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エピローグ3 -完璧な世界5-

 もはや引き返しようのない内乱を引き起こして、四分五裂した西ナリス王国が東ナリス皇国に滅ぼされたのは、大災禍から約30年後のことである。

 フランは、内乱の混乱の中でクロウたちがどうなったか知らなかったし、さして興味もなかった。

 ユマの故郷で神剣を奉納したファスとユマは、クロウとの約束通り一度は西ナリス王国に戻り、一か月ほど滞在しただけで再び旅に出て、しばらくアースディア大陸を彷徨った後、最終的にはショナの首都・デアに居を定めた。そこでファスは魔術師協会の会員となり、戦巫女だったユマは、とても意外なことに家庭に入って剣を捨てた。ユマは、彼女の望み通り幾人もの子を産み、ある日の夕刻に突然倒れて、そのまま帰らぬ人となった。

 ユマが45才、ファスが38才の時のことである。

 アースディア大陸で生まれた長子は18才になっていたものの、一番下の子供はまだ2か月の赤子だった。

「そろそろファスが帰って来るな」

 嬉しそうにそう言ったのがユマの最後の言葉だったと、フランは、泣きじゃくるリィから聞いた。

 泥沼のような内乱が西ナリス王国で発生したのは、ユマが死んだ10年後のことで、居ても立ってもいられなくなったファスは、長子を連れて列島へと戻って行った。

 フランが知っているのはそこまでである。

 フランは思う。

 クロウたちはおそらく平穏な死を迎えることは出来なかっただろう。

 しかし、決して平穏ではなかったであろう彼らの死が、果たして不幸な死であったかどうかは、永遠とも言える人生を生きるフランにも、いや、永遠とも言える人生をたった独りで生き続けなければならないフランだからこそ、確と判断することはできなかった。



「ヒロ。ガキどもを頼むぜ」

 いつもと変わらない笑顔でクロウが言う。ヒロも笑顔を返す。これが最後と判っているが故に、クロウに憶えていて欲しいと自らが望む精一杯の明るい笑顔を。そして彼女は、喉から絞り出すように、言った。

「武運を、クロウ」


「悪い、クロウ」

「どうした、ディオン」

「どうやらオレは、ここ迄みたいだ」

「そうか」

 彼の隣でディオンが崩れ落ちる。悲しみも怒りも感じなかった。ただ、寂しさだけが残った。

 幾万本もの矢も、クロウの背後には届かない。クロウの巻き起こす轟風に、一矢残らず吹き戻されて、力なく落ちる。

 しかし、クロウに向って放たれた矢は。


 風士隊は、西ナリス王国が滅ぶよりも先に、疾うに壊滅していた。

 風士隊という名だけの部隊なら存在していた。しかし、風神の印可を得ることなく風士を名乗る彼らを、人々は決して風士とは認めなかった。

 風神の印可を最後に得たのは、もちろん彼ではない。彼が印可を得た後にも、何人もの若者が風神の印可を得て風士となった。

 風神の印可を得た者の中で、彼が最後に死んだ訳でもない。

 更に言えば、死んだときに既に風士としての定年を迎えていた彼は、厳密に言えば風士ですらなかった。

 しかし、旧西ナリス王国の人々は、彼こそを、最後の風士と呼んだ。

 彼が死んだとき、彼は満足したように笑っていたという。

 数えきれないほどの矢をその身に受けて、尚、遂に倒れることなく。

 彼の足元には、最後まで共に戦った友の死体。そして、彼を中心として、戦場には、二人と一緒に残り、共に戦った数十人ほどの名もなき兵士の死体があった。

 彼らの後ろには橋。

 まさしく彼らが命を懸けて守り、彼らが守っている間に、住民が、彼らと同じように命を懸けて落とした橋が燃えていた。

 そうして。

 彼は。


 多くの者は、遂に動かなくなった彼を遠巻きにして、弓を収めた。ただ一人、自分の手柄のことしか考えない小物が、長剣を手に何事かを喚きながら彼に近付いていった。攻め手であった東ナリス皇国の将は、小物に大股で歩み寄ると、何事かと振り返った小物を黙って殴り飛ばした。

 小物がそのことを恨んで背後から将を刺したのは数年後、南下してきた北の大国と対峙した陣中でのことである。もし将が生きていれば、戦の結果も、その後の歴史も変わっていたかも知れない。

 しかし、選ばれなかった未来のことなど誰にも判らない。

 将は小物を殴り飛ばすことで、そうとは知ることなく、ひとつの未来を選択したのである。

 小物を殴り飛ばした将は、立ったまま息絶えた風士に歩み寄ると、力なく膝を落として慟哭した。

 将が声を上げて泣いた理由を兵たちは知らず、将が何度も地面を打ち据えた理由を兵たちは訊かず、そして、風士の死顔を見上げた将が何を怒鳴ったか、兵たちは決して人には語らなかった。


「ゴメンね。リムちゃん。子供たちをお願いね」

 義理の姉は、細い細い声で、血に塗れて、そう言った。義姉に縋って、彼女はただ、泣いた。


 ファスがリムを探し当てたのは、東ナリス皇国に対する旧西ナリス王国の住民の抵抗が一段と激しさを増していた頃である。

「やつれたね。リムちゃん」

 ファスを出迎えたリムは、最初、ファスが冗談を言っているのかと疑った。確かに彼女はやつれていた。しかし、そう言ったファスの方はやつれていたどころではない。元々ファスは細身ではあったが、頬がげっそりとこけて目は落ち窪み、顔色はほとんど土気色で息も絶え絶え、という状態だったのである。

