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異文化交流

 恐怖を感じるのは人生で何度目だろう。

 両親が目の前から去ろうとしている時。幼いころに森でモンスターに襲われた時。大厄災を見た時。双子もいなくなりアドルフも死んでしまったと思った時。

 意外とあったな。と冷静を装うが、目の前の異質な存在に僕は唾を飲み込む事さえできないでいる。


「俺と契約しろ」


 そいつはそう言った。契約とはいったい何のことだろうか。


「俺はお前に望む力をやろう」


 本気か。望む力とはいったい何を指すんだ。


「いいなあ、お前。俺が心を読めることも分かった上で、冷静に訊いてきやがる。——財力、体力、知力、魔力、魔法、地位と名声。なあんでもござれさあ」


 笑いをこらえる様に、身もだえる様に最後は天を見上げ高笑いをし、それが治まれば溜息の様に間延びした声を漏らした。

 そして「だが」と小さく呟き、


「代償は、てめえの魂だがなあ」


 舌を垂らし、涎が滴る事も厭わず、漆黒の大きな瞳が僕を見た。

 ぞっとする。その瞳に見つめられるだけで、何百もの蟲が僕の背中を這いずっている様な感覚に襲われる。


「なあに、すぐに取ろうってんじゃあないさあ。お前が十分に力を堪能し、謳歌して、充実して、満たされて、肥えて肥えて肥えて、満たされることが当たり前になって、頭の中から絶望という言葉が消えかけた時、俺はお前の魂を、絶望の下に頂くのさああああああははははははははひゃひゃひゃひゃひゃ」


 頭に直接奴の声が流れてくる。不快で、気持ち悪くて、頭が割れそうになる。


「怯えるなよお、ほーんの冗談さあ。契約してもらえねえと俺はなーんにも面白くねえからなあ。久しぶりの人間ちゃんではしゃいじまったのさア。許せよお、に、ん、げ」


 悪魔と自ら名乗ったそいつは最後まで言葉を連ねる事なく姿を消した。

 轟音と振動。そして風圧。巨大な黒の柱の様なものが目の前に突き刺さった。

 あまりに突然で、事態を飲み込むのは難しかった。

 奴の姿は消えたが、あの気持ち悪い気配は消えない。


『ああああ、いいねえ。いい魔力だよお。この坊主よりも全然いいぜえ』


 その柱は結構深くまで刺さっていた様で、何メートルかずりずりと出てきて、次いで悪魔が現れた。何が起こったかはわからなかった。最初は悪魔がそういう何かをしたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。


「うおおおおおおっ!!」


 雄たけびが聞こえたかと思えば、僕は強い力に引かれて為されるがままになった。

 オッサンが、僕の事を担いでいる。ハナも一緒に走って、あの悪魔から離れようとしていた。

 悪魔はこっちを見ていたが、不気味な笑みを絶やさず「まあ、後でいい」と楽しそうに呟いていた。


『お前、なかなかいい魔力だなあ。俺と契約しようじゃあねえか』


 空に向かって話しかけている様子を見て、僕も何とか見上げてみるが見えない。


「オッサン、あいつと誰が喋ってるの?」


「おお、精神は無事だったか! 心配したぞ」


「教えて、誰が相手してるの?」


5番目の魔法使い(フィフス・ウィザード)だ」


 また黒の柱が悪魔を襲った。何本も連続で降り注ぐ。瞬く間に砂塵が待って石礫が飛び散る。そこに光弾が降った。爆発音はない。地面にぶつかれば静かに膨らみ一瞬だけ収縮して、爆ぜた。


『うおおおい!! 上等じゃあねえか! いいぜえ! 悪魔に喧嘩売ってくる人間なんて俺はあ(はあじ)めてだぜえ!!』


 あれだけの連撃で、大したことないと言わんばかりに砂塵から上空へ飛び出した。

 実際は、片脚が欠損して両腕もなく、頭も口から上が無かった。胴には直立を保てているのが不思議な程の穴が空いている。

 それがボコボコと再生して、すぐに元の姿に戻った。


「ねえ、彼を援護しなくていいの?」


「バカ言え! 9人の魔法使い(ナインズウィザード)の1人だぞ! しかも、5番目(フィフス)は9人の中で一番の武闘派の実力者と言われている! 大抵の神話通りだ! 俺たちができる事なんてない!」


 確かにヴァルターのおっちゃんが言ってた通りなら、海さえも真っ二つにするんだもんな。


 悪魔は漆黒の球だったり、光線だったり、何やら別の生き物を空間から呼び出して応戦していた。あれはもしかして召喚魔法と言うものだろうか。

 恐怖は絶えない。だけど、不謹慎かもしれないけど、目の前で本物の魔法がとんでもない速さで展開される様子に胸が躍った。


 あれはどんな理屈で発現するんだ。条件は? 事象の定義は? 本当にコードは一切使わないのか。エネルギーはどこから供給されて、変換されて、出力される? 変換効率は? 発動プロセスはどうなっているんだ? あんな大規模な事象を連続で起こそうものなら、どれだけの魔術コードを複合させ連ねなきゃいけないだろう。ホワイトボックス化したらどんな風に見えるのだろう?


