決着3
まず朝の静けさを破ったのは、ぎゃあぎゃあという耳障りな鳴き声である。
風士隊本部から駆け出した風士達は、曙光の中、3体の飛竜が舞っているのを見た。3体の飛竜は、まるで申し合わせていたかのように風士達に向けて急降下し、疾風によってあっさりと躱され、誰も捕まえられないまま空へと戻っていった。
「弓矢を!」
という声が上がる中、風士隊本部の入り口からニケが一歩、前へ出た。
「ありゃあ、あたし対策のようだね」
彼女はそう言って、手にした神槍を構えた。渦を巻くように放たれた神槍に突き破られ、飛竜の一体が文字通り、砕け散った。
「しばらく頼むぜ」
ニケはイルスにそう言って、風を巻いて姿を消した。
神槍が遠くでくるくると回転し、おそらくニケのところへ行くのだろう、飛び去る飛竜を追う様に落下していった。
「予定通りじゃの」
風士隊本部の正面に、いつの間にか狂乱が立っていた。
敷地内に20mは入ったところである。
誰何する間もなく轟風が狂乱を襲い、狂乱が姿を消し、鳳雷の光が走り、その光を避けるように、風士たちも姿を消した。鳳雷の光が瞬き、幾つか悲鳴が上がる。狂乱が鳳雷と疾風を細かく切り替え、巧みに風士を襲ったのである。
光の筋を引いて、狂乱が元の場所に姿を現す。
しかし、どこか不満そうに、狂乱は皺の一部のような口元を歪めた。
「一人も殺せんとはの」
小さく呟く。
消えていた風士たちも姿を現した。何人かは怪我をしていたが、せいぜいが膝をつく程度で、致命傷と言うにはほど遠かった。
「まあ、よかろう」
狂乱は、広場より数段高い風士隊本部の入り口に立つイルスに目をやった。
「こっちには人質がおるぞ!」
喉のパイプを震わせ、狂乱は何重にも重なった声を響かせた。
「誰だ!」
イルスは簡潔に問い返した。
狂乱が腰を屈め、彼自身の影の中に手を入れた。下は石畳だ。しかし、まるでそこに空間があるかのように、狂乱は影の中から何かを引っ張り出した。
狂乱は無造作にそれをイルスに向かって投げた。
生首だった。
足元に転がって来たその生首に、イルスは見覚えがあった。東ナリス皇国に行っているはずの、新王配下の腹黒参謀の青白い首だった。
「他の連中はまだ生きておるぞ」
ニタリと笑って狂乱が言う。
「さて、どうする?」
「む」
他の連中ということは、当然前王も含むのだろう。
予想外の人質、と言って良かった。
狂乱が人質を取るであろうことは、想定内の事態だった。なぜならそれが、写本を手に入れる最も確実な方法だからだ。と言うより、風士隊としては写本を燃やしてしまっても何ら問題はなく、それはつまり、主の命により写本がどうしても必要な狂乱からすれば写本を人質に取られているようなもので、狂乱の方でも人質を取ってみせるより他に有効な手立てはないだろうと踏んでいたのである。
わざわざ狂乱襲撃の噂を流したのも、住民が人質に取られる事態を避けるためだ。
最も人質に取られる可能性が高いと風士隊が想定したのは、姫巫女と新王、それに4人の新旧副王だった。そのため彼らの周囲には、これ以上ないほど厳重な警備を敷いてはいたが、相手は狂乱である。その上で、もし彼らが人質に取られた場合についても昨夜のうちに検討済みだった。
「わたくしのことは気になさらないで下さい。その場合には、主が、わたくしを安らかに眠らせて下さるでしょう」
それが姫巫女の答えで、その答えを得て、姫巫女が人質に取られた場合には写本を渡すことなく狂乱を討つ、と決した。もちろん姫巫女の言葉は、警備担当だけではなく、風士隊、そして六族の軍にそのまま伝えられた。
ではもし、新王以下、新旧副王が人質となった場合にはどうするかとイルスに問われて、新王は即答した。「その場合は、写本を渡せ」と。
