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風神の神託5

「いらっしゃ……」

 酒場に入って来た客を見て、酒場の主人が声を途切らせた。賑やかだった酒場が入口の方から次第に静まっていく。

「クロウ。あれ」

 入口に目を向けたディオンがクロウに声を掛ける。

 振り返ったクロウが見たのは、彼らと同じぐらいの歳の体格の良い4、5人の集団だった。

 見た目は普通の若者だ。問題は、彼らの着ている服だった。

「ああ、東の」

 クロウが呟く。

 酒場に入って来た彼らが着ていたのは、東ナリス皇国の陸士候補生の制服だったのである。


 ナリス王国が西と東、ふたつに別れたのは100年ほど前のことである。

 もっとも、西と東では元々神殿組織からして様相が大きく異なっており、ひとつの国として収まっていたことの方がむしろ不思議と言えた。

 東ナリス皇国は大地母神を守護神とし、西ナリス王国の風士隊と同様、大地母神の加護を受けた陸士で構成される陸士隊を組織していた。

 組織の構成も非常によく似ており、陸士、陸士補で構成され、学生身分の陸士候補生が陸士補になるのに大地母神の印可が必要なのも西ナリス王国と同様だった。

 酒場に入って来たのは、その陸士候補生の一団だったのである。

 元々はひとつの国だった両国の関係は複雑だ。

 風士、陸士ともに、その力は守護神の加護の届くそれぞれの領土内でなければ発揮することができず、それ故、お互いに相手の領土に攻め込めば、攻め込んだ方が完膚なきまでに叩き潰されるのが常だった。必然、睨み合いの状態が長く続くようになり、その間にも愚帝戦争のような小競り合いが繰り返され、血が流れ、恨みが深まったり、宥和が図られたりと、状況は様々に変化した。

 現在は、両国の王・皇帝ともに平和を望んでおり、比較的小康状態を保っている、といった状況である。

 しかし、小康状態にあるとは言え、両国が敵対関係にあるのは間違いなく、かつ両国の候補生同士は歳が近いということもあって伝統的に仲が悪かった。更に、両国間に細々とではあったが交流があるだけにタチが悪く、候補生同士顔を合わす機会があれば、必ずと言っていいほど乱闘騒ぎになった。


 酒場からは、クロウ達と陸士候補生以外の客は誰もいなくなっていた。彼らは酒場の端と端、別々のテーブルに別れて呑み直そうとしているところだった。店内には打ち壊されたテーブルや椅子が散乱し、割れた皿やコップが床に撒き散らされていた。

 すでにひと悶着が終わった後である。

 諦めて閉店の札を下げて戻った酒場の主人に、ファスが笑顔で話しかけた。優し気な彼の顔には殴られた痕が生々しく残り、制服は肩から大きく引き千切られて左腕がすっかり剥き出しになっていた。

「いつも悪いね。請求書は全部、ウチの実家に回しといてくれる?」

「そうさせていただきますわ、ファス坊ちゃん。営業出来ない間の分も含めて、ね」

 候補生同士の乱闘騒ぎには慣れっこの酒場の主人が、溜息交じりに言う。

「じゃあ、こっちのテーブルにビールを6人前。あ、あっちにも人数分。よろしく。つまみも適当に持って来てくれるかな」

「はいはい」

 陸士候補生たちが「ゴチになりまーす」と声を張り上げる。彼らの顔にも制服にも、乱闘の跡が痛々しいほど残っていた。

 陸士候補生たちに軽く手を上げて応え、ファスが戻ったテーブルには、元々のメンバーに加えて陸士候補生の制服を着た男がひとり、我が物顔で座っていた。

 身長はクロウよりも若干高いぐらいだろう。体はガッチリと逞しく、豪快と言っていい笑みを浮かべていた。

 陸士候補生4回生のブラムスである。

 左頬に殴られた痕があることを除けば、彼は比較的無事と言えた。

「じゃあ、再会を祝して」

 運ばれて来たジョッキを手に、スポンサーのファスが音頭を取った。

 全員で乾杯してから、目を白黒させた姫巫女が問うた。

「あの、みなさん仲がお宜しいのですか?」

「仲が良い訳ではありませんよ、姫巫女様。ただ、腐れ縁ってヤツですね」

 軽い口調でファスが答える。ファスの答えを聞いたブラムスが、呑みかけていたビールを噴いた。

「ひ、姫巫女さまぁ……?!」

「汚ねえぞ、イノシシ」

 不快そうにディオンが言う。彼の制服は、他の誰よりも大きく破れている。ブラムスにやられたのである。そのディオンを睨み付け、ブラムスが口を服の袖で拭きながらヒロに訊いた。

