(2)~謎の乱数表~
首都高に出没する全裸の女性ライダー。
怪しい噂を調査する神崎は、事務所近くの商店街で怪しい姿をした老婆に出会う。
そして神崎が事務所に帰り着くと、誰もいないはずの事務所には電気が灯っていた。
神崎は胸騒ぎを感じつつ、事務所の扉を開けた……。
神崎が勢いよく事務所に転がり込むと、神崎の机の上に思わぬ人物が座り込んでいた。
フィーだ。
何やらうつむいて、フィーはじっと考えている。
神崎の派手な帰宅には目もくれず、真剣な表情だ。
床で一回転してしまった神崎はフィーから目をそらして無表情で立ち上がると、何事もなかったかのようにジーンズの尻をはたいて言った。
「帰ってたのか」
フィーは無言だ。
神崎はバツが悪く、落ち着かない。
「早いお帰りで」わざと軽い調子でそう言いながら、神崎は机の上のフィーに近づく。
フィーは神崎の机の上に片膝を立てて座り、立てた片膝にあごを乗せ、机の上の何かをじっと見つめている。
ウェストに黒のリボン、そして黒のレースが施された短いチュチュスカートから、フィーの長くて白い脚が伸びていた。
「あの……、フィーさん? 下着が丸見えなんですけど」
「これはキュロットなんだにゃ。所長に見えてるのはインナーパンツ」フィーはにべもない。
「あ、そうなんだ……」神崎はさらに気まずい。
―だいたい今日はおかしいぞ。病院でへんてこな話を聞いてからだ。
神崎は咳払いして気を取り直し、上司としての威厳を込めて言う。
「おまえね、机の上に座るなっていつも言ってるだろ」
机の上には紙きれが一枚。
そこには数字がずらりと並んでいた。
「なんだ? そりゃ」
フィーは神崎に無言で紙きれを渡す。
神崎は数字の羅列をじっと見つめた。
よく見ると、三桁の数字が縦に十二個並んでいた。そして三桁の数字はすべて1から6までのいずれかの数字で構成されていた。
「魔女にもらったのだにゃ」とフィー。
「は? 魔女だって? そんなもん実在するわけないだろ」
神崎の口調には嘲りが含まれている。
「だって本人がそう言ったんだにゃ」
「あのなー、魔女ってほうきにまたがって空を飛ぶとかいう、こっちの世界の魔導士みたいなやつだろ? あれって作り話なんだぜ? だいたいほうきで空飛ぶとか、もうそれだけで笑える。知ってるか? ほうきってのは異世界でも現世でも掃除に使う道具だぜ?」
「そんなことは知ってるにゃ!」フィーは不機嫌に答えた。「だけどそいつは、路地裏の暗がりでヘンな魔気みたいなのをビミョーに垂れ流しながら、ボーっと光る水晶玉みたいなのを持って突っ立って、ボクを手招きするんだ。そしたら何だか吸い寄せられるみたいに……」フィーはいたって真剣な表情で語り続けた。
「んで、近づくと『あたしゃ魔女じゃ。あんたは面白い顔相をしておるから占ってしんぜよう』って」
「魔女が『わたしゃ魔女じゃ』とか言うか? それでこの、わけのわからん暗号にいくら払ったんだ?」
「タダだにゃ」
「おまえそれ、完全にからかわれてるだろ」
「う……、そりは……、あんたは今、お金に困っておろう、とか言われたもんだからついその」
「そりゃ、占い師の決まり文句だぜ。まず金、次に結婚とか男女関係。だいたいの人間はそのどれかで困ってる」
「やっぱそうかにゃー」
フィーは一転してがっかりしたようにばったりと仰向けになった。
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「ま、金に困ってるのは事実だけどな。もう事務所の家賃も二ヶ月分溜まってるし」
神崎は努めて明るい口調で言った。
「んー、しかし、しかしですにゃ、所長。魔女かどうかはともかく、あの恰好とかそれから顔とか、要するに全体の雰囲気がですにゃー。なんかこうフツーじゃないというか……」
