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小説風景12選/小説喫茶企画

木いちごのワインをどうぞ

この作品に取りかかる前に、祖母が永眠しました。

書き終えてから見直すと、祖母がそこかしこにいる。登場人物の中に。


この作品を、祖母に捧げます。

 薔薇色の液体を満たしたグラスに、蝋燭の光が反射して揺れた。



「こっちにもくれないか」

「やあ。夏樹なつき。相変わらず麗しいね」


 涼しげな好青年といった風情の、みどりかえでが声をかけてくる。楓は最近、文学青年を気取っているのか、眼鏡をかけている。碧はと言えば、薔薇の花束持参だ。彼は銀のトレイを持ってグラスを運ぶ俺に近づくと、花束をばさりと突きつけてきた。


「百三十六度目の正直! 僕のお嫁さんになって!」

「断る」


 きっぱりと言うと、笑顔のまま涙目になってその場に崩れ落ちた。


「百三十六度目のプロポーズ、轟沈にゃ〜」

「百三十七度目に期待しよう」


 見ていた弥生やよい如月きさらぎが言った。如月は少女の姿をしているのに、醒めまくった表情をしている。リボンが満載の帽子をかぶり、可愛らしく装ってはいるものの、にこりともしない表情のおかげで、わけもなく威圧感を出している。と言うか、周囲の気温が下がっている。リボンの先に、きらっと光るものがあった。霜だ。寒いわけである。

 一方の弥生は。


「耳が見えてるぞ」

「にゃっ!?」


 ケーキに浮かれて、耳と尻尾が出放題だ。慌てて隠そうとするが、面倒になったらしい。ぴんぴん、と耳と尻尾を元気よく動かした。


「もう良いのにゃ。人間はどうせ、誰も見てないのにゃ。それよりこのケーキ、うまいのにゃ〜〜っ!!」


 生クリームの塊に顔を突っ込んだ。


「人間は誰もいないって……俺がいるだろう」


 ぼそりと言うと、「夏樹は特別なのにゃ〜」という返事。


「そうそう。夏樹は我らの特別」

「なにせ、春信はるのぶの息子じゃからな。わらわとしても気になる存在ではあるよ」


 ふふふ、と含み笑いをするやたらめったら色っぽい女性、あおい。体のラインをくっきりとみせる衣装は、目のやり場に困る。そうしてフリルとリボンに包まれた、どう見ても幼女なのに、言葉づかいが大仰な姫。


「あら。姫は夏樹を伴侶にお選びに?」


 そこへ声をかけてくる、低いかすれ声。緋色の着物をだらりと羽織った、仕種もだらだらした男。


「いやねえ、アタシだって、夏樹の事食べちゃいたいのに」

氷見ひみが言うと、洒落しゃれにならぬでなあ。春の息子を若死にはさせとうないぞ、妾は」

「そうそう。夏樹をかじったら、許さないから。こんなに可愛いんですもの。大切に扱わないと勿体ないわ」


 姫の言葉になぜか胸を強調して、ウインクをしてくる葵。

 色っぽい。確かに色っぽい。だが。


「夏樹は僕のお嫁さんになるんだよ! 近づかないでくれよ!」


 碧がわめいた。葵は異様に色気のある流し目をくれた。


「あらいやだ、樫の若君。夏樹は女の子の方が好きなのよ。百三十六回もフラれてて、まだわからないの?」

「きっ、君だって、『女』じゃないだろう、白蛇の若君っ!」


 そうなのだ。ほつれる後れ毛をかき上げる仕種も、のぞくうなじの白さも、もちろん豊かな胸も。男なら思わずドキドキしてしまうような色気を振りまくこの女性、実の所、『女』ではない。


「あらん。夏樹は男でも大丈夫なの? だったら、アタシが夏樹を食べちゃっても別に、問題はないわねえ」


 のったりのったりとソファにくつろいでいた色男が、グラスの中身をすすりながら言う。発言と共に、とんでもない色気が彼から発散された。思わず赤面する。すると碧の方から殺気に似た気配が漂った。


「夏樹……なにを赤くなって」

「流石だな、蛇の。『男』になって百年もたつのに、まだその色香」


 気温を下げながら、無表情に言う如月。煽られた碧が俺にしがみついてくる。慌ててトレイを上に上げた。


「目を覚ますんだ、夏樹っ! あんなだらだらずるずるしたヒモ男に、骨までしゃぶり尽くされたいのかっ」

「いや〜ん。しゃぶり尽くすだなんて、何だか、ヒ、ワ、イ。でも夏樹だったら、骨になっても美味しそう」

「あなたは黙っていてください、蛇の長っ!」


 涙目の男に取りすがられた。と、思ったら、色気過多の女性(?)に胸を押しつけられた。


「さすがだわ、兄さま。でも色香なら負けていないわよ、うふ。ねえ、どう? 本物よ、この胸。望みさえすれば、あなたのものよ」

「駄目だ夏樹、気をしっかり持て! 確かにそれは本物だが、彼は男でもあるんだぞっ!」


 うん。それは知ってる。


「それが何だっていうの? 愛し合う二人の前には、ささいな事よ」

「ささいじゃないっ! 君、性別がまだ不安定で、しょっちゅう変化してるじゃないかっ」

 

