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呼べない名前

 懐かしい感覚だった。

 やると決めた事にはとことんのめり込む僕は、数か月単位で集中する。

 その間の疲労も苦痛も、目的が明確で且つ失敗しても自分自身の成長の糧になり、失敗と言う結果のサンプルを得られるなら気にならない。それは当然の対価だと考えるまでもなかった。

 ここまで長期的な取り組みは旅立ち以来初だった。


「ふあ、この瞬間が好きだ……」


 目的を達成した後に、自分の中のスイッチを全てオフにしベッドにダイブする。

 身体が泥になったかの様な感覚。いや、ハチミツ? なんにせよこのベッドに身を沈め脱力が進むごとに一体になる様な感覚が堪らなく好きだ。

 ジルバ達には1週間休ませてくれとお願いした。むしろ半ギレで絶対に休めと怒られた。

 リラックスし、思考を泳がす。考え事を自然に出し放置する。自然に頭に浮かんでくることを敢えて弄らない。僕は脳内でそれをただ傍観する。


 旅立ち。賊の撃退。ギルドへの登録。ハナとジルバにそれぞれ出会って、ハナが追われていて、パーティを組んで、治安維持部のアシスタントになって、厄災が出て、悪魔が出て、ナインズウィザードに拉致監禁拷問され、そしてプラチナコードを取得し、総術の特級の認定。


 ——ギルド環境調査部への配属。

 目的までの道のりが全く見えなかった事もあったし、もう駄目だと思った事もあったけど何だかんだ近道だった思う。


「やった、ぞ」


 目的を果たすための理想に近い状況が整った。

 無論、目的を果たすまではまだまだ遠い道のりだけど、土台を作れたことに喜びと安堵感が込み上げる。

 大厄災に両親を殺されてから約9年だ。

 そこから今の僕の人生が始まった。

 実時間は判らないけど、長い間そうして呆然と束の間の安息を噛み締めていたと思う。

 漂わせていた思考が数を減らしていく。

 急に瞼に重りが付いた様だった。それは瞬きをするごとに一つずつ増えていく様で、どんどん瞼が下りてくる。

 重りが一つ。重りが二つ。三つ——。


 知覚が曖昧になる瞬間を感じた。が、すぐに僕は意識を手放した。

 ——その意識を完全に手放す直前に、頬に暖かさを感じた。

 何故だか、とても、安心……できる、気が……。だ、れ?


 ●


 気づけば僕は木々に狭まれた空を見上げていた。

 太陽はまだ真上まで登り切らず、木漏れ日でしか太陽を感じられなかった。

 僕はなんでここにいるのだろう。ここは、故郷の森だ。

 僕は確か、確か……。何をしてたんだっけ。


「なんかの実験をしてたんだっけ?」


 でも僕の手には特に資料も材料も何もない。

 この森に来るときはいつも何かの実験や材料を採取する為。しかし材料集めの為の道具ない。


「あれ」


 少し考えている間に夜になった。

 なんだかいつもと様子が違う。そうだ、あの子たちを呼んでみよう。


「——! ——!?」


「……ん? え?」


 今、僕の声は出ていたのだろうか? 恐らく呼んだと思う。だけども、頭の中では名前がぼやけていて認識できない。その後の呆けた僕の声は間違いなく自分で聴こえた。

 奇妙な感覚。

 何度叫んでみても、僕自身は探し人の名前を認知する事が出来なかった。

 もう一度叫んでみようと思った時、轟音が降った。

 そして、真っ暗な森の奥から眩い閃光が走った。


「うわっ」


 目を覆い思わず仰け反る。瞼越しに光が弱まるのを感じ恐る恐る光源の方向を見る。

 景色が一切変わり、森は消え僕は踊る大きな炎に囲まれていた。

 まるで意思を持っている様に僕を囲んで、ちっぽけな僕を炎の巨人が寄って集って嘲笑している様に思わせられた。

 恐怖を感じていた。


「んんんんふふふあははははははは!! 惨めだ、なああ? ええ? おおおおい。にんげんん」


 急に大きな炎が割れ僕の前に影が現れた。そいつは宙に浮かんでいて禍々しい空気を纏っている。眼は見えないのに、眼が合った気がした。彼我の距離はある筈なのに、そいつの冷たくて禍々しくて、恐ろしい両手が僕の首を緩やかに締めている様に感じた。


