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狂乱来襲5

 狂乱がそう言った途端、部屋の温度がいきなり何度も下がったかのようにクロウには感じられた。いや、クロウの気のせいではない。凍えそうなほどの冷気が確かに、狂乱の足元から這うように漂って来ていた。

「惑乱の……君?」

 惨殺された死体を見ても、骨をへし折られても動じなかったクロウの顔が、青ざめていた。

 狂乱の皺だらけの顔が意外そうに歪んだ。

「なんじゃ。知らされていなかったのか?そりゃ気の毒に。そうじゃ。ワシの主はあの御方じゃ」


 西ナリス王国の守護神である風神をはじめとして、雷神や大地母神、太陽神などは、全て光に属する神々である。

 一方、闇に属する神々も世界には存在していた。

 彼らは、その配下たる妖魔を含めて、闇の一族と称されていた。しかし人は、その呼び名を口にすることはなかった。口にすれば、彼らが訪れると信じているからだ。

 人々が彼らの話をするときには、名を口にするのも憚られる御方たち、と言った。

 その、名を口にするのも憚られる御方たち中に、狂気と混乱を司る神がいた。

 惑乱者と称される神。

 名は、XXXX。

 人は、いつの間にかその名を覚える。誰にも教えられたことがないにも関わらず、まるで前世の記憶を思い出すかのように。そして、ほとんどの者は、一生のうちに一度もその名を口にすることなく人生を終えるのである。

 名を口にした者には呪いが降りかかると言われていた。しかし、それがどんな呪いか知る者は皆無と言ってよかった。何故なら名を口にした者は、ほとんど例外なく死んでしまうからである。


「ワシはの、狂気と混乱を司る神の使徒……いや、そんな良いモンじゃないの。あの御方にとってワシはただの道具、もしくは玩具、良くて走狗といったところじゃろう」

「……惑乱の君が、アンタに何かを探せと命じたって?」

「そうじゃ」

 惑乱の君が狂乱に、つまり神がその信徒に、何かを探せと命じたという事実。

 狂乱が風神の神託を手掛かりと考えているという事実。

 その二つの事実が、クロウに彼の探しモノの正体を思い当たらせた。

「……アンタの探しモノって……」

「見当がついたようじゃの。そうじゃ。ワシはな、『完璧な世界』を探しに来たんじゃ」


 折られた骨が悲鳴を上げ始めていた。

 悪寒がクロウの背筋を冷たく這い登っていく。

「あの御方はワシに言われたのじゃ。『完璧な世界』を探せと。探し出して、それが引き起こすものを見て来いと」

 狂乱がクロウを見つめて言う。まるで何かを彼に問うかのように。その問いの意図するところに、クロウは気づいた。

「……アンタも、それがどんなモノか知らないんだな」

 思わずクロウは口走っていた。

 そして同時に、狂乱の狙いにも気がついていた。

 何故、彼がカナルリアではなく、王都から半日ほどのこの街にいるのか。狂乱は、王都から派遣されるであろう先遣隊を、まさしく彼らを、ここで待ち構えていたのだ。

「だから、わざと死体を残して、自分がこの国に来たと見せつけたのか……」

 狂乱が満足した様に、ほうほうと笑う。

「物分りのいいヤツは好いのお。その通りじゃ。風士が出てきたところをひっ捕まえて聞き出せば仕事が終わると考えての。ところがどうにも、この国でも『完璧な世界』というのが何か判ってはおらんようじゃな。

 さっき、アンタも、と言ったな。若造。お前も、いや、お前らも、それがどんなモノか知らぬのじゃな?」

 クロウは答えない。

 しかし、狂乱は満足した様に頷いた。

 クロウは狂乱から多くの情報を得ていたが、狂乱もまた、クロウから多くの情報を得たのだ。

「やはりの。少なくともお前は知らんということだの」

 狂乱が安楽椅子から立ち上がる。抑えようのない喜びが彼の顔を更に醜く歪ませていた。クロウは狂乱が、彼を殺せることを喜んでいるのだと悟って身震いした。

 それと同時にクロウは、低く苦悶の声を上げた。

 ヒロのこともリムのことも、クロウは忘れた。

 クロウは、狂乱が近づいて来れば、縛られた体ごと足払いをかけ、倒れた狂乱の喉を喰い破るつもりだった。狂乱が喉のパイプを使って古ロタ神秘語を使っているのは間違いなかった。だとすれば、パイプを噛み千切れば狂乱の脅威は大幅に下がるはずと、クロウは考えたのである。

 しかし、一方でクロウは、自分が何をしようとしているかも忘れていた。もっと正しく言えば、意識の表面から消していた。結果についても同様だ。なるようにしかならないと、結果に対する拘りを完全に捨て去っていた。

 忘我、と言っても良かった。

 ただ、やるべきことをやるのみである。己をも忘れ、それが故に、逆に彼は自然と苦悶の声を上げたのである。

 それが狂乱を油断させた。

 クロウの上げた苦悶の声を恐怖から洩らしたものと考え、狂乱はくっくっくっと楽し気に嗤った。

 もしそのまま狂乱がクロウに近づいていれば、クロウの命はなかっただろう。そして狂乱もまた、ただではすまなかっただろう。

「残念じゃが、それならばもうお前に用はないの。ふーむ。次は神官か、王宮の上の方の連中にでも当たってみるかの。面倒じゃが、仕方ないの……」

 狂乱がそう言った時、死体が縫い付けられていた壁が、爆発したかのような勢いで外から叩き壊された。轟音にクロウは一瞬耳が聞こえなくなり、幾つもの雷光が室内を走るのを見た。雷光が当たった四囲の壁が、一気に炎を上げた。

 ふと気付くと狂乱の姿は既になく、嵐のような暴風が室内のありとあらゆるものを吹き飛ばし、壁の炎をより一層高く舞い上がらせた。

「逃げられたか」

 平板な声が聞こえた。

「おい。コイツ、まだ生きてるぜ」

 別の声がそう言った。

 影が二つ、炎を背景にしてクロウに歩み寄って来た。一人は長剣を、もう一人は長槍を手にしていた。二人ともクロウよりも背が高い。しかし意外と肩幅は狭く、男にしては声が甲高いようにクロウには思えた。

 クロウは影に向かって問うた。

「……誰だ?」

 長剣を手にした影が、もう一人の影に訊く。

「誰だってよ。何て答える?」

「ジジィの敵って言っとけ。早く助けないと焼け死んじまうぜ」

「聞いてただろう?納得したか?」

 死から解放された安堵感から途切れそうになる意識を繋ぎ止めながら、クロウは頷いた。「よし」と言って、影は彼の体を片手で軽々と肩へと担ぎ上げた。

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