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10.ダンス



ジョルジュ殿下の、テラスでの独り言を盗み聞きしているわたし。


(ほ、本人? そんなことがありえるんですか? そういう設定ですか? 何このパラダイス!!)


「はあー、うまい酒飲みてえ」


(オヤジくさい! いや三十二歳のジョーくんなら許せるけど!! 二十歳のジョルジュ殿下が言うセリフじゃない!)


まったく訳が分からなくて、わたしは息を潜めて身を固くすることしか出来ない。今気付かれたら絶対にヤバい。それだけは分かったから必死だった。


(お兄様、今はまだ戻ってこないでください! ”花ジョー”の並びは見たいけれど、それは今じゃない、絶対に!!)


「あああー。……戻るか。一曲くらい踊んねえとまずいよなあ」


わたしの祈りが通じたのか、ジョルジュ殿下が立ち上がった気配がする。そして立ち去っていくのが分かり、ようやく静かに息を吐いた。


「お待たせ、ジュリエット」

「お、お兄様!」

「ん? どうかした?」


給仕を連れたテオがタイミングよく戻ってきて、何だか後ろめたい気持ちになる。

差し出してくれたグラスを受け取ると、そっと口を付けた。冷たいレモン水だ。スッキリした香りが鼻を抜け、少しだけ気分が落ち着く。


「はあ、スッキリしました」

「疲れたか?」

「そう、ですね」


身体の疲れというよりは、心の疲弊だ。ジョーくんに似た殿下がいるだけでも驚きなのに、あのつぶやきはなんだ。ちょっと整理して考えたい。


(だって、三十二歳って。どういうことよ一体。)


「んー。もう少し時間潰して、さっさと帰るかな」

「……すみません」

「いや、無理はさせないって言っただろ」


優しく微笑んだテオが、ふっと視線を上げた。

静かだった場所に、ざわりとした気配が近づいてきて、わたしも不思議に思って視線を追う。


「え……」


ジョーくんが、いや、相変わらず硬い表情のジョルジュ殿下がこちらへ向かって歩いてきていた。


「うげ」


テオがとてつもなく嫌そうな響きで呟いたけれど、それはわたしにしか聞こえなかったに違いない。表情はほんの少しの驚きのあと微笑に戻っていたから。


すっと立ち上がったテオに習い、わたしもその隣へ並ぶ。殿下が近づくたびにものすごく良い香りがするのは何故なのか。


「テオ、殿」


(ぎこちなっ!! もしかして直って言いそうになっちゃった?)と、さっきの呟きを聞いてしまったわたしは内心で悶える。


「はっ」

「……妹君を、ダンスにお誘いしても?」


(うっそでしょう!!! マジですか、確かにさっき、踊らなきゃマズイみたいなこと言ってましたけど、わたしとですか!)


ピクリと眉を動かしたテオだったが、すぐに微笑んで頷いた。


「光栄なことです」


すると、小さく息を吐いたジョーくん、なのかジョルジュ殿下がわたしへ向き直り手を差し出してきた。


「一曲、お相手願えますか?」


(ひいいっ!! 破壊力!! リアル王子様ジョーくんの破壊力たるや!!)


表情は硬くて何なら睨まれている勢いなのに、めちゃくちゃ綺麗でかっこ良すぎるという友梨亜の気持ちが勝ったのか、重ねようとした手が震えてしまう。


そっと乗せた手を握られ、衆目にさらされる中を中央に進む。

いつの間にか音楽は鳴り止んでいて、わたしは自分の心臓の音が聞こえそうだ。

音もなく歩いていく中、わたしと殿下がスタンバイすると再び音楽が鳴り出した。その音楽に合わせて手を取り合い、踊り始める。


曲自体はさっきテオと踊ったものだから、身体は動く。だけど間近で感じる体温がジョーくんのものだと思うと、身体が硬直しそうになる。


(だって!! ジョーくんが、ジョーくんが!! わたしの! 背中を! ホールドしているんですよ! 背中をホールドってもう抱きしめられてるのと同義じゃないですか!? 無理! 至近距離で見るだけでも幸せだったのに、息遣いまで感じられるこの距離は死ぬ! わたしの呼吸まで聞こえてると思うと息が出来ない!)


脳内は爆発しそうなほどにぐるぐるしていたけれど、身体はちゃんと動くし微笑みも消えていない。ジュリエットの、淑女の精神力はものすごいのである。


だけどいくらメンタルが強いとはいえ、殿下に「あなたはジョーくんなの?」なんて聞けるはずもない。

そもそもジュリエットが(身分の高い方にこちらから声を掛けるなんてとんでもない!)と必死で友梨亜を押しとどめている。


果てしなく長く感じた時間も、終わりを告げる。

向かい合ってお辞儀をすれば、ジョルジュ殿下はホッとしたように肩の力を抜いたように思えた。


「ありがとう、助かったよ」

「いえっ、とんでもないことでございます」


(しゃべっちゃったぁぁぁ!!!!!)


静かに去って行くジョルジュ殿下を興奮冷めやらぬ気持ちで見送っていると、そっと隣に立つ気配がした。


「お疲れ。大丈夫だった?」


優しい声にホッとする。テオが迎えに来てくれたようだ。


「ええ、ホッとしました」

「頑張ったな」


ジュリエットの記憶を辿っても、思い出せる中にジョルジュ殿下とダンスをした記憶はない。友梨亜だけでなくジュリエットも緊張していたのだから、きっと初体験なのだろう。


「じゃあ、殿下のお相手も務めたことだし、このまま帰るかな」

「よろしいのですか?」

「うん。さすがに疲れただろ?」


その言葉には眉を下げながら正直に頷いた。

ふっと笑ったテオが手を引いて外へ向かってくれ、エスコートされるままに足を進めた。


挨拶を交わしながら会場の外へ出る。ひんやりした空気が火照った身体と心を冷やしてくれる。



廊下を歩いていると、向こうからリュカが片手を挙げて近付いてきた。

今日は額を出すヘアスタイルに、黒いスーツに白いベストと黒いシャツを合わせている。もちろん黒縁眼鏡も健在だ。控えめに言ってもカッコ良すぎだろう。

しかしこれも『petit(プチ)』の衣装じゃなかろうか。テオと並んでも全く違和感がない。


「もうお帰りですか?」


近付いてきたリュカがにこやかに微笑む。この人たちはスーツが似合いすぎて困ってしまう。

脳内で友梨亜がニヤニヤしてしまうのを、ジュリエットは涼しい笑みで流す。


「殿下と踊ったからな。もう十分すぎるだろ」

「へー、殿下と! それはまた、これ以上ないくらいだ」


会場の外にいたリュカは見ていなかったのだろう。珍しく目を丸くして驚いた後、ニヤリと笑った。なんだかとても悪い笑みだが、それに触れる気力は今のわたしにはない。

今日はいろんなことがありすぎて、もう処理しきれない。


「だろ? じゃあ、またな」

「はーい。ジュリエット嬢も、またね」


にこやかに、満足そうに微笑みながら手を振るリュカに頭を下げた。


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