星空の下で父と
旅の支度を終え、出発を翌日に控えた日の夜。皆が寝静まった頃にハルトはアイム家の玄関前に腰を下ろし、壁に寄りかかって星空を眺めていた。空には雲ひとつかからず、満天の星を一望することができた。幼いころに見たのと全く変わらない空模様にハルトは懐かしさを感じていた。
「相変わらず綺麗だろう。この町の星空は」
星空を眺めるハルトにセシルが声をかけた。セシルはハルトの隣に腰を下ろし、二人で星を眺める。
「物心ついてから初めて父さんに星空を見せてもらったときのことを思い出すな」
「父さんも同じこと思った。あの時のお前は男の子だったけど」
「一言余計だっつーの」
ハルトとセシルは気安く互いを茶化しあった。かつてもこんな風に二人星空を眺めていたことがあった。
「でもさ、俺がいきなり女の子になって帰ってきて父さん驚いたでしょ」
「そりゃあね。これまで男の子として育ててきたはずのアルバスが帰ってきたと思ったらいきなり女の子になってたんだからね。母さんが一発でお前をアルバスだと見抜いたのにも驚かされたよ」
セシルはハルトが帰ってきたときの心境を語った。親と言えども我が子がいきなり面影すらも残っていない姿になって訪ねられれば初見でわからないのは当然である。しかしそれを疑うことなく一発で見抜いたレオナの人智を超えた何かにはただただ驚かされたばかりであった。
「あー、アレな。俺もまさか信じてもらえるとは思わなかった。父さんの反応が当たり前だと思ってたし」
ハルトもまさか自分が今の姿になっても無償で信じてもらえるとは予想だにしていなかった。むしろセシルの初見の反応こそが真っ当なものだとすら考えていたぐらいである。
「アルバスは、今の姿は気に入ってるのか?」
「まあな。望んでこの姿になったわけじゃないけど、この姿自体は気に入ってる。自分でいうのもなんだが可愛いし」
ハルトは耳をピコピコと動かしながら自分の容姿について感じていることをセシルに伝えた。こうなったのは偶然の産物とはいえ、ハルトは自分の容姿には一定の自信を持っていた。
「それにさ、女の子になってよかったこともあるぞ。この姿ならこうやって素直に甘えられる」
ハルトはセシルにべったりと擦り寄って彼の身体に寄りかかった。他人に対して甘えやすくなったのは今の姿の確かな利点であった。
「ちょっと撫でてみてもいいか?」
「構わないぞ」
そういうとハルトはセシルの方に、頭を差し出して彼の要望に応えた。セシルは手をハルトの頭の上に添え、静かに髪に触れた。髪越しに伝わるセシルの指使いにハルトはこそばゆい感覚を覚える。
「んんっ……くすぐったいな」
「いやぁ、女の子を撫でたことないから力加減がわからなくて」
セシルには少女の肌への触れ方がわからなかった。レオナとの交際経験はあれど、今のハルトよりも遥かに肉体的成長を経てからのものであったためその経験が活きることがなかった。
しかしそんな不器用なセシルのスキンシップに対してハルトはまんざらでもないように耳を伏せ、尻尾を上下に振った。
「どうよ?ふわふわのサラサラでしょ」
「念入りに手入れしてるんだな」
「もちろん。ループスの毛の手入れも俺がやってるんだぞ」
ハルトは得意げにそう語る。彼女の語りにセシルは逐一相槌を打った。誰にも邪魔されることのない父と子のひと時がそこには確かにあった。
「アルバスよ。旅に出る我が子に父さんから伝えさせてほしいことがある」
一通りハルトの語りを聞き終えたセシルは自分の話を切り出すための前置きを入れた。ハルトは姿勢をセシルに委ねたまま耳を彼の方へと傾けた。
「これから先、ループスちゃんと二人でいろんな場所を旅するだろう。その先々でいろんなことがあって、そこからさまざまな学びを得ると思う。学ぶことを目いっぱい楽しみなさい」
『旅の中で学びで得ることを楽しめ』それが再び旅立つ我が子にセシルから伝えたいただ一つの教訓であった。
「あと、たまにはこっちに手紙を送ってくれると嬉しいかな。母さんもきっと喜ぶよ」
「手紙な。思い出したらその時に送るよ」
ハルトとセシルは星空を眺めながら語らう。帰省してから一緒に仕事をしたりはしたものの、何もせずに団欒の時を過ごすのはこれが最初で最後であった。
「あと……今夜のことは母さんには内緒だからな」
「はいはい」
セシルはほんの少しばかりの独占欲からハルトに親子の約束を取り付けたのであった。




