幕間:海ではしゃぐ
今回は第七章の本筋とは関係のない幕間の話になります。
ハルトの生まれ故郷プリモへ向けて出発する前日のこと。ハルトはループスを連れてウォルフェアの港から外れた浜へと訪れていた。
「おぉー!海ってこんなふうになってるんだな!」
陽光を反射してキラキラと光る海の水面を間近で見たハルトはそれに負けないぐらいに目を輝かせた。彼女の目には海は非常に幻想的な世界に見えたのである。
「そんなにすごいか?」
「すごいだろ!だって俺こんなの見たことないぞ!」
海に慣れ親しんでいるからか落ち着いているループスとは対照的に幼子のようにはしゃぎまわってた。これだけ気分が高揚しているハルトの姿を見るのはループスも初めてであった。
ハルトは今度は浜の砂に興味津々な様子であった。これまでの旅路の中では見たことのないきめの細かい柔らかな触感が楽しいのか、何度も手で掬ってはそれを指の隙間から零した。
「これって持ち帰ってもいいのか?」
「持ち帰っても使い道がないだろう。やめとけ」
突発的に意味不明なことを口走るハルトにループスは冷静に突っ込みを入れた。浜の砂などいくら持ち帰ったところで使い道は皆無であり、ただ荷物を圧迫するだけの無用の長物であった。
「そういえば、ここには人は来ないんだな」
「そりゃあウォルフェアの人間はここを遊び場だと思ってないからな」
ふと周囲を見渡して自分たち以外に人がいないことに気づいたハルトがループスの尋ねるとループスは淡々とそう答えた。彼女自身を含め、ウォルフェアの人々は海を街の一部だとは思っているものの、そこを遊び場とは認識していない。海を訪れるのは船乗りか釣り人ぐらいであった。
「じゃあ海に入ったりもしないのか?」
「そうだな」
「ほぉー」
そう言うとハルトは海へと近づいていった。そして好奇心の赴くまま、静かに海水へと足を浸すとそこから伝わる冷たさに思わず身体を震わせた。
「ふおぉ……!」
海に入ったハルトが水の冷たさに驚いているところへループスは平然と海の中へと踏み込んできた。おもむろにハルトの脇の下に手をまわし、彼女の身体が水面から離れるところまで持ち上げる。
「何やってんのお前」
「面白いことを思いついてな」
そう言うとループスは海の沖の方へと視線を移した。ループスの視線の先を追ったハルトは彼女が何をしようとしているのかをそれとなく察した。
「なぁおい。まさか本当にやるんじゃないだろうな?」
「一瞬で涼しくなれるぞ」
ループスはウキウキしながらハルトに語り掛けた。彼女はハルトの身体を海に放り投げるつもりでいたのである。もちろん溺れない程度の深さのところへ、万一の時は自分がすぐに救援できる距離にである。
「ちょっと待て。ここで全身濡れたら後が大変だろう!」
「どうせあとで風呂に入ればどうとでもなる」
ループスはハルトを投げ入れる気満々であった。もう彼女を止められない。ループスは上半身を捻って振りかぶると勢いをつけてハルトを浅い所へと放り投げた。
ハルトの身体は一瞬宙を舞い、飛沫を高く上げて着水した。
「本当にやる奴があるかよ!」
「ハッハッハッ!こりゃ傑作だなぁ!」
ループスはハルトの顔を見て大笑いした。普段はモフモフなハルトの耳と尻尾は海水を吸って体積が普段の半分ほどになり、とてもみすぼらしい姿になっていたのである。
こういう姿は風呂場で何度も見ていて特に珍しいわけではないが衣服を着たままこの状態になるのは今回が初めてであった。
「うぅ……まさかこんなになるなんて」
再び砂浜に上がったハルトは水を払うために尻尾をブンブンと振り回した。水が四方八方に飛び散り、白く乾いた砂を土色に染め上げる。
「いやー悪い悪い。ちょっとやってみたくなった」
「これで終わりだと思うなよ?」
ハルトはループスを睨むと魔法を詠唱しだした。魔法が発動し、ループスの身体はみるみるうちに砂の中へと沈んでいく。あっという間にループスは首を残して全身を埋められた。
「抜けられないんだが!?」
ループスの身体はがっちりと砂の中に埋められていた。首を左右に動かすこと以外は何もできないも同然である。
「砂風呂の気分はどうだ」
「最悪だ」
ハルトはループスへの意趣返しと言わんばかりにクスクスと笑った。彼女はただやられて終わるような性格ではない。これぐらいの報復は平然とやってのけるのである。
数分後、ループスはようやく砂の中から出ることを許されたのであった。
「クッソ……身体中砂まみれだ」
砂から抜け出したループスは全身にこびりついた砂を払った。服の中はもちろんのこと、尻尾の毛の隙間にも入り込んでいる。尻尾を振る度に砂が漏れ出てきた。
「海に入ってきたらどうだ?綺麗に洗い流せるぜ」
「ならお前も道連れだ」
ループスは再びハルトを抱えると助走をつけて海へと飛び込んでいった。海に入り、全身の砂を洗い流すとすぐに砂浜に上がり、流木を薪代わりに火を起こして濡れた身体を乾かした。
「……へくちッ!」
身体を温めている最中、ハルトは不意にくしゃみをした。彼女が初めてまともにくしゃみをするところを目の当たりにしたループスはつい己の耳を疑った。
「なんだ今の」
「なんだって、くしゃみだが?」
「お前めっちゃ女の子みたいなくしゃみするんだな」
「みたいも何も、俺は女の子だが?」
ハルトのくしゃみは実は元々であり、今の姿になる前からこうであった。少女の姿になったことで遠慮する必要がなくなったというだけである。
「そういうお前はどうなんだよ」
「俺はいたって普通だと思うが……ぶえっくし!」
「フフッ……アッハハハハハハハ!」
普通を主張した矢先にループスも大きなくしゃみをした。あまりのタイミングのよさにハルトの中で笑いがこみ上げ、耐え切れずに腹を抱えて笑いだした。
「そんなにおかしいかよ!?」
「お前狙いすましてやっただろ!?アハハハハハハハ!」
ハルトとループスは日が暮れるまで砂浜で戯れを続けたのであった。
これにて第七章が終了になります。次回からは第八章、プリモへの里帰り編が始まります。