 それも知ってる。


「愛があれば問題ないわ。それに夏樹だったら私、本物の女になっても良いわ。この胸なくすのももったいないし。愛に生きるのもステキよね。きゃっ」


 ざあっ、と碧の顔から血の気が引いた。


「な、夏樹っ! 君が望むなら胸をつけるっ! つけるから、ぼくを捨てないでくれっ」


 捨てるも何も、おつきあいすら始まっていません。


「ねえん。夏樹ぃ。」

「夏樹!」

「いやーん、三角関係〜。あら、アタシ入れたら四角かしらあ」


 如月の醒めた目線が痛い。姫は面白そうに見ているだけ。


「樫の若君。そこまで夏樹を想われておいでとは……妬けます」


 楓に至っては、全く役に立たない。


「このケーキ、激ウマ! なのにゃっ!」


 そこで顔中クリームだらけにして弥生が叫ぶ。マイペースだ。

 とりあえず、この上げてるトレイをどこかに降ろしたい。そう俺は思った。



 鷹塔たかとう男爵家には、怪しの力がある。世間では、そんな噂が静かに流れている。

 父、鷹塔春信は鷹揚おうような人物だった。妙な色気というのか愛嬌あいきょうというのか、そういうものがあって、生涯妻は娶らなかったが、彼の周囲では華やかな噂が後を絶たなかった。

 そんな彼の魅力は人間に限らず、人外の存在にとっても有効だったらしい。今でも鷹塔家を訪れる彼らは、父の名を愛おしげに呼ぶ。大切な、宝物のように。

 俺にとっても、かけがえのない人だった。


『紹介しよう、夏樹。彼らは私の友人たちだよ』


 孤児院で育った俺は、父により、養子として迎えられた。何が何だか良くわからない内に、男爵家の跡取りとして相応しい教育を施された。それはもう、スパルタに。

 しかし俺は、がんばった。その頃には父が好きになっていたし、また孤児院に戻るのは嫌だったのだ。

 鷹塔家は名門だ。いくら何でも跡は継げない。きっと適当な時期に、別の者が家を継ぐ。だが、それまでは。俺が父の子だ。俺を息子と呼んでくれたこの人に、恥をかかせたくない……。そう思った。そんな一心でしごきに耐えた。素姓の怪しい孤児がうまく取りいって、と陰口を叩く人々からの仕打ちにも耐えた。

 そんなある日。鷹塔家の別荘に連れて行かれた俺は、父から彼らを紹介された。


『可愛い子たちだろう! 仲良くするんだよ!』


 齢百歳を軽く越える妖怪変化たちをつかまえて、言い切った。


『……』


 俺は沈黙して彼らを見つめた。一見、人間に見えた。見えたが。

 耳がぴん、尻尾がぴん、の弥生。

 体のあちこちから緑の若葉をしげらせている碧と楓。

 子どもの目にもド派手で奇抜、色気過剰な格好をしつつ、着物やドレスの裾から長い尾らしきものを出している氷見と葵。

 ひらひらフリルを着てはいるが、無表情に周囲を威圧し、気温まで下げている如月。

 そうして可愛らしい幼女の装いをしつつ、何か逆らってはならないものを思わせる姫がいた。

 俺は彼らを凝視し、父を見上げた。そうして尋ねた。


『春信さま。彼らの耳や尻尾や枝や葉は、趣味ですか』




 後で聞いたが、あの時彼らは完璧に『変化へんげ』しており、普通の人間ならば耳や尻尾に気づくはずがなかったのだそうだ。父が俺を養子にした理由。それは。


「夏樹は春に並ぶ『見鬼けんき』じゃからのう。春も感心しておったわ。おまえの目は、どのような物の怪の本性をも見通してしまう。それを知っているからこそ、われらも気取る必要がない。ふふ。かわゆやなあ」


 姫が小さな手を伸ばし、俺の顎を撫でた。温かな空気が俺を包み、ふわり、と花の香りがした。

 そう。俺は、『見鬼』とやらだったらしい。物の怪を見通す能力を持っているのだそうだ。父、春信もそうだった。

 鷹塔家は代々、『見鬼』の家系だったのだそうだ。おかげで知り合いになった妖怪変化がぞろぞろいる。

 しかし代を重ねるにつれ、能力を持つ者が少なくなった。父は、子どもの頃からの知り合いの妖怪たちの行く末を案じた。胆力のある『見鬼』が次代を継がねば、彼らは忘れ去られていってしまう。

 それで彼は、一族以外の所に跡継ぎを求めた。これはと思う子どもを探し回ったらしい。俺に白羽の矢が立った時には、孤児院巡りは鷹塔男爵の道楽のように思われていた。


『君を見つけて、どれほど私がうれしかったか、わかるかい』


 父は生前、良く俺に言った。俺を彼らに紹介した後本気で跡継ぎにすると宣言し、すったもんだが山ほど、本当に山ほど起きて、親戚連中から轟々と非難されたのだが、彼はけろりとしていた。


『この家を継ぐのは君しかいないよ』


 だって他の人は、彼らが見えないんだからねえ。悲しいような、寂しいような顔で彼は言った。


『見えない人が増えたら、信じない人も増えちゃったよ。私は彼らが大好きで、得難い友人だと思っている。けれど、彼らの事を誰にも話せない。分かち合う事ができないんだ。誰もが笑ってこう言う。おや、男爵は冗談がお上手ですね、って』


 だから、君を見つけた時には本当に嬉しかった。そう言われた。


『春信さま』

『駄目だよ、お父さんって呼んでくれないと』

『お、……とうさん。あの。じゃあ。俺を引き取ったのって……彼らの為、ですか?』

『うん、そうだよ』


 にこにこしながら彼は言った。あっさりと。


『あの……じゃあ、あの教育は? 厳しく仕付けられましたけど、すごい大変でしたけど、正直言って俺、逃げようかと何度思ったかしれませんけど。あれも俺が、彼らの遊び相手になる為のもの、だったんですか?』

『もちろんだよ』


 一瞬、殺意を覚えた。家庭教師のしごきと、物差しでぶたれ、青あざを手足に作り続けている日々を思って。あれが全て、妖怪変化の遊び相手をさせる為のものだったって!?

