復讐者たち4
扉がノックされ、クロウはリムを驚かせないように彼女を離し、静かに立ち上がった。扉を開けると、表情を曇らせたファスと、昨夜と何も様子の変わらぬユマが立っていた。
クロウはリムをちらりと振り返って、足を引き摺って廊下へ出た。
ユマが「よお」と、手を上げる。
クロウはユマに頭を下げて、ファスを見た。
「来てくれたのか」
「ディオンは?」
クロウは首を振った。
「まだ目を覚まさない」
「医師はなんて?」
「血を流し過ぎている、と。脇腹を深く抉られてて、まだ生きていることの方が、むしろ不思議だとよ」
「風神様のご加護かな」
「多分。後は、ディオン自身の体力の問題だと思う」
「何があったか、聞いた?」
「リムからは聞いたよ」
そう言って、クロウはリムから聞いた話を語った。
「終わったと思ったら立ち上がった……か」
ファスが呟く。
「ディオンが油断するとは思えない。男が立ち上がるとは想像も出来ない状況だったんだろうな。しかし、相手がただモノじゃなかった、ってトコだろう」
「ここに来る前に風士隊に寄って来たんだけどね、ディオンが疾風を使った形跡があるんだって」
「本当か?」
「うん。地面の足跡から判断すると間違いないって。現場に落ちてたディオンの長剣にもかなりの血がついてて、相手を一度、倒したことは間違いないみたいなんだけど、その後がどうもよく判らないみたい」
「どういうことだ?」
「逃げてった相手の血の跡も残ってたんだけど、すぐに消えてるんだって。まるで切られたのにすぐに治ったみたいに」
クロウは顔を強張らせた。
「まさか、相手は狂乱?」
ファスが首を振る。
「衛兵の話だと、身長が180cmぐらいはあったそうだから、違うと思う」
「狂乱じゃないな、確かに。じゃあ、誰だ?」
「判らないね。それと、殺人事件が2件、あったらしいよ」
「2件?」
「うん。1件は神官が殺されたって。一家皆殺し」
「狂乱か……?」
「そう。間違いなく」
なぜそう断言できるのか、クロウはもう訊かなかった。答えが、残された死体、なのは聞くまでもなかったからだ。
「『完璧な世界』を探しているんだな」
「だろうね。で、もう1件が多分、ディオンをやったのと同じヤツの仕業」
「そう言える理由は?」
「殺されたのが、ディオンが刺された現場で殺されてた2人の仲間で、同じ様にナイフで刺されてたって。こっちも酷い状態だったらしいよ。狂乱と同じぐらい」
「逃げたヤツラをわざわざ探し出して殺したってことか?」
「執念深いヤツだよね」
「だとしたら、ここにも来るかな」
「ディオンが生きているって判れば、多分ね。今の状況からすれば、来るって考えた方が無難だと思うよ」
「何者だろうな、そいつ」
「復讐者たち、なんじゃね?それ」
暇そうにしていたユマが、二人を見ることなく不意に言った。
「えっ」と、クロウとファスは声を上げた。クロウとファスの反応に、ユマの方も驚いたように「えっ」と声を上げて二人に視線を戻した。
「オレ、何か変なこと、言ったか?」
「ユマ様、ご存知なんですか?」
「復讐者たちって、なんなんです?」
クロウとファスが身を乗り出して訊ねる。
「えっ?復讐者たちは復讐者たちだよ」
クロウとファスの勢いに押されるかのように、ユマが僅かに後ずさる。
「あ、いや、どういうことか詳しく教えていただけませんか?」
ユマがぷっと頬を膨らませる。
「オレに難しいことを訊くなよ。ちゃんと知りたいんだったら、ニケのヤツに訊いてくれよ」
憮然として、ユマは言った。
ファスはちらりとクロウを見てから、ユマに微笑んで見せた。
「判りました、ユマ様。では、ニケ様のところへお付き合いしていただいても宜しいですか?」
そう言って、ファスはクロウに向き直った。
「ニケ様に聞いて来るよ、クロウ。君はここにいた方がいいな」
「ああ。そうだな」
