してあげられること
帰り道、ハルトはずっと悩んでいた。フィリアの過去を知ったことを打ち明けるべきか、それとも知らないふりをしておくべきなのか。彼女の行動の背景を知った今はそれがなんとも悩ましかった。
「とりあえずは知らないふりしてみるか……」
今日のところは知らないふりをしておくことにした。理屈はわからないが、なんとなくそうしておいた方がいいような気がしたのだ。
気が付けばもう日が暮れようとしていた。子供たちが家への帰路を急いでいる姿が見える。ハルトにとって今日は時間が進むのがやけに早く感じられた。
「ただいまー」
ハルトは喫茶店の裏口からフィリアの家へと帰ってきた。まだ二日しか世話になっていないのにも関わらず、なぜか自宅に帰ってきたような安心感を覚えた。
「おかえりハルトちゃん。今日は夕方まで頑張ったのね」
フィリアはハルトを出迎えるとその日の行動を褒めてくれた。彼女には『お金を稼ぎに行く』としか伝えていなかったために本当にこの時間まで仕事をしていたと思っていた。
「今日は郵便屋にタイプライターの修理をしに行ったぞ。おかげでこんなに貰ったんだ」
「まあ!ハルトちゃんは本当に機械が直せるのね!」
ハルトが報酬の入った袋を見せるとフィリアは大喜びでハルトを抱きしめた。
その豊満な胸を顔に強引に押し付けられ、ハルトはたちまち息が苦しくなる。
「むぐっ!?んーっ!」
顔が完全に胸に埋まってしまい上手く言葉を発せなくなったハルトはフィリアの脇腹を叩いて息が苦しいことをアピールした。単純な力ではかなわないハルトがいくらもがきあがいてもフィリアの柔らかい胸の中に沈んでいくばかりであった。必死になるあまりに尻尾がバタバタと音を立てながら振り回される。
フィリアはそんなハルトの様子を見て慌ててその手を離し、ハルトと一歩分程度の間隔をあけた。
「はぁ……胸の中で死ぬところだった……」
ほんの短時間のうちに窒息しかけたハルトは息を切らしながら戦慄した。女性の胸の中で窒息するなど夢の中でしかありえないことだと思っていたがこんな形で実現するとはおもわなかった。それと同時に『今が男の身体なら……』と邪推せずにはいられない。
「ああ!ごめんね!」
謝るフィリアをハルトは責められなかった。身体的特徴は本人にはどうすることもできないし、フィリアにはそんな意図がこれっぽっちもないことは理解できた。
「いや、気にしないでくれ……」
ハルトの脳裏には郵便屋から聞いた話のことが過っていた。きっとフィリアは子供とのコミュニケーションに飢えるあまりにこのような過剰なスキンシップを取ろうとしたのだろう。
であれば自分からフィリアにできることはフィリアの欲求を満たしてやることではないかとハルトは考えた。
「なあおばさん。もしおばさんが寂しいって思う時があったら、その時は俺にかまってくれてもいいんだからな?」
「本当に?じゃあおばさん、ハルトちゃんのこともーっと抱きしめたいなー」
フィリアはハルトのことを今度は後ろから抱きしめた。一連のやり取りの中でハルトは自分の母親のことを思い出していた。自分が幼いこともこうやって抱きしめてもらったことがあったっけか。背中越しに感じるフィリアの温もりにハルトは母親の面影を感じた。
その後もしばらくフィリアはハルトに密着して離れなかった。きっと彼女は息子に多大な未練を感じていたのだろう。
「ハルトちゃんは温かいね」
「毛が多いからか?」
狐の耳と尻尾が付いている分、ハルトは普通の人間よりも毛の量が多い。密着すれば温かいのは当然のことであった。
「違うわ。ハルトちゃんと話してると、なんだか自分の子供と話してるみたいでね」
ハルトがフィリアの振る舞いに母の面影を感じているのと同様にフィリアもハルトに子供の面影を感じているようであった。これはもうこちらも隠す必要はないのだろうかと疑いつつも、ハルトはもう少し黙っておくことにした。
「ねえねえハルトちゃん。なにかおばさんにしてほしいことある?」
「そうだなー。お腹がすいたからご飯が食べたいな」
ハルトは外を回って腹を空かせていた。それにフィリアを台所に向かわせれば彼女を傷つけることなく安全に距離をとることができた。
「わかった。今から作るから待っててね」
フィリアは二つ返事でそれを了承すると台所へと向かっていった。
彼女から解放されたハルトは借りている部屋に戻ると夕食までの待ち時間を潰すべく機械いじりを始めた。試作した銃の改良案がついに見つかったのだ。
「むむむ……」
ハルトは自ら書き起こした設計図とにらみ合っていた。改良案を付け足すのがどうやっても不可能だったのだ。それを実現するためにはどうしても解体して一から作り直さなければならなかった。
「一晩あれば行けるか……?」
銃はハルトにとっては己の護身のための道具でもある。護身用の武器が一時的になくなるのは不安であった。
幸いにも銃を作ったときの設計図は残っているので同じものを複製すること自体は容易であったが作り直しにはどうしても時間がかかる。
「ハルトちゃーん。ご飯一緒に食べましょう」
気が付けばフィリアがこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。
ハルトは自分の作業をいったん切り上げ、フィリアの作った夕食へとありつくために食卓に足を運ぶのであった。