復讐者たち2
「では、戦巫女様の寝所は神殿の方で用意いたしましょう。食事の用意もさせておきますので、いつでもお越しください」
姫巫女が言う。
風士隊本部の小さな会議室である。
「よお。誰か案内役を付けてくれねぇかな。オレ、方向音痴でよ。一人じゃあ迷っちまうぜ」
「それは我々の方で用意致しましょう」
ユマにそう答えたのは、風士隊隊長のイルスである。姫巫女には遅れたが、姫巫女がクロウの治療をしている間に彼も駆け付けたのである。
「できたら若いヤツ、色男がいいな」
まったく悪びれることなくユマが言う。
イルスもまた、それが当然というように応じた。
「どんな男が好みですかな、ユマ殿は」
「優しい男。ちょっと、なよなよってしてる方がいいぜ。思わず守ってやりたくなるような。でも、あんまり弱っちいのはダメだ」
「承知いたしました。風士候補生に打ってつけの男がおります。4回生で。直ぐに来させましょう」
ファスのことだなと、クロウと姫巫女は察した。
イルスが脇に控えた風士隊員に耳打ちをし、風士隊員が出て行った。ファスを呼びに行かせたのだろう。ファスは城壁内にある彼の一族の屋敷にいるはずだ。当然彼の父である王にも連絡は行っているはずで、ひょっとするとファスも起きているかも知れないが、こんな深夜に気の毒に、とクロウは思った。
「ニケ殿はいかがですかな。このクロウを滞在中のお供になさっては。座学の方はあまり良くはありませんが、腕っぷしでは候補生随一の男ですよ」
「あたしは必要ないよ。一人の方が楽なんでな。って、今、ホッとしなかったか?テメエ」
ニケがクロウを振り返る。
クロウは副木をつけられた手を慌てて振った。
「とんでもない。とても残念に思っていますよ」
くすくすと笑って、姫巫女が立ち上がった。
「では、わたくしは神殿に戻ります。いろいろお話もあるでしょうから。あ、クロウは立たないように。ニケ様にシメられてしまいますよ」
悪戯っぽくそう言って、姫巫女は会議室から出ていった。クロウは言われた通り座ったまま姫巫女を見送り、小さく溜息をついた。
「さて、それでは、まず君から報告してくれるか、クロウ候補生」
気を取り直して、「はい」と、クロウは語り始めた。
「『完璧な世界』を探せと、惑乱の君が、か……」
クロウの話を聞き終えたイルスが呟く。惑乱の君と聞いて、珍しいことに彼の顔が少し青ざめていた。
「はい。ただし、狂乱もそれがどんなものかは判っていない様子でした。それを知る為に、我々を待ち伏せていたようです」
「ふむ」
「風神様の御神託とは異なり、狂乱は、『完璧な世界』を探し出してそれが引き起こすものを見て来いと命じられたと、言っていました」
「引き起こすもの、か」
イルスが考え込む。
「なあ、その『完璧な世界』っていうのは何だ?」
ユマが問う。
それには、イルスが答えた。
「ふーん。風神様と大地母神様が廃棄しろってねぇ。だとしたらロクなモンじゃねぇな。それを、ジジィの主の……」
「ユマ!!」
突然ニケが椅子から立ち上がり、強い口調でユマの言葉を遮った。何事かとニケを見返し、ユマは「ああ」と、照れたような笑いを洩らした。
「いけね。またやっちまうとこだったぜ」
「何のことですかな」
イルスが鷹揚に問う。しかしニケの答えは、問うたイルスの予想をはるかに越えるものだった。
「コイツ、今、惑乱の君の御名を口にしようとしたんだよ」
「なっ」
イルスが絶句する。クロウも同様である。
「いやあ、オレ、馬鹿だからさ。つい言っちまいそうになるんだよな。それで前、死にかけたのに」
「アンタが死にかけただけじゃなくて、街がひとつ滅んじまっただろ。前の時は。
コイツ、雷神様の戦巫女なだけあって惑乱の君の御名を口にしても死ななくて、その分、呪いがコイツだけに収まらなくてさ。
大変だっただろう?あの時には」
「10日ぐらいは苦しんだからなぁ。もう死ぬって流石に思ったんだけどな」
「とっとと死んでくれれは良かったんだけどね。あたしも巻き込まれて危うくくたばるとこだったし」
「……その10日の間に、街がひとつ滅んだと?」
「ま、そういうこと。雷神様が取り成してくれたのか、10日後には収まったんだけどな。いやぁ、苦しかったなぁ。ホントに」
