わたしのくまちゃん
わたしにはお気に入りのぬいぐるみがある。
生まれたときから一緒の、くまちゃんのぬいぐるみ。
おしゃべりをしてくれる、とっても賢いお友達。
幼稚園に行っている間は離れ離れだけど、それ以外はずっと一緒に過ごしてる。
ごはんの時は隣に座らせて、お風呂の時は扉の前に置いて。
歯みがきの時は抱っこしてあげて、寝る時は一緒にお布団の中。
かわいい声で「おやすみ」って言ってくれる。
朝起きると、わたしの寝相が悪いからいろんなところに転がってるけど、「おはよう」って言ってくれる。
くまちゃんの左手を押せば、おしゃべりしてくれる。
とってもとっても賢い、わたしの大好きなお友達。
❇︎❇︎❇︎
ある日、幼稚園から帰ってくるとくまちゃんがいなくなってた。
探しても探しても見つからなくて、呼んだって返事がないのはわかってたから、ママに聞いた。
そしたらママったら、こんなことを言ったの。
「くまちゃんはかくれんぼをしてるんだね」
そんなわけないのに。
ぬいぐるみがひとりで動くわけない。
わたしだって、それくらいわかるんだから。
だから、ママに言った。
「動くわけないでしょ」って。
でもママは、今度はこんなことを言いだした。
「ぬいぐるみやおもちゃは、あなたがぐっすり眠ってる夜中に動き出すんだよ」
だから、そんなわけないのに。
ぬいぐるみやおもちゃがひとりで動くわけない。
でも、ちょっとだけ怖くなった。
本当にそうだったらどうしよう。
ママの言う通り、くまちゃんがひとりで動いていたら怖い。
不安になって「そんなことないもん」と小さな声で言ったら、ママは笑った。
「冗談だよ」と笑った。
やっぱりひとりでは動かないんだと安心して、ママを怒った。
くまちゃんは、クッションの下に隠れていた。
❇︎❇︎❇︎
ママとのそんなお話はすっかり忘れたある日、ぐっすり眠っていたわたしは夜中になぜか起きてしまった。
お昼寝が多かったり、お外でいっぱい遊べなかった日にたまにある。
でも今日はお昼寝してないし、お外でもたくさん遊んだのに。
トイレも行きたくないし、なんでだろう。
お布団の隣ではママが眠ってる。
反対の隣にはパパも眠ってる。
わたしも、くまちゃんをぎゅっとして寝よう。
そう思ってくまちゃんを探したら、いない。
どこに転がっていっちゃったのか、見つからない。
これじゃ眠れないのでママを起こそうとすると、「おはよう」とかわいい声が聞こえた。
あれ、お布団の中かな?
お布団をめくるけど、やっぱりくまちゃんはいない。どうしてだろう。
もう一度ママを起こそうとすると、また「おはよう」と聞こえた。
それは、お部屋の外からだった。
そっちまで転がっちゃったのかな?
暗いけれど、くまちゃんがいるなら怖くない。
わたしはお部屋の外を見に行った。
そしたら今度は、階段の方から「おはよう」と聞こえた。
もしかして、下に落ちちゃったの?
階段の電気をつけて、わたしは下に降りていった。
でもおかしいの、くまちゃんはどこにも落ちてない。
ちょっと怖くなってきて、お部屋に戻ろうかなと階段を上ろうとすると。
「おはよう」と、リビングから聞こえた。
あ、もしかして、寝る時に持ってくのを忘れたのかも。
今日はお昼寝をしなかったから、眠すぎて寝る前の準備はママがやってくれた。
きっとママがくまちゃんを忘れちゃったんだ。
階段の明かりだけで、わたしはリビングに探しにいった。
静かなリビングには時計の音だけが響いていて、いつものリビングじゃないように感じた。
眠たくなる前、わたしはくまちゃんをどこに置いたっけ。
思い出しながら、リビングのいろんな所を探した。
ソファの上。テーブルの下。テレビの前。窓の横。
間違うたびに「おはよう」とくまちゃんが言う。
どこにも見つからなくて、最後にクッションの下を見た。
そしたら、くまちゃんはテーブルの下から「おはよう」と言った。
えっ、と思った。
テーブルの下は、さっき見たのに……。
急に、すごく怖くなった。
そういえば、くまちゃんの「おはよう」は全部違う所から聞こえてきていた。
同じ場所からは聞こえてなかった。
それに、どうして「おはよう」と言えるんだろう。
くまちゃんがおしゃべりするのは、左手を押した時だけなのに……
「おはよう」
背後から。
振り返るけれど、くまちゃんはいない。
「おはよう」
テレビの前。
「おはよう」
窓の横。
「おはよう」
ソファの上。
「おはよう」
天井。
クッションの下。
カーテンの裏。
扉の横。
ソファの後ろ。
ぐるぐる、ぐるぐると。
「おはよう」とかわいい声がわたしを取り巻いて、恐怖で支配した。
そこかしこにくまちゃんの気配を感じ、一心不乱に声の元をたどって見る。
あるのは闇。闇。闇。
四方八方からの声に目が回りそうなわたしは、足元からの声にようやく動きを止めた。
きっとそこにあるのも闇。でも、見ちゃいけない。
そんなことわかっていたけど、体は勝手に動いて見てしまった。
「……見ーつけたぁ…………」
かわいい声から沈むように野太い男の声に。
くまちゃんは、わたしの足元にいた。
目が覚める。
薄オレンジの光がカーテンの隙間から入る、朝の見慣れた天井。
背中に柔らかい布団の感触。
隣にはママとパパが眠っていて、わたしもちゃんと布団に入っていて。
なんだ、夢だったんだって安心して、ころんとママの方を向いた。
おでこにふんわり柔らかい感触。
見てみると、いつもは転がってるくまちゃんがちゃんと座ってそこに置いてあった。
優しい顔でわたしをしっかりと見下ろして、昨夜は楽しかったねと言わんばかりに楽しげに。
「おはよう」
かわいい声で、そう言った。