狂乱来襲4
今回は、少々残酷な描写を含んでいます。
くれぐれもお気を付けを。
では、よろしくお願いします。
快活に笑ってそう言った先輩の目玉が二つ、倒れたクロウの前に転がっていた。
後ろ手に縛られ、足首も拘束されて床に投げ出されたまま、クロウは薄暗い室内を見回した。壁に開いた窓の外は、既に真っ暗だった。
床に置かれた小さなランプが、ゆらゆらと室内を照らし出していた。
どこにでもある普通の民家の普通の居間だ。
ただ、普通と違っていたのは、血塗れの死体が3つ、どこか芸術作品のように壁に打ち付けられていたことだった。
おそらく民家の住民だろう。母親と思われる若い女と子供。それに幼児だ。3人とも全裸で、子供と幼児は頭と足が逆さまにされ、女は頭を上にしてはいたが顎の下から下腹部までが大きく切り裂かれていた。恐怖と絶望を顔に張り付かせ、絶叫するかのように大きく口を開いて女は死んでいた。
再び床に目をやったクロウは『ああ』と思った。
床に転がった二つの目玉の向こうから、首だけになった先輩の眼孔が空しく彼を見つめていた。
恐怖も悲しみもクロウは感じなかった。
おそらくあまりの非現実感に感情が麻痺していたのだろう。
1泊目の宿に向かって歩いているところを襲われたのである。
先遣隊は風士が2名、それに王軍の軍人が1名とクロウを含めた4名だった。
談笑しながら歩いていた軍人の首が、ころりと落ちた。何の予告もなく、笑みを浮かべたまま、普通に歩いている途中に。軍人はそのまま一歩だけ歩いて、崩れ落ちた。
風士の一人が警告の声を上げようとして、消えた。
クロウは、彼の前を稲妻が平行に走るのを見た。
「逃げろ、クロウ!」
先輩がそう叫び、先輩の足元から轟風が巻き起こって、身を翻そうとしたところでクロウの意識は途絶えた。
クロウは首を回して、壁の女の顔を見直した。
ヒロじゃない、と思った。安堵の想いが、少しばかりの後ろめたさと共にクロウの胸に湧いた。
予定通りなら、ヒロは今夜はもっと先の街に泊まっているはずだった。だとしたら、彼女は無事なはずだ。なぜなら、狂乱の魔術師スイフトはここに、王都から半日ほどの、この家にいるのだから。
瞬きする程の僅かな間に、様々な想いがクロウの胸に去来した。
それを一言で表せば、あの時、ヒロとヤっておけば良かったという、軽い冗談を含んだ想いだった。
二人でそういう雰囲気になったことがあるのである。王都に出てくる直前のことだ。しかし、神官補になる夢を捨てて彼を受け入れる覚悟を決めたヒロの顔を見て、逆にクロウは、愛おしさのあまり、ただ彼女を抱きしめて終わったのである。ヒロも戸惑いながら彼の背中に手を回し、やがてどちらからともなく二人は声を上げて笑い出していた。そしてその後に、二人で口付けを交わしたのだ。言葉にはしなかったが、必ず風士に、神官補になろうと誓って。
ゴメンな、ヒロ。
クロウは心の内で呟いた。
ヒロのことを除けば、心残りはリムとディオンの結婚を見届けられないことだけだ。
しかし、ディオンならリムを不幸にするはずがないという確信がクロウにはあった。だから何の心配もすることはないと、クロウは覚悟を決めた。
狂乱の魔術師と、確実な死と、向かい合う覚悟を。
「悲鳴を上げないのか?」
先輩の首の向こう、安楽椅子を揺らしていた老人が問う。
しゃがれた声が何重にも重なって聞こえた。
老人の首に、何本もの細いパイプが張り付いて複雑な影を作っていた。いや、張り付いているのではなく、そのパイプは老人の首に埋め込まれているようにクロウには見えた。顔は角ばっており、目も口も、まるで皺と一体となっているかのように皺の下に埋もれていた。薄い髪はすべて白髪で、異常に大きな耳がクロウの印象に強く残った。
「そのパイプで、古ロタ神秘語を使うのか?」
体のあちこちに痛みを感じながら、クロウは言った。特に後頭部が酷く痛かった。おそらく後ろから殴られて意識を失ったのだろう。
老人が立ち上がる。
ファスから聞いた通り小柄で、身長は150cmもあるか、というところだった。70才を越えているということだったが、老人の足取りは確かだった。
老人はクロウに歩み寄ると、そのままいきなりクロウの顔を蹴った。
「ワシの問うことだけに答えて貰えればいいんじゃ」
「そいつはオレの信条に反するんでね。お断りするよ。爺さん」
老人を見上げ、血の混じった唾を吐いて、クロウは言った。
老人は黙ってクロウの背後に回ると、彼の指を折った。苦悶の声がクロウの食いしばった歯の間から漏れる。
「悲鳴を上げてもいいんじゃぞ?この家の音は一切外に漏れんよう、術をかけておるでの。ションベンを垂れても、泣き喚いても心配なしじゃ」
クロウの背後で老人が言う。
「そりゃあいい。アンタを殴り殺しても、誰にも気づかれないって訳だ」
荒い息を吐きながら言ったクロウの指が、もう一本折られた。
「まだ悲鳴を上げんか?」
老人がクロウの顔を上から覗き込んで言う。彼の顔中の皺が歪んだ。狂乱の魔術師が笑ったのだと、クロウは悟った。
「では、これではどうじゃ」
狂乱は、クロウの右脚に自分の足を乗せた。
意外なほど大きな音が響き、激痛がクロウを襲った。さほど力を込めた様子はなかったが、狂乱がクロウの脚の骨をへし折ったのである。
「ほうほう」
脂汗を浮かべ、歯を食いしばるクロウを見下ろして、楽しそうな笑い声を狂乱は発した。
「こっちの風士も大したものだったが、お前もなかなかじゃの」
狂乱が安楽椅子に戻って行く。
先ほどは気付かなかったが、安楽椅子の向こうに首を失くした体があった。厚い胸板が先輩の体だとクロウに教えてくれた。クロウにかろうじて見分けられたのは、根元から脚が捻じ切られていることだけだった。しかし、床にはよく判らぬ肉片が散らばり、それ以上に遺体が損壊されている気配があった。
「お前とはいろいろ話し合った方が早そうだの」
安楽椅子に腰を下ろして狂乱が言う。
皺のひとつが持ち上がり、まるで深い穴のような小さな瞳がクロウを見た。
「風神が神託を下したことは、そこの」
と、狂乱は壁の女を顎で示した。
「女から聞いた。内容についても前に聞いたのと同じじゃ。風士にも確かめたかったが、コイツは結局、口を割らなんだ」
狂乱が先輩の首を軽く蹴る。
「ま、コイツはたいしたことは知らなかったようだがの。お前はどうかの」
小さな瞳でクロウの表情を探りながら、狂乱は言葉を続けた。
「実はの、ワシがここに、この国に来たのは、探しモノがあるからじゃ。ワシの主に命じられての」
「誰だい、アンタみたいな怖い爺さんの主って」
骨を折られた痛みに苦しみながら、クロウは訊いた。狂乱が答えるとは思っていなかったが、予想に反して狂乱はあっさりと答えた。
「もちろん、惑乱の君じゃ」




