狂乱来襲3
クロウが校長室に呼び出されたのは、その日の午後である。
「オレが、先遣隊の一員としてですか?」
クロウは思わず校長に聞き返していた。それは本来なら許される行為ではなかったが、校長は彼を咎めることはなかった。
クロウは校長から、狂乱の魔術師スイフト討伐の先遣隊に加わるようにと命じられたのである。
校長室には、クロウの他に男がもう一人いて、校長の座る椅子の横にクロウの方を向いて立っていた。
外見的には30才前後とも見えたが、クロウは彼が既に40才になっていることを知っていた。体も武人にしては線が細く、端麗な顔はまるで女性のようだったが、帯剣し、手を後ろで組んで直立した姿にはどこか近寄り難い威厳があった。
風士隊の隊長、イルスである。
「そうだ、クロウ候補生」
イルスが短く答える。
少し高めの声ではあったが、落ち着きのあるよく通る声だった。
「理由を教えていただいても宜しいでしょうか」
臆することなくイルスの瞳を見返して、クロウは訊いた。
イルスの顔に微かな笑みが浮かんだ。
温かい視線でクロウを見つめて、イルスは説明を始めた。
「第一の理由は、君が直接、風神様の御神託を享け賜ったからだ。3日前という狂乱が現れた時期から判断して、軍は今回の狂乱の出現を、御神託と何らかの関わりがあるのではないかと考えている。
もちろんあくまでも可能性としてだがね。
正直に言えば、御神託に関する手がかりがまったくないので、御神託を直接享け賜った三人のうちの誰か一人を先遣隊に加えてみようとなった訳だ。
第二の理由は、君がカナルリアの出身だからだ。かの地の地理に詳しい者が一人でもいてくれた方が便利だと我々は判断した」
「失礼を承知で申し上げます。私はまだ印可を得られておりません」
「判っている。印可を得ているかどうかを問題にするなら、ディオン候補生を選ぶべきだということもな。だが、印可を得ているかどうかは今回は関係ない」
「詳しくご説明いただいても宜しいでしょうか」
「先程、討伐のための先遣隊と言ったがな、実際にはただの偵察任務だ。狂乱の情報を少しでも持ち帰ってもらえればそれで良い。
狂乱は我らが主のお力だけでなく、雷神様のお力も使う。それはつまり、例え印可の力を使っても彼奴の方が我々より速いということを意味する。正面からまともに挑んでは、こちらが全滅させられる恐れがある」
クロウは絶句した。
西ナリス王国で最強を誇るのが風士隊だ。その隊長が、一介の魔術師に風士隊が全滅させられる恐れがあると言っているのである。
クロウはゴクリと喉を鳴らした。
恐れからではない。風士隊は誰にも遅れを取ることはありませんと反論しようとした言葉を、自分自身の誇りを、飲み込んだのである。
イルスは、平民出身の身でありながら風士隊の隊長まで登り詰めた生ける伝説だった。
彼が風士隊の一員であることにどれほど誇りを持っているか、クロウは充分に知っていた。余人ならばいざ知らず、イルスが言うからには、本当に風士隊が全滅する恐れがあるということだった。
「だから今回の任務では、狂乱と出会うことは想定していない。クロウ候補生。万が一彼奴と出会うようなことがあっても、決して彼奴とは戦うな。全力で逃げよ。これは君だけではなく、先遣隊のメンバー全員に厳命してある。
彼奴と一戦交えるのは、充分に対策を練った上でのことになる。その為にも戦力を減らしたくはないからな。
生きて帰ること。これが今回の第一の使命だ。
了解したか?クロウ候補生」
「了解いたしました!」
「では、出立の準備を整え、1時間以内に風士隊の本部に出頭したまえ。クロウ候補生。以上だ」
「はい!」
クロウはイルスと校長に敬礼し、校長室を退出した。
校長室の扉を閉じたクロウの口元に、笑みが浮かんでいた。久しぶりに胸が高ぶるのを、クロウは小気味よく自覚していた。
「そういう訳でオレは今から家に帰って出直してくる。リムはもう神殿に行っているだろうから、オレがカナルリアに帰ることは悪いがお前からリムに伝えておいてくれ、ディオン。それと、どれぐらい向こうに滞在することになるか判らないが、その間、リムをお前の家に泊まらせてやって欲しい。念のためにな」
教室で帰り支度をしているクロウに、ディオンが頷く。彼は彼でいろいろと言いたいことがあったが、そういう状況ではないことは良く判っていた。
「ああ。リムちゃんのことは任せておいてくれ。何があってもオレが守るさ」
胸を張ってディオンが言う。
そのディオンに向き直り、クロウは彼の鼻先に指を突きつけた。
「但しだ。あいつはまだ神官見習だ。絶対に手を出すなよ」
「判ってるよ、そんなこと。もし手を出したら、神殿からリムちゃんが追いだされっちまうからな」
「天国のような地獄のような話だね。ディオン?」
「うるせぇよ」
からかうようにファスに言われたディオンが小さく文句を言う。
「気をつけてな」「必ず帰って来いよ」
級友が代わる代わる声を掛けるのに短く応えて、クロウは自宅へと駆け戻った。3日分の荷物を手早く整え、風士隊の本部に到着したクロウを、見覚えのある風士が出迎えてくれた。彼が1回生だった時に4回生だった先輩である。
「おう。クロウ、久しぶりだな」
相変わらずの坊主頭で、先輩は大きな声で言った。
身長はクロウより低かったが、肩幅が広く、見事なまでの逆三角形の体格を誇っていた。疾風の印可を得る者が多い中、少数派に属する轟風の印可の使い手だった。腕っぷしで、在学中に遂にクロウが勝てなかった数少ない先輩のうちの一人である。
「先輩も先遣隊のメンバーなんですか」
「おう。よろしくな」
「まだ出発まで時間ありますよね。ちょっと一勝負、お願いしてもいいですか」
荷物を下ろしながらクロウが言う。
先輩は鼻で笑って肩を竦めた。
「冗談じゃねぇ。お前、オレらが卒業した後、学校をシメちまったんだろう?まだ二回生だったっていうのによ」
「ええ。ですから先輩たちだけですよ。勝ち逃げされたのは」
「そのままにしとけ。オレにとっては、お前に負けなかったというのが数少ない自慢のひとつなんだからよ。
ま、狂乱だかなんだか知らんが、とっとと片付けちまおうぜ。勝負するにしても、その後だ。クロウ」