「黙れ、チビ。あ、いや、姫巫女様ってホント?ヒロちゃん」

「本当よ、ブラムスさん。こちらがうちの姫巫女様」

 何と言っていいか判らないまま、姫巫女はブラムスに軽く頭を下げた。

 ブラムスが太い首を振る。

「有り得ねぇ。うちの国で姫巫女様と一緒に酒を呑むなんて、考えただけでも大罪になるぜ」

「糞ったれのお前らの国ならな。あ、汚い言葉を使ってしまいました。申し訳ありません、姫巫女様」

 ディオンがひょこりと頭を下げて言う。

「気にしないで下さい、ディオン。わたくしも元は漁師の娘ですから、そういう言葉はたくさん聞いて育ちました。よければ、話してみましょうか?」

「姫巫女様、お止めいただいた方が宜しいかと。男どもがショックを受けて固まっています」

「姫巫女様は漁師のお生まれですか。うちの姫巫女様は猟師の生まれですよ。奇遇って言って良いんですかね。

 もちろん、オレはご尊顔を拝見したことはありませんけど」

 と言ってから、ブラムスは手にしていたジョッキを置いて姫巫女に向き直った。

「改めてご挨拶させていただきます。東ナリス皇国、陸士候補生4回生、ブラムスと申します。

 よろしくお見知りおき下さい」

「こちらこそ、宜しくお願いします。ブラムスさん」

「姫巫女様とは知らず、お見苦しいところをお見せしました。我々の軽い挨拶ということでお許し下さい」

「こんなイノシシみたいな外見をしていますが、彼、結構、家柄がいいんですよね。何故だか。何せ、皇帝に繋がる一族ですから」

 ビールを呑みながらファスが言う。

「まあ、皇帝陛下の」

「コイツ自身はただのイノシシですよ、姫巫女様」

 憎々しげにディオンが言う。

「うるせえ、チビ」

「それで、皆様はどうしてお知り合いになられたのですか?」

「やっぱりと言いますか、クロウが原因ですね」

 笑みを浮かべてファスが答える。

「この赤髪の阿呆にいきなり蹴り飛ばされたんですよ。ひでぇと思いませんか?姫巫女様。オレは何もしていないのに。是非、風神様にチクっといて下さい」

「何もしなかった訳ではないよね、ブラムス」

「ご存知ですか、姫巫女様。風士と陸士で1年に一度、候補生同士で親善試合をやってるの。

 この馬鹿、オレらが1回生の時に東ナリスで開かれた親善試合で、ディオンをぼこぼこにしたんですよ。まぁ、それだけならいつものことなんで問題なかったんですけど、その後、ディオンのことを親なしのチビって罵ったんですよ。

