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ハナ・グリントの災難

 ——私は体術を得意とする。

 言い方を変えると体術しか知らない。

 行方不明になる前の父の習練の様子を、幼心に見とれていた。剣術にしても戦闘術にしても、逞しくて綺麗だと思った。

 5歳の時に父は旅立った。すぐに戻ると言って。

 私は、戻ってきた父に褒めてもらいたい一心で、見よう見まねで体術の習練をしていた。

 母は女の子なんだからと、出来るだけ生傷の絶えない事はして欲しくなかったらしいが、私は頑固で絶対にやめなかった。


 やがて、諦めて私の意思を尊重し、村の道場に入門させてくれた。

 そこは父が指導した人が師範を務めている道場だった。快く受け入れられた。

 そうして習練に明け暮れて、私は村一番の若年格闘家になった。と言っても流石に師範には及ばない。

 そして14歳の時に私は気づいた。

 明らかに成長の速度が緩んでいることを。

 流石に生まれた時から過ごしている環境だと、習練の場としては効果が薄れていくと。

 できる事は限られてくる。

 このままいれば、いずれ師範には勝てる様になるかもしれないが、果たしてそれは本当の意味での“強さ”なのだろうか?

 私はこの時、世界を知りたいと思った。

 父を掴んで離さない世界とは何だろうと思った。


「お母さん。私、お父さんを探しに行こうと思う」


 その一言で、その日、私とお母さんは喧嘩した。

 私は帰らぬ父が許せないと。母を悲しませるその事が許せないと。だから父を探す旅に出るのだと。

 母は絶対に許さないと言った。普段は大人しく御淑やかな母がこの時だけは聞いたこともない語気で、私にそう言った。

 母は私への心配で。

 私は帰らぬ父への怒りと、その後ろに隠した世界への好奇心で。強くなりたいという気持ちもあった。

 だから、母の為父の為は体のいい建前だと言われたら否定できる自信がなかった。

 本当は私自身も良く分かっていない。どっちも本音なのだ。

 建前かどうかの理屈の上で突っ込まれたら、よくわからなくなってしまう。

 体術にばかりかまけたので難しい事はあまりわからない。


 三日三晩、気持ちをぶつけた。始まりは喧嘩だったが、その次からはちゃんとした話し合いになった。

 それは母が、私が初めて体術にのめり込んだ時の様に、私を尊重してくれた上で向き合おうとしてくれたからだ。

 だから私もちゃんと母の話を聴いた。その上で自分なりの意見と気持ちをぶつけた。

 母もまた、その上で私に気持ちをぶつけた。

 そして、最後は母がかくっと絵に描いたように折れた。


「まったく。お父さんに似たのね。あの人もそう。私がどれだけ心配しても、危ない事に首を突っ込む。あなたが頑固なのは昔からしっているわ。何よ、2人して。もう」


 母は可憐な人だ。そんな文句や愚痴を零すみたいなことも可愛らしく、怨恨を残さない様に言えてしまう人だ。

 その時に母に抱擁された事を、当時の話し合いの中で一番印象に残っている。


「必ず無事で帰ってくるの。あの人は、どんな危険な事でも最後は笑って帰ってきたわ。だから、どうせ親子で似るならそこまで似なさい。私にはわかる。あの人は今でも生きている。ただ、用事が長引いているだけ」


「お母さん」


 涙ぐんだ母の言葉を聞いて、私は母を強く抱きしめる。


「頑固だから、ちゃんと自分が納得するまでやらなきゃダメな人なの。責任感が強いから。あの人はすごい人。私が尊敬し愛する人」


 母は私から離れて、目を合わせた。


「だからいっそ全部似ちゃいなさい。それであなたは、あの人を越えなさい。そこまでいけば私も留飲が下がるわ。そこまで約束して、ハナ」


 涙目に浮かぶ小さな輝きは、たんなる涙によるものには見えなかった。

 母の強い思いを表現するかのように、それは輝いて見せた。

 私は頷く。何度か頷いて私は込み上げる涙を見せない為に、母を抱きしめた。


「わかったよ。約束するよ、お母さん」


「うん。2人の事、私は信じてる。いつだって」


 ○



 最初にアキと会った時、妙な奴だと思った。

 纏っている雰囲気が何かおかしいのだ。基本的に飄々としている。

 見ようと思えば少しニヤついている様に見える、とっつきやすい雰囲気を作るアキの顔は、胡散臭い。


 とは言え、アキは私を二度助けた。

 一度目は、繁華街近くの路地で酔っ払いに絡まれた時だ。

 私は少し苛立っていた。手ごろな賞金首の賊を、通りすがりの旅の奴にとられた事に。

 危険度も手ごろで、報酬と名売りには程よかった。

 なのに、だ。とられた。

 私は苛立って、ガラの悪そうな男共の視界にわざと入った。

 一目見てわかる。私が何をしても視界に入った瞬間、絡もうとしていた悪意を。

 だから、私も遠慮なしに避けずに肩をぶつけた。


 激昂を演じる滑稽な男ども相手にストレスを解消しようとしたその時、


「衛兵さん! こっちこっち! 早く!」


 どこからか声が聞こえた。

 余計なことを! 私は憚らず舌打ちした。

 男共は流石に面倒を避けたいらしく、そそくさと退散する。

 しかし、割と近くで声が聞こえたにしては、気配がない。

 おかしい。怪しい。

 そう思った時には身体は既に動いていて、声がした方に走っていた。最初から気配を感じないのは消しているだけで、まだ声の主がいるかもしれない。

 だとしたら何故気配を消している?

 と曲がり角を曲がってみれば私より少しだけ背が小さい男がいた。男の後姿を前にしているのに、不自然な程に気配を感じない。意図的に消している。


「ねえ」


 咄嗟に声をかける。


「うえっ!?」


 少し裏返った間抜けな声。

 何? なんか拍子抜けなんだけど。パッとしないな。

 悪意は少なからず感じない。状況を振り返ってみても、純粋に助けようとしたのだろう。

 それにしても、


「ベタ過ぎない?」


「え?」


 また間抜けな声を出す。心外だと言いたげな顔だ。

 どうせなら乱入してくれて、乱闘になった方が良かったんだけどなあ。

 と言うのは置いといて、こいつは私が弱く見えたのだろうか? あんなガタイだけの野郎どもに後れを取るとでも思ったのか?


「別にあれくらいの奴らなら私一人で余裕だった」


 そいつの心外だという顔から、少し引いている様な顔に移ろうのを見て、少し私はイラついた。

 ただ、そこから妙な沈黙が数秒流れ、少しとぼけたそいつの顔を何故だか眺めていた。

 妙な雰囲気をその時点で感じた。

 そして、気配を消しているのも気になり、そこそこの実力者なのでは? と思ったりした。

 ちょっと仕掛けてみようかと考えた時に、突然、私に悪夢が訪れたのだ。


 鼻腔の奥から溶かされるような、甘ったるい匂い。原型となる匂いが判らない程強烈なもの。

 視界は最悪。強烈な閃光の所為で視覚が機能しない。

 肺もその甘ったるい匂いと煙に満たされて、気配感知とかそれどころではなかった。おおげさではなく死ぬ思いだった。


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