「か、あ……は」


 そいつの手は見えないし触れない。最初は曖昧に感じていただけだったが、次第に感覚がはっきりし、その影は僕の首を間違いなく掴み締めていた。


「まあ、大人あしくしとけよおお」


 金切り声の様な声と、地を這うような低い声が重なったそいつの笑い声が響いた。

 僕はきっとこれに抵抗しきれない。抗おうにも力も武器もない。

 村が焼かれ、これじゃ伯父さんも叔母さんも生きているかわからない。

 こんな大火、アドルフでさえも無事か怪しい。

 ——と——は上手く隠れられているかな。

 背中を夥しい数の蟲が走っている気がした。

 僕は無意識に、自然に諦めていた。

 気づいたらそうしていた。そうするのが然も当然かの様に諦め受け入れていた。


「アキ!!」


 胸に衝撃が走るのと視界の下から柔らかな光が見えたのは同時だった。

 懐かしい2人の声を聴いた。——と——だ。

 ……やっぱり、名前が判っているのに、判らない。


「光に生きる者、闇に生きる者、森羅万象の下一つになり世界を創造す。光が世界を照らす。影がこの世の輪郭を描く」


「精霊王の名の下に、我が光、我が闇は災禍を討ち滅ぼす」


 2人の声色が重なる。

 これは詠唱? ……魔法?

 影の手から逃れ、地面に一度伏しかける。だけども、何故だかわからないけど2人の姿を見なきゃいけないと顔を上げた。しかし遅かったみたいで、目の前にはただ純然たる白が広がっていた。眩しくはなかった。さっきまでの炎の熱気も、影の恐ろしい気配も、2人の暖かな存在感も全て消えていた。

 直前で一瞬見た地面も消え、ただの白になっていた。


 声を発してみた。自分ですら何も聞こえなかった。

 もう一度発した。2人の名前を呼んでみた。何も響かなかった。

 でも、2人の返事を聞いた気がした。



 ●



「かは、げほっ」


 覚醒と同時に咳き込んだ。いや、逆だったのだろう。咳き込んで起きた。

 咳き込む瞬間に意識が急浮上し、僕は無意識に体を起こそうとした。

 瞼を開けて光を感じたはずなのに、間も無くして頭に衝撃、そして視界が一瞬闇に覆われた。起き上がる筈だったのが、また柔らかなマットに背を委ねていて、幾度か身体を弾ませた。


