決着2
風士隊本部のイルスの執務室で、ネッドは机を挟んでイルスと向かい合って座っていた。室内には二人だけである。二人っきりで話したいというネッドの言い分に従って、反対する風士隊員を押し切ってイルスが人払いしたのだ。
「それで、我々は何をすればいいんだね?」
机に両肘を預けて、イルスは訊いた。
「オレがジジィを足止めするのを邪魔しないで貰いたいんだ。で、足止めしたらトドメを刺して貰えればいい。ただ、それだけさ」
ネッドの方は浅く椅子に腰掛けて背凭れに体を預け、両足を投げ出していた。両手は、ズボンのポケットに半ば突っ込んだままである。
「どうやって足止めをするんだね」
「それは言えないな。言えば反対されるからな」
「危険なのかね?」
「多少ね」
イルスは値踏みするようにネッドの表情を窺った。しかし、冷笑を浮かべた彼の顔から何かを読み取るのは、イルスにとっても難しかった。
「君を信じたいのだがね……。信じさせて貰えないかな」
「死体の方はどうだい?まだ確認できないのか?」
「まだ出来ていないな。写本を見せて貰うのが一番手っ取り早いのだがね。どこにあるのかな?」
「安全なところだよ」
「君にとっては切り札だからね。無理もないとは思うが、それだけでは信じるのは難しいな。写本だけでも見せて貰わないと」
「そうだろうね。まぁ、いいだろう。どこかで賭けをする必要はあるしな。アンタは信じられそうだ。とても野心が強そうなとことか、下手に正義感を振りかざさないとことかがね。
どちらかと言えばアンタ、オレ寄りだよな」
イルスが笑う。
「多分ね」
「いいぜ。写本はそこだ」
ネッドが指差したのは、イルスの後ろの本棚である。
流石にイルスも「なに?」と驚きの声を上げた。
「良く見てみな」
イルスは立ち上がって本棚に歩み寄り、上の段から順番に目で追った。2番目の棚に、それは無造作に突っ込んであった。見覚えのない魔術書。手に取り、イルスは開いてみた。最初に術の詳細と数式。それに、数ページ程度の呪文。
内容は理解できなかったが、イルスは本物と直感した。
「いつの間にこれを?」
「昨夜だ」
「この部屋、封印が施してあっただろう?」
「解いて、入って、またかけた。なんでもないさ」
心の中でイルスは舌を巻いた。何でもないどころではない。仮にも風士隊の隊長室である。そんな簡単に解いたりかけ直したり出来るような封印ではない。しかも、誰にも、今朝、封印を解いてこの部屋に入ったイルスにさえ、まったく気づかれることなく。
「狂乱からこれを盗んだというのも納得したよ」
「取引成立だな」
「ああ。確認するが、我々は君の邪魔さえしなければいいんだな?」
「そうだ。こっちが勝手にやる。だから、足止めした後は頼むぜ」
「了解した。君への連絡はどうすればいい?」
「それも不要だ。オレは適当に隠れてる。アンタらにも見つからないようにな。足止めは、きちんとアンタらにも判るようにやってやるから安心しな」
「いいだろう」
イルスは写本を閉じ、机の上に置いた。
「では、さっそく取り掛かるとするか」
イルスがまず行ったのは、風士隊の本部から出るネッドを見送ることだった。もちろん狂乱に、写本が風士隊本部にあることを知らせるためである。
次にイルスは、風士隊の幹部を集めて会議を開いた。そこでイルスが強調したのは、とにかくネッドの邪魔をしないこと、狂乱と復讐者との争いに決して巻き込まれないようにすること、だった。
「復讐者が足止めに成功すればよし、失敗した場合は我々だけで狂乱を仕留めることになる。その場合は風士隊も無傷では済むまい。
だからこそ、彼奴らの私闘に巻き込まれてはならん。
いいな」
つまり、命の懸けどころを間違えるなということだ。
風神の戦巫女という大戦力が存在していたものの、狂乱がそれをそのまま放っておくとはとても思えなかったし、それを期待することは危険だった。
『完璧な世界』の写本が見つかったという報告は、その後で神殿と王宮に伝えられた。わざわざ風士隊員が大声で叫びながら神殿と王宮に駆け込むという念の入れようである。狂乱が風士隊本部を襲撃するという噂がたちまち王都に拡がり、住民は誰に促されることなく我先にと王都から逃れていった。
クロウは風士隊本部に後詰めとして配置され、ファスはユマの警護役として神殿に配された。ディオンはまだ王立病院に入院中で、リムはクロウの説得を拒否して、まるで立て籠もるかのようにディオンの病室に泊り込んだ。
姫巫女は神殿に、新王たちも、副王ひとりを郊外に退避させただけで王宮に陣取った。
そして翌朝、狂乱が風士隊本部に姿を現した。




