日暮れの広場で
日が沈んできたころ。ハルトはようやく子供たちから解放された。というのも子供たちが『子攫い女』のことを思い出して帰ってしまったからだ。
「お姉ちゃんバイバーイ!」
「今度こそ捕まえてやるからなー!」
絶対に捕まるものかと心の中で悪態をつきながらハルトは家に帰る子供たちの後姿を見送った。彼女にとってはここからが今日の本題、子攫い女を探す時間であった。
しかしハルトは肝心の子攫い女に関する情報をほとんど持っていなかった。現状わかっていることは『夕方になると現れる』ということぐらいである。どんな見た目をしているのか、どこに現れるのか、などといった情報は何一つとして持っていなかった。
そもそもその正体が市民であればとっくに捕まっていてもおかしくないはずである。それがなぜ今になっても畏怖されているのだろう。もしかすると子攫い女とは子供たちを早く家に帰らせるためにこの町の大人たちが作り出した空想の産物なのだろうか。考えれば考えるほどに謎だらけの存在であった。
わざわざこちらから探し回らなくてもここで待っていれば向こうからやってくるのではないか。そう考えたハルトは広場で待ってみることにした。遊び場のない広場で時を過ごすのは些か退屈であった。
「あんまり余裕はないな……」
財布の中身を見てハルトはぼやいた。まだ宿代と食費ぐらいはそれなりに賄えそうだったがあまり余裕はなさそうであった。このままだとそう遠くないうちに無一文の根無し草だ。明日こそお金を稼がなければ。きっと今日遊んだ子供たちが自分のことを伝えてくれるだろう。そうであってほしかった。
「ねえねえお嬢ちゃん」
ハルトが財布の中身を眺めながら黄昏ていると誰かが声をかけてきた。女性の声だ。もしかしてこの声の主が子攫い女なのだろうか。
そう考えながらハルトは顔を上げて声のした方を見た。そこには見覚えのある顔をした人物がいた。
「あっ、喫茶店のお姉さん」
声の主は今朝立ち寄った喫茶店の店主だった。こんなところで何をしているのだろうとハルトはつい詮索してしまう。
「やだなぁお姉さんだなんて。私はもう三十三のおばさんよ?」
ハルトは衝撃を受けた。こんなに若々しい容姿をした中年女性を未だかつて見たことがなかった。今の自分も歳を重ねてもこれぐらい若々しい姿を……と考えずにはいられない。
「君は今朝お店に来てくれた狐のお嬢ちゃんよね」
ハルトが女性のことを覚えていたように、女性もまたハルトのことを覚えていたようであった。まあ自分の容姿は一度見ればそうそう忘れることはないだろう。
「お店はどうしたんだ?」
「うちのお店は夕方には閉めちゃうの。だから今は大丈夫」
どうやら朝から昼過ぎまでがあのお店の営業時間らしい。夕食のために立ち寄る店は今のうちに別のところを考えておいた方がいいだろう。
「ところでこんな時間に一人でどうしたの?なにかお困り?」
お金のことで悩んでいるとはいえなかった。助力を得られそうだがまだ何の面識もない人間にお金のことを相談するのは流石に気が引けた。せめて何か別のことを切り出した方がいいだろう。
「実は今夜を過ごす場所で悩んでてな。一晩、泊めてもらえないか
」
「私はいいけど……お父さんやお母さんは大丈夫なの?」
ハルトはお金のことは口に出さず、一晩泊めてもらえないかの交渉を持ち掛けた。対して女性は至極真っ当な反応を返す。しかし両親のことなど今のハルトには不安材料ですらなかった。
「俺、今は一人で冒険の旅をしてるから両親は不在で……」
「そう!じゃあおばさんの家においで」
両親が不在であることを知った瞬間に女性の声が一段階明るくなったような気がした。もしかして彼女がこの町で噂されている『子攫い女』なのだろうかとハルトは勘繰った。だとすればよく堂々と通りを歩けたものである。
「本当にいいのか?」
「もちろん。夜になると子攫い女が出てきちゃうから早くいきましょう」
子攫い女が自ら子攫い女のことを口にするだろうか。いや、そんなことはないだろう。きっと彼女は子攫い女ではない。そう思ったハルトは女性の好意に甘えて一泊させてもらうことにした。
「お嬢ちゃんの名前はなんていうの?」
「俺はハルト。ハルト・ルナールブランってんだ」
「そう。ハルトちゃんっていうのね」
道中、女性に名前を尋ねられたハルトは簡単に名乗った。誰かに自分の名前を教えるのは何気に初めてであった。これからもこうやっていろんな人にその名を伝えていくのだろう。その第一歩であった。
「私はフィリアっていうの。おばさんって呼んでくれてもいいわ」
「じゃあフィリアおばさんだな」
フィリアはハルトにそう呼ばれるとなぜかご機嫌になった。彼女は子供が好きなのだろうか。そうだとすればハルトにとっては自分の外見を利用できて好都合であった。
「ところで、その耳と尻尾ってどうなってるの?」
「直接生えてるんだよ。信じられないと思うけど」
このやり取りももう何度目だろうか。きっと行く先々で出会う人々と一生これを繰り返すのだと思うとハルトは早くも辟易した。
「さぁどうぞ。昼間はお店だけど夜は私の家だから」
フィリアの自宅は店との兼用であった。初めて入る営業時間外の店の入り口にハルトは内心ドキドキしていた。
「おじゃましまーす」
こうしてハルトはフィリアの家の玄関をくぐった。修理工として自分を売り込みながら町を歩き、人形を直して子供たちと戯れた冒険二日目もこうして終わりを告げようとしていた。
そして、そこから先はハルトにとって長いような短いような不思議な体験、彼女にとって最初にぶつかる事件の始まりであった。