復讐者たち6
風神の信徒であるからか、風士と風の精霊の術は相性が良かった。
それでも、クロウは何度か風の精霊を呼び出すのに失敗し、きちんと授業を受けとけば良かったと反省しながら、なんとかディオンの病室を中心に20mほどの範囲で風の精霊による簡素な結界を設けることに成功した。
副木は全て外し、指も脚も問題なく動くことを確認した。
短く雷神への感謝の意を呟く。
既に、深夜である。
病室に戻って来たファスから復讐者たちについて聞いた内容は、狂乱の言ったことを裏付けてくれた。
クロウは、ディオンを刺した男が必ず、それも今夜のうちに来ると確信していた。
長く術を掛けっぱなしにしていると風の精霊たちが飽きて術が解けてしまうため、クロウは頃合いを見計っては術をかけ直していた。何度目になるか判らなかったが、そろそろと思って立ち上がった時、ふと、クロウは誰かが病室の外に忍んで来ていることに気付いた。
男は思案していた。どう忍び込んで、どう標的を見つけるか。どうせなら病院ごと燃やしちまった方が早いんじゃねぇかな、と考えていたところへ、木陰から声を掛けられた。
「よお。こんな時間に何してんだい?」
反射的に男は手にしていたナイフを声に向かって飛ばしていた。狂乱を仕留めるために幾度となく繰り返した技である。外すはずはなかった。しかし、茂った葉が予想外に大きな音を立てたものの、手応えはなかった。
「やっぱり投げるんだなぁ。もうちょっと工夫があるかと思ったんだけど」
反対側の木陰から暢気な声が響いた。姿を現したのは、クロウである。
「なんだい、兄ちゃん。こんな夜更けに散歩か?」
そう言いながら男は、既に別のナイフを手にしていた。
但し、クロウからは見えないようにだ。
「そんなもんかな。オレの知り合いがここに入院しててね。ちょっと外の空気を吸いたくなって出てきたんだ」
「ふーん。そいつは気の毒だな」
「誰がだい?」
「お前だよ」
男のズボンを透かして、膝から下に白い光が浮かぶ。そして土煙を残して男の体が宙を飛び、クロウの目の前まで迫った。
風が舞った。
突き出した男のナイフが空を切る。
着地した男は驚きに目を見開き、腰を屈めて辺りを見回した。
「遅いね。そんなんじゃ、あの爺さんにはぜんぜん届かないぜ?」
男は振り向き様にナイフを投げた。
クロウは、男から5mほど離れて立っていた。
まだ、長剣は鞘に収められたままだ。
僅かに残像を残して、クロウが50cmほど横に動く。その彼の脇をナイフが掠めて、背後の闇へと吸い込まれて行った。
クロウを見る男の目に狂気が灯っていた。
「お前、ジジィの知り合いか?」
クロウは首を振った。
「知り合いじゃない。むしろ敵だよ。それで、後学のためにちょっと教えて貰いたいんだけど、いいだろ?まだ夜明けまでは時間があるし」
男が笑う。ナイフを握った手をだらりと下ろす。
「何だい、兄ちゃん」
「今の、どうやったんだ?ちょっと普通の速さじゃなかったよな。爺さんを殺る為の工夫のひとつなんだろ、それ?オレらが爺さんとやる時の参考にしたいんだ」
「ああ」
男は腰を屈めてズボンの裾を膝まで捲り上げた。
「ちょっと見えねえかな。ここにな、呪を彫り込んであるんだよ。それで、筋肉を無理に動かして、飛んでいるって訳だ」
「そんなことして、足が壊れないのか?」
「お前、オレのこと知ってんだろ?昼間のヤツと同じ制服だよな、その恰好。この国の軍かなんかなんだろう?だったら、オレたちが死に難いんだって知ってるよな。ジジィに散々いじくり回されてよ。
足が多少壊れても、問題ないさ」
復讐者たちが死に難い、ということをクロウは知らなかったが、リムとファスの話からある程度予想していたことではあった。問題はむしろ、どの程度までやれば死んでしまうのか、ということだった。
「執念深いね」
「なあに」
男が肩を竦め、剥き出しになった足に刻まれた呪が輝く。
クロウの足元で風が舞う。
と、カチッと小さな音がして、男が大きく口を開いた。予想外の行動に一瞬ためらったクロウに向かって、男の口から炎が吐かれた。
「わっ」
クロウの反応が僅かに遅れる。
炎に包まれる前に辛うじて疾風で姿を消し、3mほど離れたところに姿を現す。そこへ、大きく目を見開き、残忍な笑みを浮かべた男が--文字通り--飛び掛った。
クロウは男のナイフから目を離さなかった。