「やはり、そうするべきでしょうな」
新王をはじめとする彼らの命が惜しいから、という理由ではない。
新王以下、彼らは当然、六族の有力者でもある。もし、無策のまま彼らを見殺しにすれば、下手をすれば西ナリス王国に内乱を引き起こしかねないからである。
愚帝戦争以後、西ナリス王国の政情は安定している。
しかしそれは表面上のことに過ぎず、六族間には様々な軋轢があり、それを愚帝戦争当時の戦友である現政権中枢部が個人的な繋がりで抑え込んでいるのである。
「写本を渡して、後は復讐者に任せろ」
「我らは救出に努めたものの、復讐者が先走ったために悲劇が起きた、ということにするのですな」
「そうだ」
「承知いたしました。あなた方の誰か一人でも欠けるのは痛いのですが、立派に殉職していただけるよう努力しましょう」
「嫌なヤツだな。お前は」
新王が鼻で嗤う。
だが、前王に関してはまったく盲点だった。
とっくに東ナリス皇国に到着しているものと信じていたのである。
「選択の余地はなかろう?はよう、写本を持って来い。元々はワシが見つけたものじゃぞ。とっとと返せ、若造」
イルスは周囲にちらりと目をやった。
風士隊本部前の広場にいるのは狂乱を除けば風士隊員だけで、ネッドの姿はどこにもない。
しかし、どこかにいるはずだとイルスは信じていた。
前王を人質に取られたのは予想外だったが、対応策としては、新王たちが人質に取られた場合と同様である。写本を渡し、まずは復讐者に任せるのだ。その結果、前王が死ぬことになったとしても、内乱の可能性を少しでも下げるために。
『だが、こちらの思惑など、彼奴らもとっくに判っていような』
すでに狂乱を逃さないための術は詠唱を始めている。
風士隊員たちも広場を囲むだけではなく、あらかじめ決めた通り風士隊本部の周囲に展開させた。六族の軍にも伝令を飛ばしたし、そもそも飛竜が現れた時点で、あちらはあちらで態勢を整えていると考えて間違いなかった。
しかし。
『狂乱は狂乱で、何か策があろう--』
大きな破壊音が、イルスの胸の内の呟きに答えるかのようにかなり遠くで響いた。おそらくはニケで、飛竜以外にも何か狂乱がニケ対策を講じていたのだろう、とイルスは推測した。
狂乱は薄ら笑いを浮かべたままイルスの回答を待っていた。
現在の狂乱は雷神と風神の力を使っているが、魔術師として彼が元々専門としていたのは土の精霊の術だ。その情報は、北の大国の領事館からもたらされた。狂乱がいつ、惑乱の君の使徒となったかは判っていない。少なくとも40年前に、彼が国費でショナに留学した折にはまだ太陽神の信徒であったことは確かだったが、いつ彼が背信者となり、背信者となった後、魔術師としてどんな術を究めてきたのかは不明、と言うしかなかった。
狂乱の魔術師が何の策もなく現れるはずはない。
しかし、それがどんな策か推測することは難しかった。風士隊としては、彼に策を使わせる前に、ここで確実に倒すことに全力を注ぐのみである。
『だがまずは』
『復讐者の手並みを拝見させて貰うとしよう』
イルスは側に控えた風士隊員に頷いた。
イルスに目で確かめ、風士隊員は本部に走り、すぐに一冊の魔術書を手にして戻って来た。イルスはそれを受け取り、狂乱に歩み寄った。
「これでいいかね。スイフト魔術師」
狂乱が慎重に受け取り、やはり罠を警戒して慎重に魔術書を開く。
「おうおう。これじゃ」
嬉しそうにそう言って、狂乱は魔術書を閉じると、自分の影の上で手を離した。魔術書は音もなく影の中へと落ちて消えた。
「それでは邪魔したの」
狂乱が振り返ったその10mほど先に、いつの間にかネッドが立っていた。




