ハルトの客引き
朝七時、ハルトはフィリアに声をかけられて目を覚ました。寝ぼけ眼を擦りながら見たフィリアの表情はどこか楽しそうに見えた。
「ねえねえハルトちゃん。昨夜言ってた子供たち向けのメニューを作ってみたの。試しに食べてみてほしいな」
唐突であった。食卓の方から仄かに甘い香りが漂ってくる。それにしてもあの短期間でよく作れたものだとハルトは感心するばかりであった。
「これが新しいメニューってやつ?」
「うん。昔息子によく作ってあげてたの」
フィリアの作った新メニューとはパンケーキであった。普通の生地に蜂蜜がかけられ、上にはホイップクリームが乗せられていた。見た目は至って簡素なものであったがその甘い香りがハルトをひきつけてやまなかった。
「じゃあ。いただきます」
ハルトはナイフとフォークを持ち、パンケーキを切り分けるとそれを一切れ口にした。次の瞬間、ハルトの口の中には甘味が広がった。
「んん!うまいな!」
フィリアの作ったパンケーキをハルトは絶賛した。きっとこれなら誰が食べても美味いというだろう。上機嫌にパンケーキを頬張るハルトの姿を見てフィリアの顔に微笑みが浮かんだ。
「本当?じゃあ今日から早速出してみようかな」
フィリアはハルトの反応を見て今日からそれをメニューとして出すことを決めた。彼女の中にはハルトがいいと言ったものだからきっと大丈夫だろうという信頼があった。
「いいんじゃないか?俺も外で子供たちに広めてくるぞ」
町の子供たちから避けられているフィリアと違ってハルトは町の子供たちと普通に接触が可能であった。なんなら子供たちの方からハルトに寄って来る。
それにハルトからすれば子供たちがフィリアに対して抱いている誤解を解く絶好の機会でもあった。
「じゃあ行ってきまーす!」
朝八時。フィリアは喫茶店を開店させ、ハルトは機械修理の依頼を拾いに外へと出かけた。
喫茶店には開店と同時にぼちぼちと人が入る。それを尻目にハルトは看板を担いで通りへと繰り出したのであった。
午前中のハルトへの仕事の依頼はゼロであった。一昨日と変わらない状況ではあるものの、先日の収入のおかげで心持ちにはかなりの余裕があった。
むしろ、この後立ち寄る広場にいる子供たちに声をかけることの方が本題であった。
「あっ!狐のお姉ちゃん!」
「ようお前ら」
ハルトに気づいて駆け寄ってくる子供たちにハルトは気さくに声をかけた。彼女たちはもうすっかり打ち解けた間柄であった。
「喫茶店のおばさんに確かめてきたの?」
「ああ、確かめてきたぞ」
子供たちは昨日交わした約束を確認してきた。フィリアが子攫い女なのかどうかは子供たちにとっては共通の大きな疑問であり、それを直接確かめられるのはハルトだけであった。
「どうだった?」
「フィリア……いや、喫茶店のおばさんは子攫い女なんかじゃなかったぞ」
「本当に?」
「本当だとも。ご飯も食べさせてくれたし、お風呂も用意してくれて、なんなら一晩泊めてもらった上にこうやって自由に外も出歩けるんだからな」
ハルトは自分が自由の身であることを理由にフィリアの潔白を主張した。本当に彼女が子攫い女であるならばもてなしを受けることもなかっただろうし、堂々と外を歩けるような状態にもならないはずである。
それを受けた子供たちは納得したように感嘆の声を上げた。
「じゃあおばさんは子攫い女じゃなかったんだね」
「そうだ。おばさんはいい人なんだぞ」
子供たちの誤解が解けたところでハルトは喫茶店の話を持ち出すことにした。今なら子供たちも快く誘いに乗ってくれるだろう。
「なあみんな。おばさんの喫茶店に行ったことはあるか?」
「なーい。あそこは子供だけで行っちゃダメって言われてたから……」
子供たちは大人からの言いつけを守ってフィリアの喫茶店に寄ったことがなかったようであった。これはまたとない機会である。ハルトはさらに押しの一手を進めた。
「おばさんがみんなのために美味しいおやつを用意してくれてるぞ。俺も今朝食べさせてもらったけど超美味かった」
「本当!?」
「ちょっと食べてみたいかも」
子供たちの中から三人ほどがフィリアの喫茶店に興味を示した。大人からの刷り込みが強い中でこれだけ釣れれば上々であった。
「じゃあ行こうぜ。最初はお姉ちゃんのおごりだ」
ハルトは初回特典と言わんばかりに羽振りよく振舞った。そんな彼女の背をつけて子供たちはフィリアの喫茶店へと足を運んだのであった。
午後十四時。喫茶店は繁忙を終えて一息つき、客入りの少ない時間帯に入っていた。そこへハルトが子供たちを連れて入口を開けた。
「いらっしゃいませ」
「ようおばさん。お客さんを連れて来たぜ」
ハルトの背について店を訪れた子供たちの姿を見てフィリアは目を輝かせた。彼女にとっては念願の子供の客であった。
「はじめまして」
「こんにちはー」
「いらっしゃい。ここに来るのは初めて?」
「はい。初めてです」
最初は少し緊張していた様子の子供たちだったがフィリアの柔らかい物腰に絆されて徐々にその緊張が解れていった。
「空いてるところに座っていいよ。注文が決まったらまたおばさんを呼んでね」
フィリアは子供たちに空いている席に座るように促した。かき入れ時を終えてすっからかんになっていた店内はどこでも好きな場所を使い放題も同然の状態であった。
「いろんなメニューがあるんだね」
「初めて見るものばっかりだ」
子供たちは初めて覗く喫茶店のメニューに視線を集中させた。自分たちの食生活とはあまり馴染みのなさそうなどちらかというと大人向けのメニューが多数羅列されているように見えた。
そんな中、窓に張られた一枚の紙が目に入った。
「『パンケーキ始めました』だって」
「お姉ちゃんが食べたのってこれ?」
「そうそう。すっげえ美味しいぞ」
ハルトの押しに子供たちはいっせいに食いつき、瞬く間に注文はパンケーキ三つに決まった。
「注文をお願いしまーす」
ハルトはフィリアを呼びつけた。今の彼女は居候ではなく、一客であった。
暇な時間帯であるからか、フィリアはすぐに注文を伺いに現れた。
「注文は決まった?」
「パンケーキを子供たちの分、三つ頼む」
「ありがとう。おばさん腕によりをかけて作るね」
注文を受けたフィリアは注文をメモに取ると嬉しそうに厨房へと消えていった。そんな彼女の姿を見て子供たちはやはりフィリアは子攫い女ではないという感覚を強めるのであった。