男の逆の手からも。
突き出されたナイフを右手で捌き、カウンター気味に左手で男の顔面を殴りつける。更に右拳を叩き込んで、態勢を崩したところにもう一発、素早く左を入れた。一瞬の早業である。その間、クロウは瞬きひとつしていない。
いつの間にか左手に移っていた男のナイフは、体を引いたクロウに鼻先で躱され、むなしく宙を切った。
倒れながら、男がクロウを見る。そして、カチッと小さな音がする。その姿を、妙にゆっくりと見ながら、クロウは足元から風を巻き起こした。男の口が開く。炎が噴き出す。そこへ、轟風が襲い掛かった。
炎はたちまち押し返され、男を包み込んだ。
悲鳴が上がり、炎に包まれた男が倒れたまま暴れ狂う。
「今のは」
ふぅと息を吐いて、クロウは言った。
「悪くなかったぜ、オッサン」
クロウは男を殺そうとは思っていなかった。
出来れば生きて捕まえて、狂乱の情報を少しでも聞き出したかったのである。しかし、もはやそれは不可能だった。
クロウは火の精霊を呼び出す呪を唱えた。
彼の魔術はとても実戦で使えるレベルではない。呪を唱え終え、術を発動させる準備を終えるのに、10秒は必要だった。
クロウは男に向けて人差し指を突き出した。
そうしないと、狙いを定められないのである。
クロウが狙っているのは、瘤のように盛り上がった男の背中だ。そこに、油を貯めているのだと、クロウは察していた。足に刻んだ呪と同じだ。死に難いことをいいことに、炎を吐けるよう自分を改造したのだろう。
「アンタの執念だけは認めてやるよ、オッサン」
そう言って、クロウは最後の呪を口にした。
爆発音は、リムにも聞こえた。
ディオンの手を握ったまま、彼女は夢から覚めたかのように、顔を上げた。
窓の外が明るかった。
火事かと思ったが、彼女の意識はすぐに別のことに向けられた。
ディオンの手が動いたのである。
「リム……ちゃん?」
ディオンが薄く目を開いて彼女を見つめていた。リムの藍色の瞳から涙が溢れ、しゃくり上げるような笑みが、彼女の口元を歪めた。
男の体は背中の瘤を中心に燃えながら四散した。手も足もばらばらになったが、それでもまだ、男の手や足は動いていた。
クロウは飛んでいった男の頭を捜し、2、3分してようやく木の陰に転がっているのを見つけた。見えているのかいないのか、男はまだ瞬きをし、ゆっくりとではあったものの、口も微かに動いていた。
「……ホント、罪なことをするな……。爺さん」
小さく呟いて、クロウは男の首の前に胡坐をかいて座った。
男が遂にぴくりとも動かなくなるまで、まぶたが開いたまま二度と閉じなくなるまで、クロウは根気強く、男を見守っていた。
ファスが病室を訪れたのは翌早朝のことである。
リムはディオンの隣で彼の手を握ったまま穏やかな寝息をたてていた。そこに妹を寝かせたのはクロウで、ディオンは腰に枕を当てて半身を起こしていた。
ファスに声を出さないように合図したのは、ベッドの横の椅子に座ったクロウである。
判った、と、口だけを動かしてファスが答える。ディオンが小さく手を上げ、ファスもそれに手を上げて応じて、クロウと一緒に病室を出た。
「悪いな。リムをもうちょっと寝かしといてやりたいんだ」
「いいよ、そんなこと。それより、何があったか教えてくれる?」
「ああ」
クロウは昨夜のあらましを語った。
「そうか。印可を得られたのか。それで、どっち?」
「両方」
「やっぱりそうか。クロウならそうじゃないかと思ってたよ。おめでとう、クロウ」
「ありがとう、ファス」
ファスが突き出した拳に自分の拳を当てて、クロウは応えた。
「きっかけはなんだったの?」
クロウは言い難そうに少し唇を歪ませた。しかし、いずれは判ることと諦めて、彼は渋々という感じで口を開いた。
「リムが泣いてたんだよ」
「リムちゃんが?」
ファスから視線を逸らしたまま、クロウは頷いた。
「ディオンが刺されたって、泣きながらオレに縋り付いて来たんだ。お兄ちゃんなんて、ズイブン久しぶりに言われたぜ」
「それがきっかけ?」
クロウは頷いた。
「それは」
どこか楽しげに、ファスは言った。
「ディオンとリムちゃんに、一生頭が上がらなくなっちゃったねぇ」
「嬉しそうに言うな」
怒ったようなセリフとは裏腹に、満足そうな笑みを浮かべて、クロウはファスの胸に軽く拳を当てた。




