寄り添って、次へ
夕刻、フィリアは店を閉じて自分の時間を過ごしていた。そこにはハルトも一緒であった。
「おばさん。俺、明日ここを出るよ」
「あら。もう行っちゃうの?」
ハルトは明日、町を出ることを告げた。元々ここにはあまり長期滞在するつもりはなかったが予想以上に滞在期間が長引いてしまった。
フィリアはハルトと別れるのを惜しんでいるようであった。
「元々この町にはあんまり長くいるつもりはなかったし、それに昼間あんなことやっちゃったらもうここには居づらいしさ」
ハルトは昼間の出来事による今後の影響を懸念していた。あれだけの力を見せれば今度は自分が迫害の標的にされかねない。ましてやフィリアの傍にいれば彼女も再び危害を加えられる可能性が高い。
そうなる前にここを離れる決心をしたのだ。
「そう。またちょっと寂しくなっちゃうわね」
「そんなこと言うなよ。おばさんはもう他の子供たちがいるだろ」
ハルトのいう通り、今のフィリアはたくさんの子供たちに囲まれるようになった。なにもハルト一人にこだわる必要はなくなっていたのだ。
「でもやっぱり思い入れがあるの。今の私に歩み寄ってくれた子はハルトちゃんが初めてだから」
フィリアにとってハルトは特別な存在になっていた。フィリアが町の子供たちと交流を持てるようになったのは紛れもなくハルトの功績あってのものだった。彼女は変化のきっかけをもたらしてくれたのだ。
「ねえハルトちゃん。私からの最後のお願いを聞いてくれる?」
「最後のお願い?」
ハルトは首を傾げた。フィリアはどうしても自分にやってもらいたいことがあるようだったがそれがなんなのかまるで想像がつかなかったのだ。
「今夜は一緒のベッドで寝ましょう」
フィリアの口から飛び出したのはまさかまさかの添い寝の提案であった。ハルトの顔はみるみるうちに赤くなっていく。
「恥ずかしいの?」
「あ、当たり前だろう!今まで自分の母親としか一緒に寝たことねえんだから!」
ハルトはこれまで母親以外の女性との交流など皆無にも等しかった。しかも母親と一緒に寝たのはもう何年も前のこと、ましてやつい数日前まで男の身体だった身で精神は未だに男のままである。
そんな状態でいきなり女性との添い寝はあまりにもハードルが高かった。
「じゃあおばさんのことを今夜だけお母さんだと思って」
(……で、こうなったわけだが)
なんやかんやしている内にハルトはフィリアと同じベッドの中で寝ることになった。元々一人用であるフィリアのベッドに詰め込むように身を寄せているせいで二人の距離がとにかく近い。おまけにフィリアが自分を抱き寄せてきているのでまともに身動きが取れない。影抜けの魔法を使えばすぐに距離を離すこともできそうだが詠唱をするとフィリアを起こしてしまいそうで気が引けてしまった。
(たぶん、フィリアはこうやって子供の温もりを感じたかったんだろうな)
ハルトはフィリアが添い寝を希望した理由をそれとなく察した。きっと最後にこうして子供の肌の温もりを感じたかったのだろう。自分の息子が生きていればどこかでこうして添い寝をすることもできたのかもしれない。
「レイくん……」
フィリアは寝言を零した。今まで聞いたことはなかったが自分の息子の名前はレイというらしい。きっとフィリアは自分を抱きしめているのを夢の中で息子のように認識しているのだろうとハルトは推測した。
「苦しい……」
フィリアの豊満な胸を押し付けられてハルトは呼吸が苦しくなった。しかし下手に動くとフィリアを起こしてしまいそうなのに加え、最後の頼みということもあって抵抗できなかった。
そんな中、ハルトの中にある疑問が生まれた。
「本物だなこれ」
ハルトは思い立ったようにフィリアの胸に触れた。それはハルトの小さな手には収まりきらないほどに豊満で柔らかかった。物心ついてから初めて触れる女性の胸にハルトは心をざわつかせる。彼女が女性の胸に自ら触れるのは赤ん坊の時以来であった。
(ずっと触っていたいな)
ハルトは自分の好奇心の赴くままにフィリアの胸を触り続けた。特に何かがあるわけではないがなぜか無性に触りたくなる魔性の魅力を感じていた。フィリアのそれとは方向性は違うものの出会った人々、特に子供たちが自分の尻尾を触りたがっていた理由がなんとなくわかったような気がした。
「甘えん坊さん……」
フィリアはまた小さく寝言を零した。それを聞いたハルトはふと我に返ってすっと手を引いた。まだまだ甘えたい盛りの時に親元を離れたからだろうか、本当は心のどこかで甘えられる存在を求めていたのかもしれない。そんな潜在意識が自分をこのような衝動に駆り立てていた。無自覚の内に求めていた『甘えられる存在』にハルトは出会えていたのだ。
こうしていられるのも今夜で最後である。そう考えたハルトは開き直ってフィリアの胸の中に顔を埋めた。そこにはまるで本当の母親のような温かさがあった。素直にそれを求めるとハルトの胸のざわつきは徐々に収まり、やがて静かに眠気が訪れた。
その夜、ハルトとフィリアは互いを求めあうように身を寄せて眠ったのであった。
「じゃあ、今日でお別れだ。今まで世話になったな」
翌朝、身支度を終えたハルトは荷物をまとめるとフィリアに別れの挨拶をした。次の行き先は決まっていて、そのための準備も万端であった。
「こちらこそ。おばさんのためにいろいろしてくれてありがとう」
そう言うとフィリアは腰を屈めてハルトと視線の高さを合わせると、彼女の頬に小さくキスをした。この手のスキンシップを経験したことのないハルトは耳をピンと立て、尻尾をバタバタと振り回して動揺した。
「なんだいきなり!?」
「お別れのキス。したことない?」
「ねえよ!」
「ふふっ、そっかぁ」
ハルトの反応を見てフィリアはからかうように笑った。
「ねえハルトちゃん。一つだけ伝えたいことがあるの」
「なんだ?変なことだったら無視するからな」
「そんなこと言わないわよ。もし旅が終わって、帰る場所が欲しくなったらいつでもおばさんのところに戻ってきていいからね。待ってるから」
フィリアは完全にハルトに心を開いていた。こうしてハルトには今の姿で帰れる場所ができたのである。
「旅が終わったら……な。その頃にはおばさんはもうお婆さんかもな」
ハルトはフィリアのやさしさに喜びつつも冗談めかした軽口でそう答えた。彼女の旅には宛がなく、彼女の気分次第でいつまでも続くものだった。
「もう、ハルトちゃんったら」
「いつまでも喋ってると名残惜しくなって出発できなくなりそうだ。じゃあな」
会話を強引に振り切ったハルトはフィリアに背を向けると次の目的地、ブルームバレーまでの道を歩み始めた。まだ彼女の旅は始まったばかりであった。
「元気でねー!」
フィリアは遠ざかっていくハルトに手を振った。ハルトは後方を振り返り、フィリアの姿を見納めするとハンドサインでそれに答えた。次に彼女に会えるのはいつになるのだろう、これが最後かもしれないなどと少し名残惜しいような思いを馳せながらもハルトは前に向き直った。
次なる旅の目的地、ブルームバレーに向けてハルトは一人歩みを進めるのであった。
次回に幕間を一本挟んで第二章は終了となります。