ユマが軽い口調で言う。
イルスが額に手をやる。「ファスに、くれぐれも目を離すなと言っておく必要が……」と、彼が小さく呟く声がクロウに聞こえた。
「1対1でヤツと戦ったら、あたしらでもヤツには勝てないね」
平板な声で話すニケの隣でユマが頷く。ユマの方もどこか諦めたような表情だ。
「戦巫女様方でもですか」
にこやかな笑みを浮かべ、まるで世間話でもしているかのようにイルスが問う。しかし、彼の瞳の奥には、強い緊張感があった。数多ある神々の中でも最高神と称えられる二柱の神の戦巫女である。強さという点では、他の神々の英雄や戦巫女を遥かに凌駕する力を備えているはずだった。
それが狂乱に勝てないと言っているのである。
二人の力を実際に目にしたクロウにも、俄かには信じられない話だった。
「ああ。雷神様と風神様の両方の力を使い分けるのがヤツは上手くてね。まったく敵わないね」
「オレも一人でやった時には、手も足も出なかったなぁ」
背もたれに体を預けて、暢気な口調でユマが補足する。
「だからあたしらも、二人でヤツを追ってるんだ。二人なら何とかなるからね。でも、二人で追うとヤツは逃げる。ヤツもこっちが二人だと勝てないと判ってるんだ」
「不利と察したら潔く逃げるというのは、なかなか厄介なことですな」
「ああ。ヤツが馬鹿なら良かったんだけど、あたしらより頭が良いからね。だから、その『完璧な世界』か?そいつがあれば、ヤツを誘い出して始末することも出来るんじゃないかと思うんだ。
主の命令だ、不利と判ってても来るしかないだろう」
「ニケ殿のお話を伺う限りでは、我々風士隊だけでも、狂乱を倒すことは出来そうですな」
何の前段もなくイルスが言う。戦巫女様でも敵わない相手にどうやって、とクロウは心の内で驚いたが、言われてみればと、思い当たるところもあった。
ニケが頷く。
「何とかなるぜ、間違いなく。何人かは犠牲になるだろうけどな。幾ら雷神様と風神様の力が使えると言ってもヤツはジジィだ。疲れるのはこっちより早い。疲れたところを狙えばいいんだ。
それに、速く動けるったって限界がある」
「ふむ」
「クロウ、アンタは何かあるかい?何か、ヤツについて気が付いたこととかさ」
ニケがクロウに話を振る。
クロウは「はい」と頷き、淀みなく答えた。
「ヤツに襲われた時に光の筋が、平行に動くのが見えました。つまり、雷神様の力を使えばヤツは我々よりも速く動けますが、我々の疾風と違って、ヤツのいる位置が判るのではないかと推測します。
だとすれば、手の打ち様もあるはずです」
ニケがクロウの答えに満足した様にニヤリと笑う。
「その通りさ。もっとも光が見えた時には大抵、終わりだけどな。
さっきヤツが雷神様と風神様の力を使い分けるのが上手いって話をしたのはそういうことさ。あたしらの疾風同士だとお互いの姿が見える。そうして見えた時を狙ってヤツは鳳雷--雷神様の方の力を使う。
つまり、雷神様の力を使っている時には、実はヤツから疾風を使っている者の姿はホントは見えてなくて、あてずっぽうで攻撃して来てるんだ。
だから、上手くやれば避けることもできる。あたしも、今じゃあ結構、避けれるようになったぜ」
「もっと上手くやれば、その鳳雷、でしたかな。それを使っている最中のヤツにこちらから攻撃することも可能だと、そういうことですか」
イルスが確認する様に言う。
「ああ。鳳雷中のヤツを攻撃するのは難しいことではあるが、出来ないことじゃない」
「それで、ニケ殿は我々と協力しようと考えられたのですな」
「そうだ。ヤツが西ナリス王国に来たのは、アンタらには申し訳ないが、ヤツを倒す千載一遇のチャンスだ。この国には風士隊があるからな。鳳雷に対処できる部隊があるっていうのは大助かりだ」
「そう言っていただけるのは大変光栄ですな。こちらとしても、戦巫女様に来ていただけなければヤツにどう対処すればいいか見当もつかないところでした。
礼を言いますよ」
「それはヤツを倒してからだよ」
「そうですな。いずれにしても、まずは『完璧な世界』を探し出さないと始まりませんな。その上で、ヤツを誘き出して」
「ぶっ殺すと、そういうことだ」
