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絆創膏

作者: 相草河月太

*この作品はホラー要素を含みます

 それに最初に気がついたのは2ヶ月ほどだ。


 彼女とのデートでちょっと飲み過ぎた僕は翌日、彼女の部屋で目をさました。ゲームクリエイターという自由業みたいな昼出の僕とはちがい、出社時間が早い彼女は目を覚ました時にはすでに部屋にいなかった。普段だったら必ず起こして一緒に出かけようとするはずだから、きっと僕が眠り込んでいて全く起きなかったんだろう。申し訳ないことをした。


 ケータイを見ると、必ず鍵かけてポストに入れておいて!と怒り顔のついたメッセージがあった。


 二日酔いまではいかないが、重い頭と体をなんとか起こし、洗面所にむかう。長い放尿のあと歯を磨こうと鏡を見て、気がついた。


 おでこに絆創膏が貼ってあった。

 絆創膏の中でも小さいタイプで幅が1センチもないやつだ。


 昨日はこんなところに貼っていない。さすがにそれは間違いない。自分で貼った記憶がないということは彼女が貼ったのだろうか?


 酔っていて覚えていないけれど、もしかしたら何かしでかしたかな、と不安になる。歯を磨き顔をあらって身支度を整え、あとは部屋を出るばかりとなった。テーブルに置いてあった部屋の鍵をチャラチャラ言わせながら玄関へ向かっていた僕は、足早に洗面所に戻った。


 顔を見ると額を確かに絆創膏がある。当たり前だ。


 僕はこう考えたのだ。こんな小さい絆創膏を貼るくらいなら、きっと大した怪我じゃないだろう。それよりもこんな目立つところに貼って表へ出るのが恥ずかしいな。と。


 そこで大した躊躇もなく、爪の先でカリカリと接着面の端をめくると、そっと絆創膏をめくって見た。


 と、驚いたことにそこに怪我はなかった。


 切り傷はもちろん、赤くなったり、あざになっている様子もない。恐る恐る触ってみても全く痛くない。剥がした絆創膏にも血はついていなかった。


 どういうことだろう。擦りむいたりして腫れていたのが気になって彼女が貼ってくれたが、本当は大したことなくてもう治ったのだろうか?いたずらにしても意味がわからないし、彼女も酔っていたことを考えると気を回し過ぎてくれたのが一番ありうるかな。


 僕は部屋を出る頃にはもうそのことは忘れていた。


 だからその日の午後会社で、備品を運ぶ手伝いをしていた時に、前を歩いていた長いスチール棚のポールを抱えていた同僚がいきなり向きを変えて、その先端が額に当たって擦りむきほんの少し出血した時にも、朝の絆創膏とは結びつかなかった。


 二度目に起こったのはそれから一週間ほどした朝だ。自宅のベッドで目を覚ますと足の小指に絆創膏が貼ってある。今度は前よりも大きい、普通のサイズのものだった。


 あれ?と気にはなったが、今度はあえて剥がすことはしなかった。なんとなくだけれど、そうしないほうがいいように思えたのだ。


 自分で貼った記憶がないのにそこに絆創膏があるということが気持ちが悪くて仕方なかったけれど、僕はそれをできるだけ無視して過ごした。


 しかしそれから2日後、寝る前のシャワーを浴びているときにいつの間にかその絆創膏が剥がれているのに気がついた。風呂に入れば濡れて弱まるし、足先は動くから仕方がないことだ。


 パジャマを着て歯を磨き、寝室に向かう廊下で僕は、足を思い切り柱にぶつけた。


 「っ!!」


 痛みで声もでないほどで、その場に片足を上げて壁に手をついて必死に堪える。頭のてっぺんまで神経に抜けるような猛烈な痛さに悶絶し、ようやく治ってきてうっすら涙のうかんだ目を向けると、小指の爪がはがれかかっていて少し出血していた。