 愛すべき人物ではあるが、少しばかり、いや多分に彼は、気配りに欠ける所があった。


『だったら……別に必要なかったのじゃありませんか? 遊び相手になるだけなら、使用人にもできます。わざわざ俺に、厳しい教育しなくても』

『駄目だよ。だって彼らは私の大切な友人なんだから。私の息子にも仲良くなってもらいたい』


 彼は言った。


『鷹塔の当主の一番の仕事は、彼らと遊ぶ事なんだよ!』


 自分がそうしたいだけなんじゃないのか。

 あれこれ聞いてひねくれかけていた俺は、そう思った。でも続く言葉に飛び上った。


『だから、夏樹。君は当主にならなくちゃいけないし、その為にもびしびし鍛えられなきゃならないんだ』

『何でそうなるんですか!?』

『彼らが君を気に入ったからさ』


 にっこりして彼は言った。


『私は嬉しいよ! 息子が彼らに気に入られて。これで心おきなく、君を次の当主にできる!』


 彼はあらゆる意味で、我が道を行く人だった。


『どこをどうしたらその結論になるんですか! 一族の人たち、絶対誰も納得しませんよ!』

『私は納得しているよ』

『俺は鷹塔家の血をぜんっぜん引いてないんですよっ!』

『私が納得しているから、問題ないよ』


 本当に、我が道を行く人だった。


『彼らだって、困るんじゃないですか? 鷹塔家の妖怪なんでしょう。鷹塔の血を引かない人間が当主になったりしたら、不都合が起きたりしませんか』

『ああ。契約にちょっと反するかもね』


 父は首をかしげてから言った。


『でも私は、ここ数代の当主の中でもひいきされてるから。お願いしたらたぶん、聞いてもらえるよ』


 何だそれは。


『良いんですか、それで』

『良いんだよ。当主の資格って、いかに彼らにひいきされるかによるから。夏樹をよろしくって頼んでおいたら、ばっちりだよ』


 その時は冗談かと思っておいたが、父は本当にそう頼んでいた。そうして本当に、俺を当主と認める事を、彼らに承認させてしまった。

 ……少しばかり弊害へいがいも出たが。


『でもどうして、彼らと関わり続けるんですか。今は、機械や科学の時代です。もう妖怪や物の怪が過ごしやすい時代ではありませんよ。そりゃ、……何かの役には立つかもしれませんけど』


 気を取り直して俺は尋ねた。長らく続いていた鎖国が終わり、この国は急激に変わりつつあった。かつては徒歩か、馬で移動するしかなかったが、今では鉄道があちこちに走っている。街灯が次々と立てられ、夜を明るく照らしている。電話線が引かれ、遠方の者とも瞬時に会話ができる。そうして年を追うごとに、夜の闇は追いやられてゆく。そこに住むものたちも。


『夏樹。夏樹。私は彼らを『友人』だと言ったはずだよ』


 父は言った。


『私は彼らを利用しようなんて考えていない。彼らは『友人』なんだよ、夏樹。子どもの頃から側にいてくれた、大切な相手だ。『友人』は利用するものではない。『友人』は、時代や立場が変わったからと言って、捨てるものでもない。『友人』はただ、『友人』だ。そうだろう?』


 静かに、俺を見つめて。穏やかに、けれど強いものを言葉に秘めて。


『利用できるか、できないかで選んだ友人は、本当の友人ではないよ。君がそういう態度でいると、相手は敏感に察知する。そうして同じように君を扱うだろう。都合の良い時には君を利用し、悪くなれば君を捨てる。そんな存在として君を見るようになる。……君が誰かをそういう目で見て、そのように扱うのならね』

『でも……それは人間の場合です。彼らは違うでしょう』

『違わないよ、夏樹』


 父は言った。


『彼らは人間とは違う。常識も何もかも。それを忘れてはならない。……けれどね。彼らはとても、友情に対して忠実なものたちでもあるんだ』

『忠実?』

『最初の鷹塔が彼らの一人と友人になったのは、軽く二百年は昔の事だ。それ以来、子孫に会いに来てくれる。……一番最初の鷹塔との約束を守って。彼らにとってその約束は、過去のものではない。今も鮮やかに現在のもの。生きているものなんだ』


 父は微笑んだ。


『初めて会った時、姫がなんと言ったと思う? 『約束どおり、遊びに来たぞ』だよ。一体何の約束なのかと、私は目を白黒させた』


 くすくす笑ってから、父は続けた。


『無論、危険もある。彼らは人間ではないからね。その辺りはきっちりと、線を引かねばならないよ。だが……愛おしいものたちでもある。とても。

 そんな彼らに、私がいなくなった後も、話し相手がいれば良いと思うのは……おかしな事かい?』

『でも……春信さ、あ、お、お父さん。さっきも言いましたが俺は、鷹塔の血を引いていません。その約束に、含まれないのではありませんか』

『その点は大丈夫だよ。二代目か三代目辺りで、子どもが生まれなくてね。養子を取ったんだ。その時に、血筋ではなく、『現当主が認め、家名を継いだ鷹塔』に約束を委譲するとしたらしいよ』


