内緒の決戦前夜
ハルトが目を覚ますと、そこは宿のベッドの上であった。ケルスとの戦いが終わった後に気を失っていたところを誰かが回収してくれたようであった。
「……?」
ハルトは視界が少し霞んでいるように見えた。何度眼を擦ってみてもぼやけていてくっきりとしない。目覚めて少し経ってからハルトは自分がどういう状態なのかを理解した。
呼吸が熱く、身体に力が入らず思うように動かせない。耳もへにゃりと倒れたままで起こせなかった。ケルスとの戦闘中に生じた急激な寒暖差に身体が適応できずに熱を出したのである。
「やっと目ぇ覚ましたか」
ハルトが上半身を起こしてぼんやりしていたところへループスが声をかけた。彼女がハルトを回収してここまで連れてきたのだ。
「お前が俺をここに?」
「そうだ。お前が軽くて助かった」
ループスは冗談交じりに語る。実際のところは意識を失っていたハルトを発見した途端に激しく動揺し、我を忘れて必死になって連れてきたというのが真相である。
「教えてくれ。どうしてあんなところで倒れてたんだ?」
「あんなところ?」
ループスに問われたハルトは思わず素っ頓狂な返事を返した。意識を失う直前までの記憶が曖昧になっており、自分がどこにいたのか思い出すことができなかったのである。
「まさか覚えてないのか?」
「ケルスと戦った後のことはあんまり……」
ハルトが思い出せるのはケルスと戦闘を行い、彼が敗北して去っていくのを見送ったところまでである。そもそも熱で意識が鮮明ではない今の彼女に記憶を遡ることは難しかった。
「ケルスと戦ったのか」
「ああ。ちゃんと勝ってやったぜ。おかげでちゃんと今日も特訓できたろ」
ハルトはなぜ自身がケルスと戦うことになったのか、その経緯を説明した。それによってループスは自身がカイルと特訓を行っている裏でハルトがなぜ姿を消していたのか、その理由を知ることとなった。
「そうか……ありがとな」
「せっかく俺が体張ったんだからさ……負けたりしたら許さねえぞ」
ハルトはループスに念を押すように言い聞かせた。もしループスがクリムに二度負けるようなことがあれば今度はハルト自身の命も危ういためである。
「約束する。俺は父上に今度こそ勝ってみせる」
ループスはハルトの手を握り、自身の勝利を約束した。もうすでに後に引くことはできない、クリムとの決戦に臨むだけであった。
「決戦には俺一人で行く。お前はここで休んでてくれ」
そう言うとループスはハルトの頭に手を置き、そっと撫でると彼女の身体を静かに横たわらせた。普段は頭を撫でられると反射的にピコピコと動くハルトの耳も今回は動かない。
ハルトはループスの仕草に安堵感を覚えた。確かにこんな状態ではまともに行動できず、同行したところで足手まといになるだけであった。
(アイツ……もしかして明日がその日だってことに気づいてなかったぞ)
ループスはハルトの時間の感覚がずれていたことに気が付いた。彼女は丸一日眠っていたことを知らないのである。
もしそれを知れば病人の身とはいえ彼女があんなに悠長にしているはずがない、なにか行動を起こそうとするはずである。もしもの場合を懸念したループスはハルトに何も伝えないことにした。決戦は明日、そこですべてに決着をつけるつもりであった。
「熱ッ!もっと冷ませよ!」
「できるかッ!これ以上は自分でやりやがれ!」
夜、ハルトはループスの看病にケチをつけて小競り合いを繰り広げた。こうして二人は決戦前夜とは思えぬほどに平和で穏やかなひと時を過ごすのであった。