「へえ。動物的な勘ってやつかね。で、魔女はどんなやつだった?」
フィーは起き上がると机の上のメモ用紙の束を一枚ちぎって、そこにボールペンでさらさらと絵を描いた。
そこにはついさっき神崎がアーケードで出会った怪しい老婆の姿があった。
神崎の背中を汗が伝って落ちる。
「フィー、その暗号な。ひょっとしたらひょっとするかも、だ」
するとフィーは、パッと表情を輝かせて言った。「やっぱあれは、異世界のヒト?」
そして急に思い出したように意地悪な笑いを浮かべながらこう言ったのだった。
「そういえば所長、今日はなんであんな風にかっこよくご帰宅なすったんですかにゃ?」
翌日、神崎はフィーを連れて、事務所の近所の立ち飲み屋に出かけた。
フィーは昨夜のガーリィなスタイルとはうって変わって、オリーブドラブのフィールドジャケット、そして耳隠しにえんじ色のベレー帽を被り、ぶかっとしたカーキのカーゴパンツを履いている。
神崎は基本的に着たきり雀で、ちょっとした外出にはグレイのパーカーと履き古したジーンズで通していた。
フィーは上機嫌で、ニヤニヤと思い出し笑いをしている。
「ねーねー所長、きのうのアレ、何?」
「だからちょっとカッコつけたかっただけだってば!」
しかし、フィーは口元を手で隠すしぐさで、更に容赦なく神崎にツッコミを入れる。
「にゃふふふ、ホントーですか? ほっぺが赤いですにゃ。もしかして何かにビビってました?」
「ヘンな笑い方すんな。違えーよ! 全然余裕だったし!」
緑色の看板が目印の立ち飲み屋「わか」は、路地の曲がり角にある。
午後三時の口開けと同時に、コの字型のカウンターは常連客ですぐに埋まってしまう。
「いらっしゃい!」
神崎とフィーがガラガラと引き戸を開けると、大将が大声で迎えてくれる。
それと同時にカウンターの常連客たちはあうんの呼吸で少しずつ間を詰めて、二人が入れるスペースを作る。
「とりあえず生ビール二つ」
神崎は素早く注文すると、店内の壁に所狭しと貼られたメニュー、そして黒板に書かれた「今日のおすすめ」に素早く目を走らせる。
フィーはビールの注がれたジョッキを受け取ると間髪入れずに注文する。
「ウィンナーと、豚バラ肉。それと……グラタン!」
「おまえなあ、いきなりそんなに注文したら俺が注文できないだろ?」
「所長も好きなものを注文すればいいのに」
フィーは涼しい顔で唇にビールの白い泡をつけて言うが、カウンター上で二人に許されたスペースはそれほど広くない。
神崎は仕方なくフィーに言う。
「グラタンは俺にも半分くれよな」
「へいへい」
メニューを眺めながら神崎もビールに口をつけた。
しばらくすると大きなフランクフルトソーセージと厚めに切った豚バラ肉が、どちらも串に刺さって焼き上がってきた。
「ビールにはやっぱこれですにゃ」
言うが早いかフィーはソーセージにかぶりつき、モグモグと頬張るとビールと一緒に喉へ流し込んだ。
そうするうちにグラタンも焼け、耐熱皿に入って出てくる。
瓶入りのタバスコが添えられ、ちゃんと一人前。エビとマカロニが入って、チーズがたっぷりかかって200円という値段は驚きだ。
神崎はフィーがソーセージに嚙りついている隙に、熱々のグラタンをスプーンですくい、念入りに吹き冷まして口に入れる。
それでもグラタンは熱く、神崎はハフハフと口から湯気を吐きながら懸命に噛む。
濃厚なホワイトソース、やや柔らかめのマカロニ、そして何と言っても小エビが入っているのが目にも鮮やかな上、プリッとした歯ごたえも楽しい。
それから、胃袋に落ちていくまだ熱いグラタンの塊の後を追うように、ビールをグビりと喉に流し込む。
そしてフィーがあっという間にソーセージを食べ、豚バラ串に手を出すのを横目で見ると神崎はカウンターの中に向かって「カツオ!」と注文した。
