイチャと言うのだろうか。シスコンが過ぎる兄が仕方ないよねって、そんな会話で、甘さも何もあったものじゃないのだけれど。


「あー、すまなかった。まあとりあえず今日はそれだけだから。詳細はまた追って誰かを遣るから」

「……はい」


ふてくされたままで返事をするテオに頷くと、ジョルジュ殿下はわたしの方を向いた。


「じゃあ、ジュリエット。またな」

「はい」


カッコよすぎる微笑を見せたジョルジュ殿下は立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。その姿を追うようにドアを見つめてしまう。何あのカッコいいひと。


「……見とれすぎじゃない?」

「え!」


不機嫌な声にパッと前を向けば、テオがじとっとした目でわたしを見ていた。


「なんだよ嬉しそうにしちゃって。心配してたこっちがバカだろ。呼び捨てされちゃってるしさ、いつの間にそんなに仲良くなっちゃったわけ?」

「お、お兄様?」

「あー!! 俺の可愛いジュリエットが!!」

「ちょ、落ち着いてください、お兄様! 帰りましょ? ね、帰りましょう?」


そうなだめながら、その日は何とか帰宅したのだった。


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