13.クロエ
それからも、わたしの社交は細々と続いていた。
テオと一緒に、テオの婚約者であるサラ様のガニョン家が主催したごく私的なお茶会へお邪魔したり、レオンのモロー家が主催した少し大きめの夜会へ出掛けたりと、ジュリエットは少しずつ社交界へ慣れていった。
声を掛けられることも増え、ほとんどは隣にテオが居たせいで男性と盛り上がることはなかったが、リュカの従妹であるクロエ・デュポンとは仲良くなることができた。
クロエのデュポン子爵家は、リュカのラフィット家を支える家の一つだ。
砂漠の向こう、東方アケの国との貿易にも一役買っているらしく、クロエは幼い頃から両親とともに色んな土地を巡っているらしい。少し日焼けした肌で朗らかな笑顔が魅力の、健康的な女の子だ。
(ちょっと、ギャルっぽいんだよね)
日焼けのせいか髪の色も少し抜けてしまっていて、もともとの茶髪が金髪に近くなっている。化粧も日焼けをごまかすように濃いめだから、その辺もなんともギャルっぽい。でも笑顔がとてもかわいい。
「それでね、わたしがそのお茶をリュカ様へ持っていったら、あの人最初吐き出したのよ! 信じられないわ、苦労して崖の上で採ってきたものなのに!」
仕事で行ったという見知らぬ場所での出来事を、生き生きと語ってくれるクロエのことを、ジュリエットはすぐに気に入ってしまった。それからは手紙のやり取りやお茶会などを経て、どんどん仲良くなっていった。
初めての女友達はジュリエットにとって精神的な安定剤となっている。
博識なクロエと話しているのはとても楽しかった。
あの緑茶はクロエのデュポン子爵家が手に入れたらしく、他にも色んな東方由来のものがデュポン子爵家にはあった。烏龍茶やジャスミン茶まであったのにはさすがに驚き、密かに感激していると、気に入ったのならと譲ってくれもした。
そしてデュポン家にはペットもいるのだ。
移動のために馬、狩猟のために犬を飼っている貴族は多いが、純粋にかわいがるために猫を飼っているのは今のところデュポン家だけだ。
そもそも、猫という生き物自体が東方の国にしか居ないらしい。王家には献上したそうだが、ジュリエットも本物を見たのは初めてである。
チロと名付けられた猫は、猫らしく自由気ままだそうだ。一度だけジュリエットの膝に乗ってきたことがあるが、そうっと撫でた背中はとても温かかった。
ここでは東方由来のものは、我が家とモロー家が貿易している海の向こう、クレッシェ国のものに比べてまだ価値が低いらしい。こんなに可愛いのに、猫の評判もそれほどでもないようだ。
ジョルジュ殿下やリュカが気に入っているから、徐々に東方文化を広めていくつもりだとクロエは笑っていた。頼もしい微笑みだ。
「わたしもいつか、東方の国へ行ってみたいわ」
クロエの話を聞いているだけで夢と想像と希望が膨らんでいく。
(もしかすると、まだ見ぬ米が! 味噌が! 醤油が! あるかもしれない!!そこまで贅沢は言わずとも、烏龍茶やジャスミン茶があるなら中華圏も! ギョーザ! ラーメン! チャーハン!)