「カツオ!あいよっ!」
大将は冷蔵ケースから大きな発泡スチロールの箱に入った、丸ごと一匹のカツオを取り出し、まな板に乗せた。
そのカツオは目がつやつやと輝き、銀色の体に黒い縞模様が鮮やかに浮かび上がっている。
「それ、今日買ったやつ?」目敏い客が大将に尋ねる。
「そう、今朝仕入れたんだよ」
「じゃあ俺も」
「あ、こっちもカツオ頂戴」
「こっちもくださーい!」
あちこちから声がかかり、ざくりトントンと手際よく捌かれたカツオはあっという間に半身になってしまった。
神崎の前にもカツオの切り身が皿に盛られて出される。
切り身には醤油に浸けたニンニクの潰したものが添えてあった。
カツオは適度に脂が乗って、見るからに旨そうだ。
神崎の顔に思わず笑みがこぼれる。
「所長はお魚が好きですにゃー」フィーが豚バラ串を平らげ、もぐもぐと噛みながら言う。
神崎は潰したニンニクを丁寧に切り身に乗せながら答える。
「こういうのはさ、あっちにはないよな。肉ってのは『ローフ』に似てるけど、刺身に似た食べ物は全然ない」
そう言って神崎は箸で大きな切り身をつまむと、「あむ」と一口で切り身を食べた。
噛むと口の中で程よく脂がとろけて、そこにマイルドなニンニクの醤油漬けが抜群のアクセントととなって絡み合う。
―うまい!
カツオを呑み込んでから、神崎はおもむろに隣でウーロンハイを飲んでいる常連客に話しかけた。
「ところで……」
そう言いながら神崎はポケットから、フィーが昨夜「魔女」から貰ったという紙きれを取り出して、マサさんという顔見知りの常連客に見せた。
「これ、どうですかね」
「ん?」
マサさんと呼ばれる常連客は、並んだ数字を眺めている。
「これ、いつのレース?」
「明日ですにゃ」
「ふーん……」
マサさんはしばらく数字を真剣に眺めていた。
「全部三連単か。A級を一着に持ってきてるレースが多いね。だいたい常識的なセンじゃない? 意外と手堅いんだね」
マサさんはニヤッと笑って紙きれを神崎に返した。
「ふむ」
神崎はビールを一口飲んで、しばらく考えていた。
フィーが顔を寄せて、ひそひそと神崎に話しかける。
「何のことだかさっぱりわからんにゃ。三連単って、競馬とか?」
神崎はもう一切れカツオをつまんで言った。
「おまえの映像記憶力ってのは、興味の対象にしか働かないのが難点だな」
「にゃ?」
「周りを見てみろ」
フィーが改めて店内を見回すと、壁にはメニューとメニューの間を埋めるように、波しぶきを蹴立てるモーターボートのポスターやカレンダーが貼ってあった。
この店は競艇ファンの集まる店だった。
「明日は江戸川競艇場で勝負だぞ」神崎は口元に笑みを浮かべながら言った。
「おおっ?」フィーが目を丸くする。
「大将、生ビール2つッ!」
神崎の大声に、フィーはビクッとした。
神崎がこっちの世界で、しかも事務所から離れてこんなに大きな声を聞くのは初めてだった。
何やら嫌な予感に尻尾の毛が逆立ち、フィーはカーゴパンツの上から思わずもじもじとお尻を押さえるのだった。
次回「下町異世界探偵2」(3)につづく
や、前回からだいぶ間が空きましたが、とりあえず第2話ができたので掲載します。
取材の方は現在まだ続行中でして……。
次ももしかしたら間が空くかもしれません。
このあたりは作者の不手際と怠慢によるものです。
しかしここを過ぎればサクサクと物語が進むはず……ですのでどうかご容赦願います。
ちなみに立ち飲み屋「わか」は実在するお店です。
新小岩ルミエール商店街のサウナレインボーの角を曲がった路地の突き当りにあります。
前作を書いたとき、読者の方から教えていただいた店です。
小説に書いた通り、美味しくて、つまみも目を疑うほど安いので、おすすめします。