 とんだ災難だ。


 そう思いながら、僕はいやな可能性を頭に浮かべていたが、あまりに非現実的なのでそれを追い払った。


 確信したのは三度目、それからまた1周間ほどしてからだ。


 膝に幅が3センチほどある大きめの絆創膏が、朝、目が覚めた時に貼ってあったのだ。


 さすがに震えるほど不気味だった。


 こんな大きな絆創膏は家にはない。そして昨夜、僕は自宅で一人で寝ていた。彼女がこっそり入ってきて貼った?あり得ない。


 何かよからぬ予感がして、僕はその絆創膏を剥がさないように気をつけながらそれからの生活をビクビクして過ごした。


 だが風呂に入れば必ず濡れるし、膝というのは曲げ伸ばしで大きくうごくから、いつまでも一つの絆創膏の粘着力が持つはずはない。


 会社からの帰り道だった。ズボンの裾からなにかがおちた感覚があり、慌てて確認すると間違いなく剥がれた絆創膏だった。言いようのない恐怖が背筋を抜けた。


 僕は生唾を飲み込み、帰り道をほとんど壁にくっつくようにして、周囲に危険がないか過剰なほどに確かめながら帰った。周りから見たら不審者だっただろう。だが、予想される恐怖に比べれば何ほどのこともない。


 マンションまでたどり着きほっと一息ついた僕は、額に浮かんだ冷や汗を拭って自分を笑った。なんだ、大丈夫じゃないか。


 そのときは、これは気のせいだとすら思った。きっと寝ぼけて自分で貼ったのを忘れていたんだろう。何をビクビクしていたんだ。いい大人が。


 苦笑しながら3階にある部屋までの階段を登る。


 あと数段でたどり着く、という時に、今まで一度もなかったし今後もあり得ない自信があるのだが、僕は上がりかけた段を盛大に踏み外した。


 滑って階段の角に思い切り膝をうち、火花が散るほどに強烈な痛みが走る。そのままうつ伏せでずるずると勢いよく踊り場まで滑り落ちた。


 燃えるように、心臓の鼓動に合わせてズキズキと痛む膝をみると、ズボンが破れ皮膚が裂けて血が出ていた。


 ちょうど、絆創膏が貼ってあった場所に。


 それから毎朝、怯えながら体を確認する日々が始まった。どこに貼ってあるかわからない。いつくるかもわからない。僕はほとんどノイローゼになっていた。


 そして、今から3週間ほど前、ついにまた絆創膏が現れた。 


 今度は右手だった。それも右の手首の内側。


 脈を取ることのできる大きな動脈が、皮膚に近いとこを走っているその場所に、今まで見たこともないサイズの6センチもあろうかという幅の絆創膏がべったりと貼ってあった。


 寒気と同時に、絶対にこれを剥がすわけにはいかない。という強迫観念が僕を支配した。


 でも、これをここまで読んでくれた人にはわかると思う。僕がどれだけ怯えているか。そして剥がれた時に身に起きる出来事を想像すれば、それは耐えられないことであることを。


 僕は会社に病欠の連絡をした。手首を使うわけにはいかないからだ。膝の時は曲げ伸ばしを気にせずやっていたから、絆創膏の粘着力はすぐになくなってしまった。


 これからは一切右手は使わない。もともと料理もしていないし、買い物や食事、日常の用事くらいならなんとか左手でもできるだろう。


 次に僕は絆創膏の上にサランラップを巻き、さらに包帯を巻いた。

 万が一にも何かにぶつかったり水に濡れたりして剥がれないようにするためだ。


 そして風呂にもはいらない。頭はさすがにシャワーでながすが、体はタオルでふく方がいいだろう。汗をかけば、絆創膏の下の皮膚が蒸れて剥がれてしまうからだ。


 それから3日後の週末、体調が悪いと彼女とのデートを断ったのだが、言い訳がまずかった。僕の様子を気にした彼女がどうしてもとお見舞いに来てしまったのだ。さすがに部屋まで来てくれたのを無下にも追い返せず、なるべくオーバーサイズのシャツを着て手首を隠して、僕は彼女を部屋に入れた。


 この3日間、手首が気になってあまり熟睡できていない僕の様子は、彼女にはかなり辛そうにみえたようだ。甲斐甲斐しく洗濯や料理をしてくれて、僕は久しぶりにまともな食事にありつけた。買い物も面倒なので、ほとんどインスタントで済ませていたからだ。