 その時の養子は、親戚からだったらしいけど、と彼は言った。


『こういう事は、形式さえ整っていれば問題ないんだよ』

『そういうものですか?』

『そういうものだ。親戚連中がうるさいけれどね。でも、彼らでは『約束』が果たせない。君しかいないんだ』


 きっぱりと、彼は言った。


『だから、あの子たちをよろしく頼むよ、夏樹。みんな寂しがりやだから』


 忘れられてしまう事は、人間でも寂しいからね、と彼は言った。

 そうして彼は、俺を育ててくれた。知識を与えてくれ、教育を授けてくれ、人間として必要な全てを与えてくれた。やがて俺が成人し、学業を修め終えると、本当に俺に爵位を譲った(その時にはもう本当に、どうしようもない程のすったもんだが起きた。今も、俺が男爵位を継いだのは間違いだと公言している者がいる。でも彼は自分の意思を押し通した)。何年もかけて、俺の後押しをしてくれる人間を手配してくれていたのだ。そうして俺の立場をしっかりと固めてくれた後。静かに逝った。俺に恩返しを一つもさせてくれないまま。

 もう少し、話がしたかった。

 もう少し、一緒に過ごしたかった。

 もう少し、……生きていて欲しかった。

 けれど彼は逝った。穏やかな春の日だった。爵位を継いでから、三年目だった。これも後で知ったが、心臓に持病があったのだ。跡継ぎ問題のすったもんだは、そんな彼に相当な負担をかけた。

 それでも退かなかった。

 俺を息子と呼び続け、他の者にもそれを認めさせた。

 人間からも人外の者たちからも愛された、穏やかなようでいて激しく強いものを持っていた、鷹塔晴信。……父さん。

 最後まで、我が道を行く人だった。


「姫っ。夏樹は僕の婚約者ですっ」


 何だかぼんやりしてしまい、姫が頬をなでるのを放っておくと、碧が血相を変えてすっ飛んできた。


「受けた覚えはないぞ」


 俺が言うと、彼は涙目になった。


「だって、春が。春信が。『夏樹を頼む』って言ったんだ。それってそういう事じゃないか〜〜〜っ!」


 誤算と言うか、唯一の弊害がこれだった。何を勘違いしたのか碧は十年以上に渡って、会うたびにプロポーズを繰り返してくれる。


「それは単に知り合いに息子をよろしくという、それだけの意味しかない。まかり間違えても、息子を嫁にもらってくれという頼みではない」

「いいや、あれは君と結婚してくれという晴信の頼みだっ!」


 純粋とは、思い込みが激しいという意味でもある。彼との付き合いで俺は、思い知った。


「幼い頃から君だけを見つめて、お嫁さんにしようと通い続けているのに。僕のどこが気に入らないんだっ!」

「その行為、全部」


 ひどい、と言って、碧は崩れ落ちた。


「樫の若君。人間はこのようなもの。すぐに年老いてしまう彼らとの婚姻はもう、お諦め下さいませ。貴方にはわたくしがおります」


 楓が膝をついて言う。がんばれ、と内心エールを送った。


「ぼくは、夏樹が好きなんだ〜〜〜っ!」


 しかし碧の叫びに、嫉妬に尖った視線を向けられた。いや。応援しているんですが、俺は。


「ケーキッ! ケーキはもうないのかにゃ〜っ!」


 弥生が叫んだ。頭のてっぺんまでクリームだらけだ。


「ちょっと待ってろ。持ってくるから」


 俺はため息をついて、厨房に向かった。




 鷹塔家の当主となるには、隠れた条件がいくつかある。


 『見鬼』である事。

 『約束』を果たせる者である事。

 彼らに好かれる事。


 三番目の条件が実は、一番重い。過去の鷹塔には、『見鬼』だったが好かれない者もいたらしい。俺を跡継ぎにするに当たって前当主鷹塔春信は、三番目の条件を満たす為、様々な能力や技術を身につけさせた。

 その内の一つが料理である。


 しゃかしゃかしゃかっ。


 生クリームに空気をふくませ、ふんわりとさせる。


 しゅたたたたたたっ。


 冷凍しておいたクッキーの種を、輪切りにしてオーブンに入れる。とちのきの実を砕いて入れてある、素朴な味わいのものだ。


 しゅたっ。しゅたっ。しゅたっ。


 ケーキクーラーに置いてさましていたスポンジに、桑の実のジャムを塗り付けて重ねた。


 すたっ。しゃっ。すたっ。


 生クリームを、二段重ねにしたスポンジに塗り付ける。よし。


 きゅっ。じゅうっ。


 大根おろしを添えた焼き魚に、しょうが汁とすだちを絞った。


 しゅぽん、たぱぱぱっ。


 ローストビーフにブランデーをかける。

 そうこうしている内に、クッキーが焼けてきた。大皿にケーキを乗せ、クリームを絞り出す。綺麗な飾りをつけてから、ワゴンに乗せた。クッキーをオーブンから取り出す。少し冷ます。マッチを擦って、ローストビーフにかけたブランデーをぼっ! と燃やした。青い炎が上がった。焼き魚を大皿に山盛りにし、クッキーを別の大皿に盛りつけて、火の収まったローストビーフの皿と一緒に、全てをワゴンに乗せた。


『華族のお家柄の当主でさえなければ、スカウトしたい所です』


 俺の指導をしてくれた、パティシエやシェフ、板前はそう言った。


『腕が四本あるように見えるぞ』


 休暇で遊びに来た学友は、厨房で料理に励む俺を見てつぶやいた。

 しかし。

 父の腕にはまだ、届かない。

 思い出す、あの衝撃。初めて父が料理をしている姿を見た時、腕が六本あるのかと思った。そうしてそれを食べた時。俺の瞳孔は開いていたと思う。一瞬、意識が飛んだ。それぐらい、美味だった。

 父のようには作れない。俺には才能がないのではないか。やって来た彼らに『味がまだちょっとね……』と言われ、不安に苛まれた事もある。

 しかし、ここ数年で俺の腕は上がった。今も腕を上げつつある。最近では、味にうるさい弥生や姫も、文句を言う事はなくなった。

 見ていてくれ、父さん。

 俺はいつか、あなたを越えてみせる!


