幕間:初めてのタイツ
今回は第九章の物語の本筋とは関係ない幕間の話になります。
ハルトとループスはグラーシャへの旅路を行く途中、少しずつ空気が冷たくなっているのを肌で感じはじめた。ここから先、寒冷地に近づいてきていることを予感させたのである。
「冷えてきたなぁ」
「だな。そろそろ装いを変えた方がいいかもしれんな」
肌寒さを自覚したループスは携行していた肩掛けバッグから衣類を取り出した。それはグラーシャに向かうことを知ってかねてより用意していたものである。
「ほう、それがお前の言ってた『タイツ』ってやつか」
「その通り。ちゃんとおまえの分もあるから履いてみろ」
ループスが用意したそれこそが依然語っていた下半身用の装束『タイツ』であった。以前マレーネの街で尋ねた毛織物職人に作らせた特注品である。
ハルトはループスから自分用のタイツを受け取るとそれを広げて不思議そうに眺めた。彼女は羊毛で作られた衣類は服と靴下ぐらいしか知らず、一足にまとまった下半身用のそれを見るのは初めてであった。
「これ、本当に履けるのか?」
「はぁ……当たり前だろう」
ハルトは初めて見るタイツが本当に着用できるものなのか懐疑的であった。構造的に履けることは一目瞭然だったのだが心のどこかでそれが履物だと信じきれなかったのである。
その疑問に対してループスは呆れたようにため息をついた。
「なんなら俺が履かせてやろうか?」
「断る。お前に履かされるぐらいなら自分でやるわ」
ハルトはループスからの誘いを即答で一蹴すると更衣を始めた。一度ショートパンツと靴下を脱ぎ、露わとなった生足をタイツに通してそのままタイツを引っ張り上げた。
「どうだ?おかしいところとかないか?」
「何も問題はない。よく似合ってるぞ」
タイツに足を通したハルトはループスに自身の見栄えを確かめるとループスは肯定的な言葉を返した。黒い羊毛で編まれたタイツに覆われたハルトの足は普段とはまったく違う大人びた雰囲気を醸し出していた。
そんなループスの前向きな評価とは別にハルトは気になっていることがあった。
「これ、温かいけどなんか違和感あるなぁ……」
ハルトはタイツを着用したことである違和感を覚えていた。ショートパンツが標準装備だった彼女にとってショートパンツを着用していない今の状態はまるで下着のまま歩いているように錯覚させたのである。
「流石に履けないなぁ……」
ハルトはタイツの上からショートパンツを着用しようとしたがタイツの生地が厚手になっていることもあり、最後まで上がらない。とにかくタイツの上からさらに何かを着用できなければ落ち着かなかったのである。
「別にパンツ見えてないからいいだろ」
「見えてなくても俺が気になるの!」
ハルトの姿を見て首を傾げるループスに対し、ハルトはタイツ越しにお尻を両手で抑えながら主張する。だがループスにはその感覚は理解できなかった。ループスは普段スカートとショートパンツを併せて着用しているが彼女にとってはショートパンツは下着のパンツが見えないようにするための手段でしかなく、ショートパンツだろうとタイツだろうとパンツが見えなければどちらでも変わらなかった。
「ループス、お前のショートパンツをよこせ」
「足が通ってもお前じゃ履けないだろ。腰回りブカブカになるし」
「くっそ……」
ループスの言う通り、ハルトとループスとでは体格にかなりの差がある。ループスのショートパンツを貸したところで腰回りが合わずにずり落ちるだけなのは明白であった。
「そんなに言うならスカート履けばいいんじゃないか?お前だって一着や二着ぐらい持ってるだろう」
ハルトはループスから指摘されて狼狽えた。一応彼女も自分が履けるスカートは所持している。しかし彼女はスカートの着用には不慣れだったのである。しかしタイツと併用できるショートパンツを持っていない以上それしか打つ手はなかった。
自分の荷物を漁り、ハルトが取り出したのはかつて崇拝競争に巻き込まれた村で着用したスカートであった。膝丈程度の長さはあり、腰回りに作られた切れ込みのおかげでめくりあげることなく尻尾を出しっぱなしにできる理想そのものの設計がなされた彼女専用の逸品である。
ハルトは久々にスカートを着用したのであった。ループスは初めて見るハルトのスカート姿を目に焼き付けるようにまじまじと眺めた。
「あんまりジロジロ見るな……」
「見るなも何も、これからしばらくそれで過ごすんだから見ない方が無理だろ」
ループスが語る通り、ここから先はグラーシャにたどり着くまでしばらく街がないことがわかっている。衣類を調達する手段がないのである。
よってハルトはしばらくスカート着用のままで過ごすことになるのは確定事項であった。
慣れないスタイルへの衣替えに戸惑うハルトとは対照的にループスはショートパンツを脱ぎ捨ててタイツに履き替えるだけであっさりと衣替えを完了させてしまった。
スカートへの慣れ方だけで両者の差は歴然であった。
「しばらくはお揃いだな」
「やめろ気持ち悪い」
なぜか嬉しそうにそう語り掛けるループスの手をハルトはあっさりと払いのけた。
この時ハルトは次に衣類品店に訪れたときにはタイツの上から着用できるショートパンツを購入することを誓うのであった。
今回で第九章は完結です。
次回第十章からはグラーシャ編になります。