 左手で食事をするのを不思議そうにみるので、手首を捻ったと言い訳し、その日はなんとか無事にやり過ごせた。


 次の週も、昨今の流行病のせいもあり、会社をすんなりと休むことができた。


 僕はといえば何も手につかず、家で右手首を見ながらボーっと過ごした。このまま一生こうしているわけにはいかない。でも、絆創膏がはげるような何かをする気には一切ならない。


 どうにもならない循環に囚われて、気がつけば日が暮れている有様だった。


 その週末。


 彼女は僕を心配しながらも、僕の態度が気に入らない様子だった。本当にただの病気なのか疑っているようだった。病院には行っているの?ときくので、うん、と僕は嘘をついた。その時の彼女の目は、それを信じてはいなかった。


 そしてまた次の週。無断で会社を休み、一人でいる僕の神経はすり減っていった。いくら動かさないように気をつけていても、寝ていたり、無意識に使ってしまい、いつの間にか絆創膏の粘着力が落ちてきているのがわかる。そもそも皮膚が代謝するし汗もかくのだから、永遠に貼っていることなどできないのだ。巻いていたラップは蒸れるのでやめにして、剥がれないようにきつく包帯を巻いていた。


 週末。四日前のことだ。


 彼女が家に来て、最初は洗濯をしてくれていたが、それが終わると僕の前に座って真剣な顔でこう言った。


 「何があったの?」

 「いや、ただ体調がわるいだけだよ」

 

 「うそ。いつ来ても薬もないし、病院なんて行ってないんでしょ?」

 「え?いや、行ってるって」


 「うそつかないでよ。何が不満なの?」

 「なんでもないって」


 「じゃあ!」

 

 と彼女は叫ぶようにいって身を乗り出すと僕の右手をつかみ、包帯を示した。

 「これはなんなのよ!」


 乱暴に手首を掴まれ、絆創膏が剥がれる恐怖に僕は思わず荒っぽく彼女を突き飛ばしていた。


 「やめろ!!」


 尻餅をつき、傷ついた顔でふり向いた彼女は泣いていた。


 「どうしたの?どうしてそんなことしたの?死ぬほどつらいの?それなのに、私には、何も言ってくれないの?」


 「違う!そういうんじゃないよ!言ってもわからない!」


 彼女は、僕が精神的に病んで、自殺を図ったのだと思ったのだろう。だが、違う。そうじゃない。こんな馬鹿げたこと、こんな悪夢みたいなこと、言っても信じてもらえるわけがない。


 しばらく泣いていた彼女は、やがて立ち上がってこう言った。


 「ごめんね。きっと私のせいなんでしょ。だから、何も言ってくれない。私がいなければ、そんなことしなくてすむんだよね。うん。わかった。ごめんね」


 そして彼女は部屋を出ていった。

 「さよなら」


 ガチャリ、と扉が閉まった。


 なぜ止めなかったのか。今でもわからない。


 ただ、手首の絆創膏が剥がれるのが何より恐ろしいんだ、と説明することが出来なかったし、本当にそう思っている自分を病気だと思われるのがいやだった。


 だったら、彼女が思いたいように思ってもらったほうがいい。


 今週になって、会社から顔を出せないならプロジェクトから外すとメールがあり、同僚や上司から複数の電話があったがすぐにおさまった。


 彼女ともわかれた。仕事もやめた。


 この手首の絆創膏を守るために、僕は全てを犠牲にしてきたというのに。


 包帯の下でほとんど絆創膏が剥がれそうになっているのを感じ、そのあと必ず訪れる苦痛や出血への恐怖で震えが止まらない。外出も食事もほとんどできず弱り切った神経が、もうこの状況に耐えられ無くなっている。


 僕はなぜがケタケタとわらうと、ベッドから立ち上がって台所に向かった。


 そして流しの下の包丁を左手にとる。


 ああ、いつくるかわからない恐怖に怯えるのはもう嫌だ。必ずそれが起こるのなら、こっちからやってやろうじゃないか。


 僕は包帯を外すとほとんどずるずるになった絆創膏をためらいなく剥がす。


 そしてその下に剥き出しになったややかぶれて赤く腫れた手首。


 絆創膏が予告したそこを、僕は包丁で思い切り切った。

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