 だから、後ろからオレが蹴り飛ばしたんです」

 淡々とした口調でクロウが言う。酒場の風士候補生と陸士候補生の中でただ一人、彼だけは無傷で、制服もどこも破れてはいなかった。

「で、その後はご想像の通りです」

 ファスが補足する。

「陸士候補生の中じゃあ誰もオレに敵わないんですがね、この阿呆はオレよりも上で、このチビをぼこぼこにしたのと同じぐらいぼこぼこにされました」

「まぁ」

 姫巫女が楽しそうに笑う。

「残念ながら、今日で10敗目です」

「お前如きに遅れを取るかよ」

「いつか叩きのめしてやる。その鼻っ柱をぽっきりへし折ってやる」

「ブラムスはあの時ぽっきり鼻を折られてから、随分丸くなったよね」

「オレは今でも尖がってるよ」

「その今でも尖がってるブラムスさんが、なんでここにいるんだ?選王会議の視察に来た使節団のお供か何かか?」

「おう。こっちに着いてすぐにオレ達は自由になれたんでな、ここに来てみたんだ」

「来なくていいのによ、馬鹿は」

「何か言ったか、チビ」

 先ほどブラムスに完膚なきまで叩きのめされたディオンはぐっと言葉に詰まり、忌々しげに言葉を落とした。

「……今度、印可の力でぼこぼこにしてやる」

「やれるもんなら……、あ、お前、印可を得たのか」

 ブラムスがジョッキをディオンに差し出す。

「オメデトウ、ディオン」

 ディオンも同じようにジョッキを差し出し、照れたような笑みを浮かべた。

「おう。ありがとうよ」

「ディオンが一番乗りとはな。オレはてっきりお前が先だと思っていたぜ、クロウ」

「お前らがそう言ってくれるのは光栄なんだけどな、オレはそうは思ってなかったよ。

 コイツに先を越されたのは正直、悔しいけど、いつだったか教官に、お前は印可を得るのに時間がかかりそうだと言われた事があったんでな。

 お前は、結果に拘りすぎてるって」

「結果ってどういうことですか?クロウ」

「西でも東でも、教えることは同じですね。オレも良く言われてますよ、姫巫女様。印可を得るためには、まず結果を求める心を捨てろ、と」

 ブラムスが答える。

「風士には、やっぱりなりたいですからね。欲を捨てろってことだとは思ってるんですが、どうにもそれが難しくて」

「ヒロちゃんとの結婚もかかってるものな、クロウ」

「それは、まぁ、あるな」

「何を言ってんの、ファスさん」

 少し照れながらヒロが文句を言う。

「それでブラムス。今回の使節団の団長は誰だ?」

「宮廷内の序列だけを考えてて、オレ達陸士候補生には鼻も引っ掛けないような嫌なヤツだよ。

 チウイって神官だ」

 東ナリス皇国の神官組織は、西ナリス王国とは異なり、皇帝の下に組み込まれている。神官という身分で皇宮の用務を担当するのである。

「ふーん。聞いたことないな」

「神官の癖にとんだ俗物さ。皇宮での序列は20位前後ってとこだろう。家柄も悪くねぇし、オツムも悪くねぇ。

 ただし、その悪くねぇオツムを自分の出世のためだけに使ってるっていうのが問題だがな」

「メンド臭そうなヤツだな」

「オレの性には合わねえよ。しかしまあ、宮廷内では重宝されているようだ」

「ふーん」

「あ。そう言えば、オレ、ちょうど托鉢行の時期なんだ。ちょっとその辺をうろうろしているかも知れないけど、見かけても気にしないでくれ」

 托鉢行とは、風士隊でも陸士隊でも取り入れられている修行のひとつだった。何も持たずに身ひとつで街に出て、信者に食料などを乞い、野宿をしながら3日間を過ごすのである。

 風士候補生は1ヶ月に1度、風士補は3ヶ月毎、風士になってからも半年毎の托鉢行が課されていた。

 陸士隊も同様だ。

「お前、こっちで托鉢行をするつもりなの?」

 呆れたようにディオンが言う。

「風神様の信徒だって嘘ついちゃダメだよ、ブラムス君」

「いいじゃねぇか、ファス。同じ白服で回るんだからよ。風神様もお許し下さるさ。ねぇ、姫巫女様」

「ええ」

 姫巫女が微笑む。

「姫巫女様、こんなヤツに慈悲を垂れてやる必要なんてありませんよ。3日ぐらい何も食べない方がすっきりしますからね、コイツ」

「何を言ってやがる、クロウ。3日もモノを食わなかったら死んじまう……」

「おーい、ブラムス。そろそろこっちに帰って来ーい」

「あまり長くそっちにいると、ブラムスは西のスパイだってあのキツネ野郎にチクっちまうぜ」

 他の陸士候補生がブラムスを呼ぶ。「おお」とそれに応えてブラムスは立ち上がった。

「悪友がああ言ってますんで、失礼いたします。姫巫女様」

「はい。あなたに、大地母神様の御加護がありますように」

 姫巫女に頭を下げて、自分のジッョキを片手に、風士候補生たちと悪口を交換しながらブラムスは陸士候補生のテーブルに戻って行った。

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