 5番目(フィフス)の姿は、鎧の様な装備とフードで素顔は一切見えなかった。

 一見強力そうな魔法を使う悪魔を相手に、随分と余裕がある様子だった。

 あの悪魔を見た時に、僕は戦慄した。あの契約を迫られた瞬間に、僕は抵抗できる気がしなかった。

 身体の自由はなかった。奪われたのかどうかすらわからない。

 そんなアイツを、モノともしないなんて。流石は世界の秩序を守る者と神話でも語り継がれるだけある。悪魔は段々と押されて行き、最後は攻撃をする間も無く肉弾戦で圧倒されていた。


「いいぜえ!! 人間界はあ! なんだかおもしれえ奴がいるじゃあねえか! 今日は一旦退かせて貰うぜえ!」


 何も恥じる様子もなく、悪魔は空間を砕き身を投じた。

 5番目(フィフス)が追うが僅差で捕らえられず空間の穴は閉じ、突然静寂が訪れたのだった。


「終わった、のか」


「みたいだね」


「なんだったんだ、一体」


 オッサンもハナも落ち着いて、僕も下ろしてもらう。

 どうやらまだ興奮している様で、掌の皮が裂け、血が出ているが痛みをあまり感じない。

 目まぐるしい日だ。まだ何も実感がわかない。


「あの悪魔、間違いなく厄災の身体の中から出てきたように見えたんだけど」


「私も見た」


「俺もだ。悪魔ってなんなんだ、あいつを一目見て俺は動けなかったぞ」


 自分が情けないと言いたげに、あからさまに溜息をついて見せる。

 オッサンでさえそうだったのか。それなら僕が動けなかった事も何となく頷ける。

 あの時、空気が重く、薄くなった様に感じた。皮膚の下で大量の蟲が蠢いていると思える程の寒気と嫌悪感。石みたいに動かない自分の身体。


「悪魔ってんだから魔法か何を使ったのかもしれんな。5番目(フィフス)が攻撃していなかったら動けなかっただろう。それでも大分気合を入れなきゃ動けなかった」


 なるほど、それであの雄たけびか。


「急に大声出すからびっくりしたよ。おかげで私も動けたんだけどね」


 お互いの安否を確認し、それぞれに感想を零して、僕は上空にいる5番目(フィフス)を見た。

 空間に魔法陣が幾つも浮かび、一番大きな魔法陣2つがそれぞれ別方向に回転している。5番目(フィフス)はその中心にいた。

 あれは、索敵してる?

 索敵魔具を使った時の、術式の動作に似ている様に見えた。多分、先ほどの悪魔を探しているのかもしれない。

 気づけばオッサンはギルダー達に指示を出していて、これから恐らく後処理を開始するんだと思う。僕も手伝わなきゃと、そうぼんやり考えていた。


「おい、貴様」


 聞き覚えのない声に僕は振り返った。

 誰だろう。誰が誰を呼び止めたのだろう。振り返る刹那にそう考えていた。

 振り返ると5番目(フィフス)がいた。仮面で顔は見えないが、僕の目の前に立ちを、僕を見据えていたのは確かだった。

 言いえぬ圧力。先ほどの悪魔とは全く種類が違う。


「どうやってあの悪魔を召喚した? “世界の理”をどうやって覆した?」


 “世界の理”? 悪魔の召喚?

 逆に問いたい。なぜ僕に訊く?

 ……判っているよ。察した。それは僕にこの一連の騒ぎの嫌疑がかかっているに他ならない。


「僕は悪魔召喚なんてしていません」


「ほう? 嘘をつくか。 俺は観測したぞ。お前から膨大なエネルギーが放出された事を。問う。貴様は何者だ?」


 ですよね。わかります。大抵こういう状況ではその場で嫌疑が晴れるケースは少ない。

 何から話せばいいモノか考えていると、5番目(フィフス)が先に言葉を連ねた。


「まあいい。今達しがあった。お前を拘束し、然るべきところで喚問を行う」


「おい、何がどうなっている。そいつは俺の連れなんだ。説明してもらおうじゃねーか」


「貴様は、……なるほど統合防衛協会トリア支部治安維持部長のジルバ・フォードか。貴様に話す理由は今はない。トリア支部長トム・バウンテンハウスに言っとけ。程なくして招集がかかると」


 それを言い終えると同時に、彼と僕が取り巻く周囲の風景が変わった。

 空気の質感も、温度も、環境そのものが変わった。


「転移魔法だ。場所を移した」


 彼は短くそう言う。ふと気づいたら両手に手錠が掛けられていた。


「生きて帰りたくば、真実を話すんだな。そうすれば1か月で帰れるかもな。……そもそも、生きて帰れる真実なら、だが」


 数秒程、その言葉の意味を考えて飲み込んだ瞬間、急に眩暈が襲ってきた。

 ぼ、僕はこれから、どうなるんだ。



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