温もりが恋しい
クオーツに向けた旅の前夜、アリアはこれまでのことをいろいろと思い返していた。クオーツの村にいたという頃のことは相変わらず何も思い出せないものの、そこから先は道具として売られ、捨てられ、また買われ、挙句の果てには自身の背中にある紋章のせいで化け物呼ばわりされて疎まれる始末とろくなことがなかった。そんな中で偶然ハルトたちと出会い、その優しさや温もりに触れたことは非常に大きかった。
アリアは記憶を失って以来初めて触れた人肌の温もりに飢えていた。誰かの肌に触れて甘えたくて仕方がなかった。しかしすでに周りの灯りがほとんど消えているほどの夜分であり、ハルトとループスはそれぞれ眠りについている。
それでもひと肌が恋しいアリアは二人の内のどちらかに触れることにした。
アリアは考えた。肌の感触を知っているのはハルトの方であり、彼女の尻尾のふわふわの手触りは鮮明に脳裏に焼き付いている。だがハルトはアリアと比べて体格が小さく、ひと肌に触れるにしてはやや物足りないような気がした。一方のループスはアリアより身体が大きく、甘えるには申し分ない。しかし普段のループスの固めな口調由来のイメージから勝手に触れると怒られるのではないかという想像がアリアの脳裏を過った。
主人と奴隷という関係など、いろいろなものを差し引いても温もりに対する飢えを満たしたいという欲求が勝ったアリアはループスと肌を重ねることにした。
「……眼が冴えたか?」
いつの間にか目を覚ましていたループスがアリアに小声で話しかけた。さっきまで眠っていたはずのループスに声をかけられたアリアは驚いてベッドの上を飛び跳ねた。
「お、起きてたんですか?」
「ベッドがやたらごそごそしてたんでな」
ループスはアリアがベッドの上で蠢いている音に反応して目を覚ましていた。彼女の聴覚はハルトと比べれば劣っているものの、常人と比べれば優れている。それに加え、熟睡さえしていなければいつでも些細な物音でも目を覚ませるような警戒心も持ち合わせていた。
「実はその……人肌が恋しくて」
「そうか。ならこっちに来い」
アリアの要求に対してループスは怒るどころかむしろ自分からアリアを招き寄せた。ループスも基本的には寂しがりな性格であるため、誰かと肌を重ねることに対してはまんざらでもなかった。
対するアリアは思いがけないリアクションに虚を突かれたような表情を見せたものの、その好意に甘えてループスのベッドの中に潜り込んだ。
「ごめんなさい……私奴隷なのにワガママ言ってしまって」
「気にすることはない。近くに誰も理解者がいない寂しさは俺も知っているつもりだ」
ループスはベッドの中でアリアを抱き寄せ、彼女に対して一定の理解を示した。ループスも元の姿を失い、今の姿になってからハルトと合流するまで短い間ではあるものの孤独を経験している。その時の経験が今の彼女の性格の根底にあるといっても過言ではなかった。
そんな自分よりも遥かに壮絶な経験をしてきたアリアが人を恋しく感じるのは当然だということを理解できる故にそれを拒むこともできなかったのである。
「ハルトさん、よく眠ってますね」
アリアは別のベッドで眠るハルトの姿を見ていた。彼女は非常に優れた聴覚を持っているにもかかわらず、物音をまったく意に介することなく身体を丸めた姿勢で熟睡していた。
「アイツは寝付くのが早ければ起きるのも早いからな」
ループスはハルトの生態について語った。ハルトは夜更かしをすることはあるものの、基本的に寝付くまでがかなり早い。そしてループスが目覚めの瞬間を一度も見たことがないほどに起きるのも早かった。とは言ってもハルトが特別目覚めるのが早いというよりはループスが朝起きるのが遅いというだけである。
「退屈しのぎにはちょうどいい。アリアが眠くなるまで俺のちょっとした昔話を聞かせてやろう。そうだな……俺とハルトの出会いからにするか」
退屈しのぎにとループスは昔話を語り始めた。アリアはこれまでループスのことを本人から聞いたことがなかったため、興味深く聞き入った。
「ループスさんはいつからハルトさんとお知り合いになったんですか?」
「初めて出会ったのは今からだいたい五、六年前だな」
ループスにとっては忘れもしない。彼女が初めてハルトと出会ったのは魔法学校に入学した日であった。
「その前に一つ、実は俺とハルトには秘密があってだな。俺たちは最初からこの姿だったわけじゃなくて、元々は普通の人間、それも男の子だったんだ」
ループスからの唐突な秘密の暴露にアリアは己の耳を疑った。まさか今目の前にいる人物が元男とは信じられるはずもない。どう見ても女性そのものにしか見えなかった。
「どうして女の子に……」
「まあ、いろいろあってな」
「それでループスさんとハルトさんは男の人みたいな話し方するんですか?」
「そういうことだ。これまでずっと男として生きてきたわけだからどうも話し方を変えるのが性に合わなくてな」
アリアはハルトとループスが元男であるという事実のあまりの衝撃に頭がいっぱいになり、一時的ではあるが鬱屈した感情を忘れ去っていた。
ループスはこれを狙っていたわけではなかったものの、結果としては彼女の抱えているものを軽くすることに成功していた。
その後もループスは最初自分とハルトの仲が劣悪なものであったことや学校に在籍した頃のこと、そして卒業後にハルトと再会するまでのことを語った。
アリアはその一つ一つに聞き入り、相槌を打っている内にうとうととし始め、やがてループスに抱き着いたまま静かに寝息を立て始めた。
「また甘えたくなったら。いつでもこうしていいんだからな」
ループスは自分の胸の中で眠るアリアにそっとそう言い聞かせると、ループスもまた静かに目を閉じて眠りについたのであった。