「桑の実ケーキと栃クッキー、焼き魚にローストビーフだ」

「にゃはほへへは〜っ!」


 ワゴンをがらがらさせて戻ると、弥生が素っ頓狂な声を上げて飛びついてきた。片手でブロック。料理をガード。


「落ち着け。今、切り分ける」


 しゅぱしゅぱしゅぱしゅぱっ!


 ケーキは八等分された。ちなみに抜刀術も俺は学ばされた。素早くケーキを切り分ける為に。


「幸せなのにゃあっ!」


 焼き魚を片手にクリームの中に顔を突っ込んで、にゃはは〜! と弥生が笑った。


「また腕が上がったな」


 如月がケーキを手にして言う。かちん、と凍ってしまったそれを、フォークで器用に崩して食べている。


「春の作ったケーキとそっくりじゃ」


 ほう、と姫がため息をつく。


「このローストビーフ、美味しいわあ」

「やだ、兄さま。一人で食べないで下さらない?」


 氷見と葵は肉に突進している。


「美味しいよ、夏樹……是非ぼくのお嫁さんに!」

「嫌だ」

「ああああ〜! 百三十七度目〜!」


 クッキーをつまんでいた碧が凝りもせずプロポーズしてきたので、俺は断った。楓はクッキーをかじりつつ、俺を睨んだ。俺は楓を応援しているのだがなあ。心が通じないって悲しいな。




 さすがに疲れてきたので、ちょっと休憩を取った。広間では、まだ皆が騒いで食べている。

 バルコニーに出ると、夜空に星が見えた。

 人の気配はない。彼らが訪ねてくるこの時期、鷹塔の別荘は完全に人払いがされる。掃除も、料理の下ごしらえも、全て俺は一人でこなした。全く、大変な作業だ。毎年毎年。

 ぼんやりと星を見上げていると、こつん、と靴音がした。振り返ると、如月が立っていた。


「夏樹。疲れたのか」

「少し」


 無表情な少女は、歩み寄ってきた。しかし、決して俺が自分に触れないだろう距離で立ち止まった。

 空気が急に冷えた。息が白くなる。


「おまえの料理は年々、美味くなる」

「そうか?」

「春信を見ているようだ」


 如月の目元がほんの少し、和らいでいる。


秋義あきよし高羅たから定信さだのぶを見ているようだ。皆、料理がうまかった」


 ちらちらと、雪が降る。夏だと言うのに。


「如月。暑さがこたえていないか」

「おまえの料理を食べる楽しみの前には、暑さなど物の数ではない」


 どうやら雪女の一種らしい少女は、そう言った。


「だが、夏樹。私に触れぬよう気をつけろ。暑さを防ぐ為に凍気を出している。調整はしているが……下手に触れると怪我をするぞ」

「気をつけるよ。それより、今年も手伝ってくれてありがとう。実の糖度が増した。助かった」


 俺が礼を言うと、如月は微かに笑みらしきものを浮かべた。


「私の凍気が役に立つとは、不思議なものだな」

「如月がいてくれるから、ワインもジャムも美味くなる」


 俺は笑った。寒さは木々にとってありがたいものではない。春や夏に気温が上がらないと、実りは悪くなるし、下手をすると実が落ちて、枯れてしまう。しかし。

 場合によっては糖分が凝縮され、甘く濃厚な実になるのだ。


「俺の場合、葡萄でワインは作らないから。どうかな、とは思ったんだけれど。桑も木いちごも、甘くなってた」

「そうか」

「それで……どうだった? 今年のは」

「まだまだだな。春信のものの方が良かった」

「今年こそはと思ったんだがなあ」


 俺は息をついた。

 薔薇色のワイン。

 初夏の頃に摘み取った、木いちご。父は俺に、木いちごのワインの作り方を教えてくれた。下向きにうつむいて咲く、白い星のような花の実。別荘の周辺には、それがたくさん植えてある。トゲだらけの枝が要注意だが、春には白い花が、初夏にはオレンジの実が、秋には紅葉した葉が、美しい姿を見せる。摘み取ったオレンジの実に、草苺や薔薇苺も加えた。最初に少しをつぶし、水と砂糖、ほんの少しの紅茶を加えて煮て、さめたらイーストとレモン汁を加える。一日寝かせて酵母が元気になったら、別にしておいた木イチゴをつぶし、水と砂糖、紅茶、レモンを加えたものと混ぜ、樽の中で発酵させる。ぶくぶく泡立つのが鎮まるまで待って、澱を越す。そうして再発酵。後は寝かせる。

 出来上がるまでに、最低でも二ヶ月はかかる。この木いちごのワインを目当てにして、皆は出来上がる頃にやって来るのだ。


「今年は酵母菌を変えてみたんだが」

「良くはなっている。だがもう少しだ」

「父さんのワインは美味かったな」

「ああ。……もう一度、飲みたいものだ」


 静かに言う如月。百年以上を生きる彼らは、好きになったものをとても大切にする。父のワインの味もそうだ。彼らは父の作った木いちごのワインをとても愛し……、父が寿命を終えた今は、せめてもの形見にと、それを懐かしんでいる。