「いっ、だがは、げほげほっ、い、たい、がほ」


「んんんぐううっ、いてええええ……」


 聴き馴染みのある声だ。


「ぐくぅぅ、クッソおお、起きるなら起きるって言えよ、いてえ」


 ……そんな無茶な。声に出そうにも咳が止まらず出せない。

 ハナはそんな文句を言いつつ、やり返すなんてこともなく水を差しだしてくれた。

 咳が僅かな間静まる瞬間を狙って、少しずつ水を飲んで喉を潤す。

 それを何度か繰り返す内に咳は完全におさまった。

 恐らく長時間の眠りで水分が足りなかったのだろう。

 故郷に居た時は加湿にちゃんと注意していたんだけど、忘れてたなあ。


「たく、大丈夫なのか? 相変わらず死んだように眠りやがって。珍しくうなされてるから心配してみれば頭突きと来た」


 額を抑えながら恨めしそうな眼で僕を見るハナ。 


「ええ? ごめん? ね?」


「腑に落ちてないなら無理に謝んなよ。まあ、無事で良かったけどさ」


「へえ、ハナって何だかんだ優しいよね。ありがとう、助かるよ」


「ふん、パーティメンバーが不調だと色々影響があるから案じているだけ。当然だろ?」


 と言いながら、ハナは顔を横に向けて窓の外を見た。


「……ハナ、顔赤いけど風邪? 体調悪いならハナこそ休まないと、お?」


 な、何故? より顔を赤らめて横目に恐ろしい眼力で睨みつけてくる。


「ま、まあ大丈夫なのなら構わないけどさ。ああ、そういえば僕は何日眠ってた?」


「日単位で寝るのがデフォルトかよ。今日で5日目だな」


「ああ、想定より寝たなあ。まあ残り2日もあれば十分か」


 僕たちはトリアを旅立つ。

 あの試験をクリアしてから1週間後に旅立つ予定だ。

 僕に残されている時間は今日を含めて1日半と言ったところだが、問題ない。僕の荷物は常に効率的にまとまっている。

 ただ——。


「ハナ」


「ん?」


「武器選びを手伝って欲しいな」


「別にいいよ、そんな改まらなくても」


「ありがと」


 これだけが、ずっと決着がつかなかった。

 この国ベルム・リーゼは技術大国の端くれだ。

 と言うのも元々技術の発展ではゲイルス王国が目覚ましく、ベルム・リーゼはその近隣である事で恩恵を受け、彼の国をライバル視しながら発展してきた国だ。

 噂だと、最近はゲイルス王国との交易が激減しているらしいが……。

 それを加味しても流通しているものはいずれも質が高い。特に都市トリアは物流が多いから種類も豊富だ。


「で、せめて種類は決まってないのか?」


「んー、そうなんだよね。正直、今の僕の技量じゃあ少なくともやっぱり剣とかはしっくりこないかな」


 トリアの商店街をブラブラ歩きながら、思案していた。


「武器を扱うのも結局技術じゃない? 僕みたいな付け焼刃で生き急いでいるタイプだと習熟に時間をかけられないかなあ。今の僕の技術に合わせられて、使いながら習熟できるタイプが理想」


「はあ? 武器って言ったら全部が全部それぞれで技術の取得は避けられないんだけど」


「そう。だから悩んでる」


「……はあ」


 ハナは僕の言葉を聞くや否や、露骨に呆れた顔をする。


「じゃあ、なんだ。伝説の武神様みたいに特製グローブを武器に己が体で戦う、みたいな感じにでもすれば」


 特製グローブ?


「ハナ、それ詳しく」


「ひあ!? ち、近い! 顔! 近い! なんだよ!」


「ぐえ」


 強烈な張り手が僕の頬を張る。


「グローブの件、詳しく」


「なんだよ……。ったく。……私達格闘家の間では、最後まで自分の四肢と拳を武器として戦い抜いた武神と呼ばれる人の伝説があるんだ。その人は剣、棍、鞭、弓、サイでも何でも巧みに操れた上で、最後はやはり己が拳だと言って特製のグローブを愛用していたんだ。そのグローブは武神が手数を重ねる毎に発光し、まるで意思を持った流星の様に怒涛の攻めを……」


「それだ!!」


「へえ!?」


「ガントレットだ! ガントレットを買いに行こう! ありがとうハナ!」


 脳内を閃光が廻った様だった。インスピレーションが湧いた時、いつでもそれは火花が散るが如く。

 それはどんな興奮より僕は昂ぶる。

 気づけば僕はハナの両手を握っていた。それは逞しく、努力を怠らない者が持つ肌触りだと感じた。


「な、は、あ、ええ? て、手え! 近ッ、こ、この変態!!」


 僕は有頂天だった。完全に浮かれていた。自分に合う武器のヒントを得た事に。

 予期しないタイミングで、良く見る光景が視界を走る。

 視界に地面を捉え、青空を見、そして背中に強い衝撃。痙攣する器官、一時困難になる呼吸。

 インスピレーションが湧いた時とは別の火花が、僕の瞼の裏を迸った。


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