「ファスさんこそ」

 リムは辛うじてそう返した。

 ファスは見知らぬ一人の男に支えられてようやく立っている有様だった。

 男は長身のファスよりも更に背が高く、均整の取れた逞しい体つきをしていた。ファスに似た優しい瞳をしていたが、ファスとは異なり、どこか猛々しい獣を思わせる厳つい風貌をしていた。

 ファスとユマの子供だと、一目で知れた。

「ボクももう長くなくてね。悪性の腫瘍が体中に転移しているらしいんだ。医師は良くてあと……えーと、どれぐらいと言ってたかな?」

 ファスが息子を見上げて訊く。問われた息子は苦笑して答えた。

「医師が告げた余命は、道中、とっくに越えてしまいましたよ。父上」

「ああ。そうだったか」

 惚けたようにファスが言う。強張っていたリムの心が少しだけ緩み、口元に笑みが浮かんだ。

「でも良かったよ。こうして無事に会えて。ヒロちゃんだけじゃなくて、リムちゃんもディオンの後を追っちゃうんじゃないかと心配してたんだ」

 リムの隠れ住む屋敷の離れに腰を落ち着けて、穏やかな声でファスは言った。

「正直に言うとね、あたし自身も意外だった。ディオンさんが死んだら絶対に後を追うんだって決めてたから。でも、子供たちをヒロ姉さんに頼まれたし、それに、いつの間にか覚悟が出来てたみたい」

「ひとりでも生きていく覚悟?」

「うん」

「……あの日から?」

「多分」

「強いね、リムちゃん」

 ファスの隣に座った息子がちゃちゃを入れる。

「父上は、母上が亡くなられた時に大騒ぎしましたからね。ボクも死ぬ、母上のところに行くって」

「まあ」

「しばらくはホント、大変でした。でも、デアまで駆けつけてくれたニケ様が、父上に言ってくれたんです。父上が先に死ななくて、母上は幸せだったって」

「ボクは、何もユマ様にしてあげられなかったって思ってたんだ。いつも助けられてばかりで。でも、ニケ様が教えてくれたんだよ、リムちゃん。こんな悲しみをユマ様に味わわせずに済んで、それだけは良かったんだって」

「……うん」

「ところでヒロちゃん。クロウの子供たちは?」

「東ナリス皇国相手にあっちこっちで暴れてます。チィ兄、顔負けで」

「心配?」

 リムは首を振った。

「心配は心配ですけど、お兄ちゃんの子供だから」

「確かにね。心配するだけ無駄だね」

「ええ」

 暫くしてリムはひとつの名を口にした。クロウの孫の名だ。

「会ってみます?ファスさん」

「是非」

 リムが連れてきたのは、赤い髪をした、まだ10才にもならない少年だった。気の強そうな少年の顔を見て、ファスは声を上げた。

 くすくすとリムが笑う。

「そっくりでしょう?お兄ちゃんに」

「からかいたくなっちゃうね、思わず」と、ファスも笑いながら頷いた。ただ少年だけが、大人たちが笑う理由がさっぱり判らず、ひとり不機嫌そうに頬を膨らませていた。


「ヒロ姉さんね」

「なに?」

「とてもきれいなお顔をしていたの」

「そう」

「うん。子供の頃からずっと一緒だったはずなのに、初めて見たと言ってもいいくらい、ヒロ姉さん、とてもきれいなお顔をしていたのよ」


 数か月後に、ファスは力尽きて死んだ。

 彼の息子はファスが死んだ後も列島に残り、それどころか彼の子供たちを、つまりはファスの孫たちを列島に呼び寄せ、東ナリス皇国に対する抵抗運動に加わった。

 やがて東ナリス皇国も後継者問題から内乱に突入し、機を逃すことなく列島に侵攻してきた北の大国にあっさりと滅ぼされた。列島は一時北の大国の支配下に入り、それは15年もの長きに渡って続いた。

 リムは天寿を全うして死んだ。

 リムが死んだのは、列島から北の大国が追い出されてから更に十数年後のことである。

 リムとディオンの間に子供はいなかったが、クロウとヒロの子供や孫、ひ孫らに見守られて、彼女は静かに、安らかに息を引き取った。



 列島に独立を取り戻したのは、後に烈王と称される一人の青年である。赤い髪の偉丈夫だったと歴史に記される烈王は、旧西ナリス王国の端族の出身とのみ伝えられ、それ以外の出自については何も判っていない。

 烈王は、旧西ナリス王国、旧東ナリス皇国から集った多くの友に支えられ、およそ150年ぶりとなる統一王朝を列島に樹立した。そして、とても珍しいことに、王と臣下という立場に変わってからも、彼らの友誼は終生変わることなく続いたと、歴史は語る。

 定かならざる伝承によれば、烈王が王位に就いた折に、いずこからか風神の戦巫女に守られた老女が現れ、風神の名において烈王を祝福したという。

 しかし、そうしたことごとのいずれも、深い深い歴史の層の下に埋もれた、よくある悲喜劇のひとつである。

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