「来年、またがんばるさ。必ず同じ味を作ってやる」


 そう言うと、如月は小さく微笑んだ。




「話は終わったかえ?」


 ふわ、と花の香りがした。バルコニーの扉が開かれ、姫が姿を見せた。


「碧を抑えるのには骨が折れた。おまえたちの逢引きを邪魔せぬよう、妾のみならず、氷見や葵までが協力して引き止めたぞ。何か進展はあったのか?」

「逢引き……って。何ですかそれ」


 俺が慌てて言うと、姫は「なんじゃ。何もなしか。つまらぬのう」とぼやいた。


「夏樹。おまえはまことにじれったい。そこがかわゆくもあるが、おまえの寿命は短いのじゃぞ。気になる娘がいたなら、すぐにでも押し倒すぐらいの覇気を持て」

「如月を押し倒したりしたら、俺は凍って死にます」

「死を恐れぬほどの勇気がなければ、おなごはなびかぬぞ?」

「俺を本気で死なせたいんですか、姫」


 ふー、と息をつくと俺は言った。


「如月の事は好きですが、友人としてですよ。一緒にいると居心地が良い。でも、」

「おおお!」


 姫が突然叫んだ。なんだ?


「聞いたかや、如月。夏樹はそなたを好きだと言うたぞ!」


 ……友人として、の一言は無視ですか。


「な、なつき……ひどい、浮気するなんてっ!」


 いきなり扉がばーん、と開かれ、涙をぼろぼろこぼしながら碧が叫んだ。


「浮気も何も。俺たちの間には何もないだろう、碧」

「ぼくを捨てるんだねえええええっ!」


 何もないと言っているのに。


「樫の若君。さあ。私の腕の中へ! 人間なぞすっぱり諦めて、同じ種族同士、絆を深めましょうっ!」


 背後から割り込む楓。しかし碧は叫んだ。


「それでも、夏樹が好きなんだああああああっ!」

 

 どば〜〜〜〜っ!


 一気に彼から枝葉が伸びて広がった。ああ、もう。建物を壊す気か?


「ガラス割ったら嫌いになるぞ」


 一言言ったら、ぴたりと止まった。


「な、なつき?」

「本性丸出しになってるじゃないか、碧。戻せ。扉やら窓やら壊したら、二度と口きかないからな」

 

 しゅるしゅるしゅるしゅる。


 しゅーんとなりつつ、彼は枝葉を引っ込めた。と、思った次の瞬間、だっ! と駆け寄ってきて、俺に抱きついた。


「君はやっぱり、ぼくを愛してくれていたんだねええ!」

「おや」

「ああっ!」

「……」


 姫と楓と如月が、それぞれ反応した。


「おまえ、男の方が良いのかえ、夏樹や」

「なんでそうなる……碧っ! 放せっ!」

「ああ、ぼくの夏樹……」

「若君! 夏樹、貴様〜っ!」

「……」

「何の騒ぎ? あらまあ」

「ついに本懐を遂げたのかしらあ、碧ってば」


 葵と氷見までやって来る。バルコニーはぎゅうぎゅうだ。


「放せってば、碧!」

「いやだ……愛する君と離ればなれなんて、耐えられないっ」

「だからどうしてそうなるっ!」

「嫌いになるって言ったじゃないか。それは、好きだって事だよねっ! 嫌いになる前には、好きじゃないと嫌いになれないものねっ!」

「そうであったか」

「……」

「納得しないで下さい、姫っ!」

「若君ぃぃぃぃぃ〜っ!」

「いやーん。何だかロマンスー」

「ひどいわ、夏樹。私をもてあそんだの?」

「……」

「ちょっとそこ、聞き捨てならない事言わなかったかっ? いつ俺が弄んだっ!」

「ほおう。葵とな? 奥手と見せて、女たらしであったか」

「姫っ! 引っかき回すような発言するの、やめて下さいっ!」

「夏樹。今までの君の浮気は大目にみよう。けれどこれからは許さない。ぼくだけを見ておくれ」

「って、こっちはこっちで話聞いてないっ? こら放せ、碧っ!」

「……」

「愛しているよ、夏樹」

「ぎゃーっ! 若君、やめて下さい〜! おのれ夏樹っ!」

「俺も叫びたいわ〜〜〜っ!」


 その時。


 う〜にゃにゃ〜っ! 


 雄叫びが、その場に響いた。

 何事。

 思わず全員が固まる。すると。


「う〜にゃ〜にゃ〜あああああっ!」


 叫ぶ弥生が蔦につかまりながら、木々の間を飛び移っている姿が見えた。何の真似だ。


「ケーキにマタタビを入れたのかえ、夏樹?」


 姫が尋ねる。俺は首を振った。


「入れてません」

「では、あれは何じゃ。酔っているようにしか見えぬが」


 う〜にゃにゃ〜あああ〜ぁぁぁぁ〜……


 弥生の声が遠ざかる。

 しばしの沈黙。


「樽ごと飲んだようだ」


 そこでそれまで静かだった如月が言った。広間に戻ってから、もう一度こっちに来たようだ。何だって?


「焼酎の瓶が三本、清酒が一樽。空になっている。一人で全て飲んだようだ」


 ……。

 木いちごのワインは、それほど量は作れない。だから、他にも酒は用意していた。していたが。

 焼酎三本に清酒一樽を一人で……。

 しかも、つまみはケーキ。


「あ、あの馬鹿猫……いくら何でも酔っぱらうぞ、そんなに飲んだら! 気持ち悪くならないのか、それに!」

「放っておきたまえよ。今は君とぼくの愛について語る時間だ」


 まだたわけた事を言っている碧を、俺は押し退けた。


「放っておけるわけないだろう! 前にマタタビ酒飲んだ時、弥生は人間の前で踊り狂ったんだぞ、耳と尻尾つきで! 俺がどれだけ、誤魔化すのに苦労したと思ってるんだっ!」


 本当に苦労した。


「鷹塔夏樹は女の子に耳や尻尾をつけて喜ぶ趣味の持ち主だって、しばらく噂になったんだぞ!」


 本当に、本当に苦労した。涙の日々だった。


「それはいけないね。噂になるならぼくとでないと。夏樹は美青年が好みなんだって、声を大にして言ってあげるよっ!」


 いや、それも困るから!


