初めての人助け
アストレオからの贈り物によって当分の資金繰りに困らなくなったループスは考え事をしていた。
「俺の名前……」
考え事とは今後名乗っていく自分の名前のことであった。
彼女は家名を捨て、新たな道を進む決心がついた。家名を捨てるとなれば当然新しい名前が必要であった。
「んー?まだそれ悩んでたの?」
ハルトは興味が薄そうな反応をループスに送った。
「言い出したのはお前だろう」
「いや、俺そこまで重く考えてなかったし……」
二人の中では名前を変えることに対する意識がはっきり違っていた。これから恐らく一生使って行くであろう名前を簡単に決めることができなかった。家名を重要視する上流階級出身のループスにとってはその意識が名残のように存在していた。
「お前なぁ」
「ちょっと待て、今嫌な声が聞こえた」
ループスの言葉を遮り、ハルトは耳を立てて周囲の音を探った。わずかながら子供の叫び声のような声が確かに聞こえたのだ。そのすぐ近くから複数人の男の声も聞こえてくる。ハルトはその声に覚えがあった。
「行くぞループス」
「おう」
嫌な予感がしたハルトはループスと共に声の聞こえた方向へと向かった。音を頼りにハルトは雑踏の中をスルスルと通り抜けていく。ループスは雑踏を避けて大回りでハルトの後ろを追いかけた。
しばらく走り続けていたハルトは路地の一角で足を止めた。万一に備え、懐から銃を抜いて空になっていたリボルバーに弾を込め、静かに上半身を翻して路地裏を覗き見た。
少し遅れてループスも合流し、ハルトの反対側に回って同じく路地裏を覗き見る。
「アイツらまだ懲りてなかったのかよ……」
ハルトとループスの視線の先には以前ループスにナンパを仕掛けた男たちの姿があった。すでに彼らの手によって一人の少女が攫われ、手足を縛られた上に口をふさがれてズタ袋に詰められようとしていた。周囲にはほかに人がおらず、拘束されて助けを呼ぶこともできない。まさしく絶体絶命であった。
「そこまでだ!」
ハルトが出る前にループスが啖呵を切りながら男たちの前へと飛び出していった。彼女も男たちによる連れ去りの被害者になりかけた経験から、それに続く人を増やすまいと反射的に身体が動いていた。
「お前は……あの時の狼の姉ちゃんじゃねえか」
「偶然だな。気が変わって自分を売りにきたのか?」
「生憎だが金にはしばらく困らなくなった。そこの子を解放しろ」
ループスは単刀直入に少女の解放を要求した。彼女はか弱い少女が一人になったところを狙う卑劣さに対する怒りに打ち震えていた。
「今日は狐の嬢ちゃんはいないみたいだな。俺たちにホイホイつられかけたくせに一人でどうにかできると思ってるのかぁ?」
男の一人がループスに挑発をかけた。彼らはその場にハルトがいないと思い込み、完全に高をくくっていた。ハルトは自分も出ていこうとしたのを抑え、身を隠して音伝手にループスの様子を観察することにした。
「……いいだろう」
ループスは男からの挑発に乗るように姿勢を低くし、瞬く間に男たちとの距離を詰めた。すかさず剣を抜き、その刃を男の内の一人の左脇腹に押し当てる。
「俺にもこれぐらいはできる。生身の人間風情が狼に勝てるとでも思っているのか」
「女のくせに生意気なことを……」
刃を押し当てられた男が逆上してループスを振り払おうとしたところへループスは剣に魔力をほんのわずかに込めた。剣は魔力を受けて赤熱化し、男の衣服を焦がして煙を上げる。
「ああああああああああ!!」
脇腹を焼かれた男は反射的にループスから離れ、地面に転がり悶絶した。その様子を見た他の男二人はループスの前で狼狽え始めた。
「手を抜いてやった。その気になればお前たちを黒焦げにすることだって真っ二つに焼き切ることだってできる」
ループスは赤熱化した剣の切っ先を残る男たち二人に向けた。男たちはループスのことを甘く見たことを後悔し、一歩ずつ眼前に迫ってくる死のビジョンに恐怖した。
「わ、わかった!この子は解放する!だから今回は見逃してくれ!」
男たちはループスの前で命乞いする様を晒した。あまりの見苦しさにループスは呆れて言葉も出てこなかった。
「さっさと消え失せろ」
ループスが静かにそう言い放つと男たちの二人は脇腹を焼かれた男を回収してそそくさとその場から逃げ出した。しかし男たちはすぐに第二の恐怖に晒されることとなった。そこには彼らの恐れた『狐』の姿があったからである。
ループスは剣の赤熱化を解除し、魔法で水を生成して刃を冷やすとその刀身を鞘に納めて攫われかけていた少女の傍に歩み寄った。
「もう大丈夫だ」
「えっ……あっ、うぅ……」
ループスによって拘束を解かれた少女はパニック状態に陥っていた。どうやら錯乱してうまく話すことができなくなってるようであった。会話が成立しない状況にループスは困ってしまった。
よく見れば少女はハルトよりもほんの少し背丈が低い程度の年端もいかないような子であった。きっと何かのはずみで親とはぐれてしまったのだろう。そんなところにいきなり大人の男たちに襲われればパニックになるのも仕方がなかった。
「心配しなくてもいいよ。そこにいる狼さんはいい人だから」
少女を攫った張本人である男たちを片付けたハルトはループスに合流すると同時に少女を宥めるように優しく声をかけた。子供相手のやり取りに慣れているハルトはこういう時はまず安心させ、落ち着かせることが重要であることを理解していた。
「お、お姉ちゃんたちは誰……?」
ハルトに宥められ、わずかながら冷静さを取り戻した少女は尋ねた。多少冷静になっても状況が理解できないことに変わりはなかった。
「お姉ちゃんは通りすがりの狐さん。で、こっちはお友達の狼さん」
ループスは普段とは全然違うハルトの様子に引いていた。あまりに慣れた子供の扱いには熟練の技すらも感じられた。
「そう。君はお母さんとはぐれちゃったの」
「うん……それで気づいたらここに連れて来られて……」
しばらくして冷静さをある程度取り戻した少女からの話によってハルトたちはおおよその事情を理解した。
少女は元々ソルシエールの住人ではなく、観光でこの町を訪れていたこと。その道中で母親とはぐれてしまい、一人になったところを男たちに狙われたこと。
「じゃあお姉ちゃんたちが一緒にお母さんを探してあげよう。ループス、それでいいよな?」
「当然だ。小さい子供を一人にはできないからな」
ハルトは少女の母親を探し、二人を再び引き合わせることを提案した。ループスもそれに異を唱えることはなかった。
こうして二人は保護した少女の母親探しに協力することにしたのであった。