「了解しました。では、本日はこれまでにしましょう。どちらかと言えば、もう夜明けの方が近い。戦巫女様方もお疲れでしょう。今夜はゆっくりとお休みください」
「おう。悪いが遠慮なく世話になるよ」
イルスが扉近くに控えた風士隊員に合図する。
会議室の扉が開き、ファスが入ってきた。
「この者がお二人を神殿までご案内します。如何ですかな、ユマ殿。この者は」
イルスがユマを見て言う。
ユマは琥珀色の瞳を妖しく輝かせて舐めるようにファスを見た。
「いいね。気に入ったぜ、見た目はな」
「よろしくお願いします、戦巫女様。ファスとお呼び下さい」
ファスは、深夜に呼び出されたとは思えない爽やかな笑みを浮かべてそう言った。
頑張れ、と、クロウは口だけを動かして彼に言い、ファスもクロウにだけ見えるよう、こっそりと親指を立てていた。
会議を終えたイルスはそのまま王宮へと向かった。
王に報告するためである。
王は王宮には暮らしていない。それもまた、西ナリス王国の特徴であった。王はファスも暮らす彼の屋敷から王宮に駆けつけたのである。
玉座の脇には副王二人が立ち、少し離れて衛兵隊長の姿もあった。
「おう。イルス。ご苦労だな。しかしよ、ワシの息子を戦巫女の接待役にするってぇのはちょっと酷ェんじゃねえか?」
王は気さくにイルスに話しかけた。
ファスによく似た優しげな顔立ちをしていたが、愚帝戦争では東ナリス皇国の一軍を少人数の一隊で打ち破った猛者である。現在の西ナリス王国の首脳部は、愚帝戦争で身を挺して戦った者が多かった。その為、戦友という意識が強く、彼らの結束は固かった。イルスも衛兵隊長も、若干歳は下だが、戦友という意味では同様である。
「申し訳ありません。戦巫女様のご要望に一番相応しいのがご子息でしたので、少しお借りしました」
「ま、いいんだけどよ。概要は聞いた。クロウが生き残ったのは不幸中の幸いだったな」
息子の親友である。王もクロウとは面識があった。
「はい。貴重な人材を、例え一人でも失わなかったのは我が国にとって幸いでした。それに、彼は期待以上に多くの情報を持ち帰ってくれました」
「魔術書か?やはり」
途中の会話を飛ばして王が言う。
狂乱が言った「それが引き起こすもの」というセリフからの推測である。イルスも王がそう言った理由を問うことなく頷いた。
「おそらくは」
「それが判っただけでもありがたいが、これからどうするべきかな」
「まずは、神官方の警護を増やすべきかと」
「それは既に指示した。しかし、衛兵隊で対処できるか?」
「難しいでしょう。風士でさえ易々と倒す相手ですから」
衛兵隊長が低い声で応える。彼の顔の左半分を覆った大きな傷跡は、愚帝戦争の際に負ったものだ。
「だよなぁ。ヤツの方が『完璧な世界』を先に見つけちまいそうだな」
「むしろ、狂乱の魔術師に見つけさせた方が早いかも知れません」
静かな声でイルスが言う。
「ワシもそう思わんでもないんだがな。『完璧な世界』を手に入れさえすれば、狂乱はウチから出てってくれるかも知れんしな。しかし、ちっと危険だな。風神様の御神託から判断すると」
「『完璧な世界』を破棄せよ。さもなくば、大いなる災禍が降りかかるであろう、か」
副王の一人が呟く。
「それよ。破棄せよ、さもなくば、ってことはだ。破棄しねぇ限り大いなる災禍が降りかかるってことだろう?だとしたら、狂乱の手に渡るのは最悪の事態かも知れねぇ」
「否定できんな」
もう一人の副王が同意する。
「風士を何人か、衛兵隊に派遣いたしましょう」
「そうしてくれ。常に複数で行動するよう厳命してな。ただし、衛兵と風士できちんと協力しろよ。いがみ合ってばかりじゃなくてよ」
「難しいご注文ですな、それは」
眉間に皺を寄せてイルスが言う。
「まったくだ」
衛兵隊長が同意し、王は「勘弁してくれよ」と溜息混じりに呟いた。
クロウは風士隊の隊舎に泊まることになり、肉体的にも精神的にも疲労困憊していた彼は服を着替えることなく、副木を添えられた足を引き摺って用意されたベッドに倒れ込んだ。正午過ぎまで泥のように眠っていた彼を起こしたのは一人の風士で、風士はクロウに、「ディオン候補生が刺された」と、緊迫した声で告げた。