「若君ぃぃぃぃぃ〜〜っ!」

「とりあえず、後ろで泣いてるあんたの従者、何とかして……」



 酔っぱらった弥生を取り押さえるのには、少しばかり手間がかかった。何のかの言いつつ碧と楓が協力してくれて、弥生は蔦でぐるぐる巻きになった状態で、別荘に戻ってきた。けたけた笑っていた彼女だったが、そのままこてん、と寝てしまった。すぴー、すぴーと平和に寝息を立てている。

 氷見と葵は肉類を山ほど平らげ、満足そうに丸くなった。

 碧と楓は、さすがに疲れたらしい。彼らの好きな井戸水を出してやると、足の部分を根に変えて、それぞれバケツの中に突っ込んだ。そのままあちこちに緑の枝葉を繁らせながら、うとうとしている。

 俺も疲れた。ふうと息をついてどこかに座ろうと見回すと、如月と姫が手招きをした。何だ?


「最後の一杯じゃ」


 姫が、木いちごのワインの入ったグラスを掲げた。


「今年のものは、少ぅし甘過ぎたぞえ」

「来年、またがんばるよ」

「そうするが良い。さて。如月?」


 姫がうながすと、如月はワインに手をかざした。

 ちらちらと。雪が降る。

 ワインの中に。雪の花が咲く。

 しゅうっ、と音を立てて、雪の花ははじけて消えた。薔薇色の中に金色の輝きがともる。微かな音楽が響いた気がした。


「飲むが良いよ」


 姫が俺に、グラスを差し出す。受け取ったグラスはしびれるほどに冷たかった。

 一口、飲み込む。


(あ)


 ぱっ、と口の中で、音楽が弾けた。くるくると踊る雪の花。ささやく歌声。懐かしさと喜び。

 父の微笑み。

 まばたくと、音楽は消えた。けれど俺の中で温かく息づいて、優しく命に寄り添っている。


「おまえに贈り物をしたいと、これが言うのでな」


 姫は微笑んだ。


「贈り物……?」

「私の持っている春信の記憶。それをワインに溶かした」


 静かに雪の少女は言った。


「あれはおまえを愛していた。私に良く自慢してくれた。それらの時間と、言葉をな」

「父さん……が?」

「ほんにあれは、おまえにメロメロであったよ、夏樹。私の息子が私の息子がと、うるさいほどに言いおった。春があそこまで子煩悩な親になるとは、まこと、思いも寄らぬ事であったわ」


 ほほほ、と笑って姫が言った。


「ゆえにおまえには、感謝しておるのよ、夏樹。あれの命を豊かに彩ってくれたのじゃからなあ」

「命を?」

「幸せであったのよ。あやつは」


 小さな姫の手が、俺の頬をなでた。優しい手。全てを包む母のような。


「のう、夏樹。疑うでないぞ」

「何を……ですか」

「あれがおまえを愛した事を。春はおまえと出会い、親になった。そうして息子を愛し、育てる事で、それまで以上に豊かに生きた。妾はそれを見ていた。つぶさにな。親となったあれの変わりようは、見事であり、美しくあったぞ。多少、親ばか気味ではあったが。それでも、春の変わりようは見事であった。

 それを引き出したのはおまえ。春が愛したのはな。

 おまえは春の息子。あれに愛された者。それが事実。それが真実じゃ。忘れるな。あれはおまえと出会い、幸せに生きたのじゃ」


 涙が出そうになった。


「どうして、贈り物をしようと?」


 泣くのが嫌で、別の事を言う。すると姫が答えた。


「明日はおまえの誕生日じゃ。最近の人の子は、その日を祝うのであろう?」

「本当の誕生日かどうか……わかりません。父が決めてくれた日ですが」

「本当の誕生日だとも。おまえと春信が出会った日だ。その日、おまえは生まれた。おまえという存在を形作る、核がな。そうであろう?」


 事も無げに姫は言った。


「親族がまだ、うるさいようじゃな」

「はい」

「友の為ならば、皆、動くぞ。容赦なく。我らに頼みたい事はないのかえ?」


 俺はまばたいた。


「ありますが、姫」

「言うてみよ」


 俺は沈黙した。姫を、如月を見つめる。

 それから言った。


「また遊びに来て下さい」


 姫はにこりとした。手を伸ばして俺の頬に触れる。


「おう。来てやろう。まこと、夏樹はかわゆやなあ」

「本当に。初代の鷹塔とそっくりだ」


 如月が真面目な顔で相槌を打った。


「そうなのか?」


 俺が驚いて言うと、如月はうなずいた。


「おまえよりも、豪快な男ではあったが。遊びに来い、酒を飲もうと言うのが口癖だった。それでいて我らに一度として、敵を倒す道具となれと言った言はなかった。あれほどの阿呆は、そういるものではないと思っていたが。夏樹はそっくりだ」