食欲が大暴走している友梨亜が中にいることなんて微塵も感じさせないよう、ジュリエットが可憐に微笑む。
クロエはジャスミン茶を優雅に飲みながら、クスリと笑った。
「ふふ、砂漠を越えるのは大変なのよ? もう少し体力をつけなきゃ、ジュリエットのお兄様が許してくださらないわ」
「……お兄様は、どれだけ体力をつけたところで許してくれなさそうだけれど」
「確かに! このままじゃお嫁に行くのも無理そうじゃない?」
「どうしたらいいのかしら」
溜息をつきながら言うと、クロエは楽しそうに笑った。わたしも、一緒に笑った。
もう、友梨亜の顔は忘れてしまった。鏡を見ても、穴が空くほど見つめても、そこに映るのは絶世の美少女だけだ。わたしの顔じゃない、と思うのに、わたしの顔が思い出せない。
家の間取りは思い出せる。スマホの番号も、お気に入りのコスメも。日本の記憶だって地球の記憶だってたくさんある。
だけどそんなことを覚えていたって、どれだけ寝ても起きても、あの家には帰ることができないのだ。
「ジュリエット、困ったことが起きた」
そう言って眉を下げるテオを見上げる。
再来週にはお父様がお母様を連れてこちらへ戻って来ることになり、家の中はその準備で慌ただしくなってきたところだった。
「どうされました?」
「来週、王城での茶会に招待された」
「……困ります、か?」
「殿下が、ジュリエットと二人で話したいと」
「こっ、困ります!」
(何故!!無理無理無理!!ジョーくんと二人でなんて絶対無理!!)と久しぶりに友梨亜が大騒ぎしている。ジュリエットの表情には微塵も浮かんでいないが、困ったとアピールするように眉を寄せた。
「だよなあ。でも……俺じゃ断れないんだよなあ」
「そ、そうなのですか!?」
「父上ならまだ何とか……いやでも間に合わないし」
困惑を極めながらも、わたしの中のジュリエットは一足先に冷静になった。王族からの招待をお断りするなんてもってのほかだと。
わたしが本気で嫌がれば、テオもお父様も何とかしてくれそうではあるが、そうさせる為に何を犠牲にするか、しでかすか分からない。
(むーりー!!)と叫ぶ友梨亜を力尽くで押さえ込んだジュリエットが、諦めたように笑ってみせた。
「分かりました、参ります」
「……大丈夫か?」
「ええ、ご用件は分かりかねますが、大丈夫だと思います」
「何かヤバいと思ったら、大声出せよ?」
「殿下はそのようなことなさらないでしょう?」
「そうだけど! でもジュリエットを目の前にしたら!」
「この前夜会で踊った時も何もされませんでしたよ?」
「……うん、心配が止まらないだけだから」
ガックリと肩を落とすテオは、ホントにシスコンが過ぎると思う。ふふっと、今度は安心させるように微笑んだ。
「というわけなのだけれど、どうしたらいいと思う?」
殿下と二人きりのお茶会だなんて、どうしたらいいのか分からない。かと言ってテオに相談しようものなら、どんなことをしてでも取りやめにさせてしまいそうだし、レオンはこういう時には頼りにならない。
こういう時に頼りになるのは女友達だ。わたしは早速クロエとの約束を取り付け、デュポン子爵家へ来ていた。
「殿下が? 珍しいこともあるものね」
「そうなの? 確か婚約者候補の方とはそれなりに交流をお持ちだったわよね?」
「ええ、でも白紙になられてからは、女性そのものを避けておられるって話よ」
「……わたし、何かしてしまったのかしら」
ジョルジュ殿下にお会いした事なんて数える程しかない。接触したと言えるレベルは、夜会でダンスを踊ったことくらいだろう。その時もお礼を言われたくらいだし、とりたてて何かやらかしてしまった様子はなかった。そんなことがあれば間違いなくテオが気付くはずだ。
「うーん、殿下は基本的にはお優しい方だと、リュカ様からも聞いているけれど」
「そうよね。不正や怠惰には厳しいみたいだけれど」
「まさか、何か不正を?」
「やだ、やめてよ! そんなことあるわけないじゃない」
「そうよねぇ」
顎に手を当ててクロエが考え込む。ほぼ引きこもりだったわたしと違い、クロエは人脈も経験も豊富だ。何か妙案があれば助かる。
ふと、チロがやってきて、にゃああと鳴いた。わたしの近くで背中を伸ばし、ごろりと蹲る。
「あら、チロ。お昼寝かしら」
「もしかして……」
「え? 何か思い当たることが?」
「ほら。ジョルジュ殿下って東方の文化がお気に入りじゃない?」
「ええ、先日も緑茶を気に入ったと聞いたわ」
「ジュリエットもあれはお気に入りよね。それじゃないかしら?」
どれ?と首を傾げると、クロエは紅茶で喉をジョーしてから言葉を続けた。
「わたしも父も、何ならラフィット伯爵様もそうなのだけれど、あのお茶ちょっと苦手なのよね」
「そうなの?」
「砂糖をたっぷり入れれば、わたしは何とか飲めるのだけれど……。ジュリエットは緑茶だけじゃなく、ジャスミン茶もお気に入りでしょう? 猫のこともお気に入りだし。それがリュカ様あたりから殿下の耳に入ったのではないかしら?」
「そんな事が殿下の耳に?」
「まだあまり東方の食文化に理解を示すひとが少ないのよ。もしかすると、珍しい食べ物をご馳走してくれたりして」
「そういうことなら……ありがたいけれど……」
むしろわたしと殿下の共通点なんて、それくらいしかないのかもしれない。
お忙しいはずの殿下が、わざわざ呼び立ててまで東方文化の話をしたいのだとしたら、よほど周りに理解者が居ないのだろう。まあわたしとしても、緑茶に砂糖を入れて飲むひとと好みが合う気はしないけれど。




