もう一つの名門
「ほう……この子がよもやマグナレイド家の子息とは……」
時を改め夕刻、約束通りに待ち合わせた軍人はハルトによって連れて来られたループスの姿を興味津々に覗き込んだ。名門マグナレイド家の子息がまさか獣の耳と尻尾が付いた少女の姿をしているとは思いもよらなかったのである。
対してループスは恥じらうようにスカートの裾を抑えてモジモジとした仕草を見せた。
「なんで今更恥ずかしがることがあるんだよ」
「俺この人知ってるんだよ……」
ハルトはループスから驚愕の事実を知らされた。なんとループスは目の前の軍人のことを知っていたのである。
「なんと、私のことを覚えていてくださったとは」
「忘れるわけありませんよ。父上がいつも貴方のことを憎らしく語っていましたから」
ループスが目の前の軍人のことを知っていた理由、それは同じ軍人である父クリムが頻繁に彼のことを口にしていたからであった。
「なんだ、知り合いだったのか」
「そうだ。この方はカイル・エリアス少将、マグナレイド家にも劣らぬ名家の軍人だ」
「少将だったのは昔の話、今は中将ですぞ」
ループスから紹介を受けるとカイルは訂正するように補足を入れた。少将であったのはループスがまだ幼少だったころの話であった。
「へぇー、じゃあすごい人なんだな」
「お褒めに預かり光栄であります」
ハルトが感心するとカイルは謙遜して頭を低くした。
「私がループス殿に稽古をつけるということですが、どのようにすれば?」
「クリム・マグナレイドと互角以上に戦えるようにしてほしい。稽古の内容はそちらに一任する」
ハルトはカイルにオーダーをつけた。再戦までに残された時間は長くはない、できるだけ近道をしたかった。
「では、私流のやり方で鍛えさせてもらいます。期間はどれほどで?」
「残り五日間だ」
「些か短すぎますなぁ……」
想定外の期間の短さにカイルは思わず頭を抱えた。そうとなれば取れる手段はただ一つであった。
「期間が短い以上は叩き上げで指導を行わせていただきます。私からは上部にその間の休暇申請を行っておきます」
カイルは休暇届を叩きつけるつもりでいた。頼み事には真摯に向き合ってくれるあたり、ハルトの目に狂いはなかった。
翌日からカイルによるループスの叩き上げが始まった。それはハルトがドン引きするほどに凄絶な訓練であった。
「なんだその大ぶりな剣筋は!受けられたときのことを考えているのか!?」
カイルは声を張り上げてループスの粗を指摘した。基礎体力に難はないことがわかったものの、やはり戦闘技術が問題なようであった。これまで魔法剣の能力に物を言わせた力押しが通じてしまっていた分、技術面の弱さがより浮き彫りになってしまっていた。
「脇を締めろ!一振りの隙に横腹を斬られるぞ!」
「受け身が下手すぎる!それでは追撃に対処できんぞ!」
「もし俺がクリムならここまででお前は三度命を落としている!」
指導の最中、熱がこもるあまりにカイルは罵声に近い指摘を絶え間なくループスに浴びせる。時間的に余裕がないとはいえあまりにも厳しいものであった。しかし何度声を荒げられ、打ちのめされようともループスは文句ひとつ言わず立ち上がってはカイルからの指導を受け続けた。
ボロボロになったループスが再び立ち上がったところでカイルは頃合いを見計らったように剣を納刀した。それは稽古をここで中断するという意思表示であった。
「一度休憩とする。一時間後に再開だ」
「カイル中将、俺はまだやれます。稽古の継続を」
「断固として拒否する。休むことも稽古の一つである」
ループスは稽古の継続を望むがカイルはそれを窘める。ハルトはその一部始終を固唾を飲んで見守っていた。
「ループス殿。貴殿の長所は何度打たれてもすぐに立ち上がる根性と意志の強さであります。しかしそれ故に熱くなって目の前の相手を見失っておるのです」
休憩中、カイルはループスに語り掛けた。彼は一軍団を持つ身であり、人間を見る目には相応の自負があった。そんな彼の目にはループスがそう見えていたのである。
「では、俺はどうすればよいのですか」
「落ち着いて、冷静に、ただ冷静に。戦いというものは基本的に冷静さを欠いたものが負けるようになっているのですぞ」
そう語りながらカイルはループスの背中をポンと叩いた。性別や身分などお構いなしにとてつもなく厳しい指導をするものの、問題点の指摘と改善方法を同時に施すあたり理不尽な存在ではなかった。
「クリム……父上とはうまくいっていないのでありますか」
カイルはふとループスに尋ねた。事情はハルトを経由しておおまかに把握してはいたがそうまでしてループスがクリムと対立しようとする理由が彼には理解できなかった。
「俺のしたいことのためには父上の存在が邪魔になった。だから決別したい」
「なるほど……大変そうでありますな」
ループスの主張にカイルは一定の理解を示した。しかしカイルにも家族がおり、いずれは我が子もこうなる可能性があることを考えると手放しで肯定することはできなかった。
そんな様子をハルトは影の中からこっそりと見守るのであった。