有償の修理工
フィリアの家にて一夜を過ごしたハルトは朝八時に目を覚ました。
いつものように身体を起こしてベッドから抜け出し、鏡を見て寝癖の付き具合を確かめると心なしかいつもより寝癖の量が少ないような気がした。
これがちゃんと手入れをした結果かと感心しながらハルトはブラシを取り出して日課のブラッシングを始めた。できることならフィリアがお節介を焼きに来る前にこちらで終わらせてしまいたかった。
「ゆっくりできるのかできないのかわからねえな」
時間を気にせずゆっくりできるのか、それともフィリアに見つからないように急がなければいけないのか、ハルトはなんとも複雑な気分であった。
ちょうどブラッシングを終えたころにフィリアがドアをノックしてきた。間一髪で間に合ったことにハルトは安堵で胸をなでおろした。
「ハルトちゃん起きてる?」
「おはようおばさん」
「おはよう。朝ごはん作ったから一緒に食べましょう」
フィリアは朝食を用意してくれていた。やはり彼女は自分のことを娘か何かだと思っているのだろうか。そう考えつつもハルトは卓に足を運んだ。
「今日は仕事じゃないのか?」
「ええ。今日はお仕事はお休みの日よ」
どうやらフィリアの喫茶店には定休日があるようで今日はたまたまその日らしい。
「ハルトちゃんは今日はなにかやることはあるの?」
「今日も仕事探しだ。今日こそちゃんと対価を払ってもらえる仕事をする」
「小さいのに感心ね。何のお仕事?」
「機械の修理だ」
『機械』という単語を聞いたフィリアはどこか曇ったような表情を見せた。
「どうかしたか?」
「ううん。なんでもないの」
ハルトは首を傾げながら尋ねるとフィリアは何でもないようにふるまった。彼女には過去に機械にまつわること嫌な思い出でもあったのだろうと察しつつもハルトはそれ以上は踏み込みはしなかった。
「それじゃ行ってくる。夕方にはまたここに帰ってくると思う」
「行ってらっしゃい。機械に触るならケガしないように気をつけてね」
朝食を食べ終えたハルトは普段着に長袖の上着を羽織るとフィリアの家を飛び出していった。そのやり取りは傍から見れば親子のようであった。
「機械が壊れて困ってないかー?そういう奴がいたら俺が直してやるぜー」
ハルトは看板を担ぎながら昨日と同じように町を練り歩く。するとどうだろう、昨日とは少し違うようであった。
「君、息子から聞いたよ。よその子の魔法人形を一人で直したそうじゃないか」
「ん?ああ、そうだな」
一人の中年男性がハルトに声をかけた。どうやら昨日広場で戯れていた子供から話を聞きつけてきたらしい。
「そんな君に折り入って頼みがあるんだ」
「頼み?」
「うちに直してほしい機械があってね。もちろん報酬は出すよ」
それは『仕事の依頼』だった。初めての依頼にハルトは心を躍らせる。
男に案内され、ハルトが訪れたのは町の郵便屋であった。男は郵便屋に勤めている人物であった。
郵便屋に勤める他の職員たちは男が連れてきたハルトの姿に注目を高めた。
「社長。その子は?」
「機械の修理を請け負ってくれた子だ。私が呼んだんだよ」
男は郵便屋の社長だった。建物や内装、職員の規模を見るに決して大手というわけではないようである。
「ここに一つしかないタイプライターが動作不良を起こしてしまってね。これがなければ代筆ができなくなるから困るんだ。だから君に見てもらいたい」
男がハルトに依頼したのはタイプライターの整備であった。文字の読み書きがどちらもできるハルトにとってタイプライターは縁が薄く、初めて目にする機械であった。ハルトは早速タイプライターを嘗め回すように様々な角度から眺める。
「動作不良ってのは具体的にはどんな感じだ?」
「特定の文字の入力が印字に反映されないんだ。こんな具合にね」
男はタイプライターを使って文字盤を順番に打ち込んで実演してみせた。なるほど、確かに特定の文字だけが台紙に印刷されていない。
ハルトは工具をデスクに広げて修理の準備に入った。
「一回中の様子を見るから分解するが構わないな?」
「それで原因がわかるなら構わないよ」
男から了承を得るとハルトは工具を使ってタイプライターのネジを取り外して分解を始めた。ここで唯一の機械が少女によって分解される様を郵便屋の人間たちは目を丸くしながら見守る。
分解を始めてすぐに動作不良の原因は特定できた。
「文字盤とつながってるアームがすり減ってインク部分との接触が起こらなくなってるんだ。ここを直せばまたこれまで通りに使えるはずだ」
原因はアームの接触不良であった。ハルトはすり減ったアームと通常のアームの一本をそれぞれ分解して取り外すと、合成の魔法を使用して予備の工具の一部をすり減ったアームに合成させた。
合成されてやや大きく不格好になったアームに研磨をかけ、通常のアームと同じサイズになるように目分量で調整をかけていく。ハルトの修理技能に郵便屋の職員たちは舌を巻いた。
修理を始めること数十分、ハルトは研磨を終えたアームと通常のアームをそれぞれの場所に再び接合し、軽く文字盤を叩いてみた。するとさっきまで印刷されなかった文字が見事に紙に印刷されるようになっていた。
自分たちの手に負えなかった機械の復活に郵便屋の職員たちは歓喜の声を上げた。
「これでこれまで通りに使えるはずだ」
「見事な腕だったよ。おかげでまた代筆の仕事を再開できる」
分解したタイプライターを元通りに修復したハルトは男からお礼を告げられた。自分の技能が人の役に立ったことを実感してハルトは優越感に浸った。
「ありがとう。これは我々からの気持ちだ」
男はハルトに報酬の貨幣を手渡した。手で数えてみると、この町の宿に十泊とその間の食費に使用してもまだ少しおつりが出るぐらいの額があった。
それを見たハルトは予想以上の報酬に思わず目を疑った。
「こんなにもらっていいのか?」
「構わないさ。これでもこのタイプライターの購入金額の半額程度だからね。買い替えるよりも安いんだ」
ハルトはこれまで簡素な素材から自作していたため気づかなかったが機械は非常に高額な存在であった。思わぬ部分で自分の認識と世間の認識がずれていた。
「しばらくは大丈夫だと思うけど、もう壊れないって保証はないからいつかはちゃんと新しいのを買うのをオススメするぞ」
「ははっ。うちの売り上げが伸びたらその時に考えてみるよ」
ハルトからの忠告に男は苦笑いしながら答えた。現在の経営状況では二台目のタイプライターの購入は遠い未来の話であった。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「ふふんっ!今日は何を食べようかなー」
郵便屋の職員たちからの感謝の言葉を背にハルトは男から受け取った多額の報酬を握りしめ、上機嫌に耳を立てて尻尾を振りながらその場を後にするのであった。