 ……褒められているのだろうか。




 夜が明ける。

 集まっていた者たちは、三々五々、帰り始めた。


「またね」

「名残惜しいわ、夏樹」


 葵と氷見は、それぞれが俺の頬にキスをし、するりと変化を解いてから、木々の間に消えていった。


「うなーん、うにゅーん、クリームもクッキーもお魚もお酒も、美味しかったにゃーんっ」


 うーん、と伸びをしてから弥生は、たしたし、と俺の腹に猫パンチをくれた。それからひょいっと金色の猫になって(尻尾は五つに別れていた)、しゅたっ、と跳躍して消えた。


「このまま君を連れ帰りたいよ、夏樹。ぼくのお嫁さんに……」

「ならない」

「百三十八度目〜〜〜っ!」


 むせびなく碧と、それをなぐさめる楓。二人はすうっと体を透明にすると、青い香りを残して消えた。


「妾もそろそろじゃな」


 姫は微笑んだ。


「皆からの贈り物は、夏樹の部屋に置いてあるぞ」

「え? でも土産は最初に」


 土産と言うか、料理の材料を山ほど。これを使って何か作れと言われた。それで料理をしたら、みんな全部平らげていった。土産の意味あるのか、と思った。……まあ、あるんだろう。自分たちの食べる分は、自分たちで持って来ているわけだから。


「あれは土産。贈り物は贈り物じゃ。如月が誕生日の祝いの品を何か、贈りたいと言ったのでな。他の者も、是非にと言い出してなあ。あれこれ考えるのは楽しくあったわ。後で見て、びっくりしておくれ」


 くすくすと笑って、姫は空に手を伸ばした。すうっ、と体が薄くなり、花の香りが漂う。


「またいらして下さい」

「その時にはまた、馳走しておくれ」


 温かな空気が周囲を覆った。


「幼子よ。妾の愛し子。楽しみにしておるぞえ」


 しゃん、と鈴の音色。

 春の女神は大気に溶けて、消えた。


「夏樹」


 最後に残った如月が、俺の名を呼んだ。気温がすうっと下がる。


「如月。父さんの記憶をありがとう」


 そう言うと、雪の少女は微笑んだ。


「また来る」

「ああ」

「夏樹がくれたものを、私は愛しく思う」

「俺?」


 目を丸くした。俺は何か、彼女にあげただろうか?


「何をあげたっけ?」

「記憶」


 如月は自分の腕で、自分を抱きしめるようにした。


「夏樹は、記憶をくれた。……微笑んでくれた。ありがとうの言葉を言ってくれた。とても綺麗。とても愛しい」


 如月は目を閉じた。


「この記憶を、私は抱えてゆく。……ずっと」


 俺は少し赤くなった。如月の言葉はとても、

 ……純粋で。新雪のように真っ白だ。

 如月の姿が薄くなる。


「ではな」


 彼女もまた、消えた。




 部屋に入ると姫の言った通り、様々な物が置いてあった。

 甘い樹液の入った壺。楓からだろう。

 つやつやしたドングリが、枝で編んだ籠に一盛り。これは碧からだろう。

 ネズミやトカゲの尻尾がいくつか。……たぶん、弥生だ。

 えらく巨大な蛇の脱け殻が二つ。どっちが葵でどっちが氷見だろう。

 この季節にはないはずの花でできた花冠。姫だ。

 そしてグラスに入った、金色の輝きがともるワイン。

 グラスには、まだ霜がついていた。残っていた薔薇色の液体を俺は、ともる金の輝きごと飲み干した。

 ちりん、と響く音楽。

 吹き抜けてゆく涼しい歌。

 ぽっ、と体を温かくしてくれる、優しい笑顔。


「ふふ」


 目尻に浮かんだ涙を指でぬぐって、俺は小さく笑った。


「ありがとう……みんな」


 料理の腕を、また磨かないと。




 孤児院で育った。

 父に拾われて、鷹塔の家を継いだ。

 成り上がり者と陰口を叩く者は多く、親族ですら信用できない。そんな俺が、それでもまともな心を持っていられるのは。彼らがいてくれるから。

 無条件に俺を愛してくれる、彼らがいてくれるから。

 父さん。

 あなたは正しい。正しかった。友人は、利用するものじゃない。

 ただ、友人としてそこにいる。それが。

 心を支える。魂を安らがせ、静かな喜びをくれる。

 特に何かの役に立つわけではない。目に見えて、利益をもたらすものでもない。けれど。

 ただ、そこにいてくれる。そんな存在が、何よりも素晴らしい。

 風が吹いた。緑の香りが俺を包んで、通り過ぎた。


『愛しているよ、夏樹』


 喉を過ぎたワインの記憶が、ちりんと鳴ってそうささやいた。


とりあえず、弥生と姫と如月は、それぞれ祖母っぽい。そういう人でした。

春信父さんにも似てます。……色々、素っ頓狂なとこ……。

木苺のワイン、ラズベリーワインが一番近いと思います。今、普通に売られている物の中では。想定したのは紅葉苺もみじいちごですが、これはラズベリーより味が薄いので、……あまりおいしくならないかもしれません。


参考文献

『わが家でできるこだわり清酒』,『誰でもできる手づくりワイン』著/永田十蔵 農文協

『台所でつくるシャンパン風ドブロク』著/山田陽一 農文協


参考にしたサイト

『夢の中で食べた物』

 カナダ在住のmorinomichi(rumiouex)さんのホームページ。自家製ワインの作り方や、ロマンチックなスウィーツが紹介されています。

『楽しい造り酒屋』

 著者が埼玉県在住、という事は、内容を注意深く読んだらわかったのですが……他、不明。プロフィールがない(汗)。

 ワインやビール、ドブロクなどを自作しておられ、作り方を公開されています。米まで自作するこだわりぶり。


※どちらのサイトにも、木苺のワインはありませんでした。ラズベリーワインは別のサイトでヒットしましたが、味がどうしても違ってきます。

※作中の木苺ワインの作り方は、『楽しい造り酒屋]のチェリーワインを主に参考にしました。夏樹たちも試行錯誤中という事で、お許し下さいm(__)m




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