「怪我は大丈夫?」
クロウは副木を当てた手を持ち上げた。
「大丈夫、とはまだ言えないな。姫巫女様のおかげで、明日には治りそうなんだが」
「ふーん。ちょっと診せてみな」
ユマが言う。
「あ、はい」
差し出したクロウの手をユマが取り、軽く触った後、頭を下げて瞑目した。しばらくそうしていたが、やがて彼女は小さく溜息をついて顔を上げた。
「いいぜ。雷神様に祈ってみた。お聞き届けくださるかどうかは判らねぇけどな」
「ありがとうございます、ユマ様」
クロウは自分の手を見た。気のせいか、普通に動かせそうな気がした。指だけではなく、脚の方もだ。
「いいってことよ。礼を言うのは治ってから、雷神様にな」
「はい」
「じゃあ行って来るよ、クロウ」
「ファス、剣を貸して貰っていいか?」
「ああ。もちろん」
ファスが腰から剣を外し、クロウに差し出す。
「じゃあ、気をつけてな」
「君もね、クロウ。じゃあユマ様、行きましょうか」
ファスがユマを促す。
「おお。じゃあ今度は神殿だな」
どこか嬉しそうにそう言って、ユマが大人しくファスに従う。
それはまるで子供が猛獣を連れ歩いているかのようで、何かとても不思議な光景を見ているかのような感慨をクロウに抱かせた。
復讐者たちについてクロウに最初に教えてくれたのはファスではなく、別の、意外な人物だった。病室を出てトイレに行ったクロウを、廊下の影からしゃがれた声が呼び止めた。
「元気そうじゃの、若造」
クロウは剣に手をかけて弾かれたように振り返った。
「……爺さんか」
ほうほうと、笑い声が響いた。
廊下の隅に、妙に濃い闇が淀むように存在していた。
「お前さんが風神の神託を聞いておったとはな。夢にも思わなかったぞ」
クロウはごくりと喉を鳴らし、剣から手を離した。
狂乱が殺す気であればとっくに自分の命はなかったはずだ。それに、1対1でクロウが勝てる相手でもない。しかし、そうと判ってはいても、狂乱を前に剣から手を離すのは相当に勇気を奮い立たせる必要があった。
「オレに何か用か?爺さん」
体を起こし、努めて平静な声でクロウは訊いた。しかし、緊張に声が固くなるのは避けられなかった。
「ちょっと忠告してやろうかと思うての」
濃い闇から何重にも重なった声が陰々と響く。
「何をだ、爺さん」
「なに。復讐者たちのことじゃ」
「知ってるのか?」
「あれらはワシを追って来たからのう」
クロウは溜息をついた。
「やっぱりアンタ絡みだったのか」
「まあのう。あれらは実験体じゃ」
クロウは少し考え、首を振った。狂乱の言ったことの意味に思い当たったのである。
「罪な爺さんだな」
「いきなり自分を改造することなど、出来ようばすもなかろう?それに、あれらのほとんどは元死刑囚じゃ。元は殺人者、という訳じゃな。どうせ死刑になるなら、ワシが使った方が社会のためになるじゃろ?」
「それで?」
「これがなかなかしつこいヤツラでの。もう20年もワシを追ってきておる。数は減っておるはずじゃがのう。いちいち相手をするのも面倒じゃから、そのうちの一人でも、お前さんに始末して貰えれば助かるんじゃがの」
「ズイブン虫のいい話だな、爺さん」
「ヤツらは執念深いからのう。どんなことをしでかすか、ワシにもよぉ判らん。それを教えに来てやったんじゃ。敵の敵は味方と言うじゃろう?」
「……アンタが味方だなんて、ゴメンだぜ、オレは」
狂乱が嗤う。
「お前、少し雰囲気が変わったな、若造。気負いが無くなっておる」
「アンタや戦巫女様のようなバケモノを見れば、多少はな」
ほうほうと、狂乱はもう一度笑った。
「好いことじゃ。好いことじゃ。ではな、若造。忠告は、したぞ」
狂乱の気配が消えた。
クロウは狂乱がいたはずの暗闇に慎重に歩み寄り、そこに誰もいないことを確かめ、ホッと溜息をついた。彼の体中から冷たい汗がどっと噴き出した。




