そのスライム、元人間につき・1
サブタイトルは、
その〇〇、〇〇につき
となります
気が付けば知らない場所にいた。
俺は、ここがどこなのか、さっぱりわからない。
わかっているのは、自分が記憶喪失だということだけだ。まぁ、つまりは何もわかっていないわけだが。
(やばいな、夕べ飲みすぎたのか?)
記憶を失うまで飲むのはよくやっていた気がするけれど、記憶喪失になるまで飲むのははじめて……な気がする。記憶喪失なのでそのあたりは曖昧だ。
「……なんで……なんでよりによってスライムなのよ」
聞こえてきたのはそんな女の子の泣き声だ。
スライム? 何を言っているんだ?
それよりやけにまぶたが重い。どうやら本格的に飲みすぎたようだ。立ち上がることもできない。
誰か――水、水を持ってきてくれ。
ってあれ? 声もでない。
喉までやられたのか?
これだから酒精が強いだけの安酒はダメなんだ。高い酒は悪酔いしないって言うからな。いつかはいくら飲んでも酔わない酒を飲みたいものだ。まぁ、そんなものがあれば金がいくらあっても足りないだろうが。
って、そうだ。財布はあるのか? もしかして酔っぱらって道端で寝た挙句、財布を盗まれたりしていないよな、と思って手を伸ばそうとするが腕が動かない。
そこで俺はようやくこの異常事態に気付いた。
とりあえず目を開けて状況の確認をしないと。だが、相変わらず目蓋は閉じたまま。俺は現在の状況を確認したいだけなのに――と思った瞬間、世界に光が差し込む。
ってあれ? なんだ、これ。俺の視界ってこんなに広かったっけ? 真後ろどころか頭の上まで認識できるんだけど――視界のどこかに女の子が映っている。まずはそこだけを見ようと思ったら、視界が一気に狭まった。
次は声だ。目も開けられるようになったし、声も出るだろう。と気楽な考えで、
「なぁ」
今度は声を出すことができた。
「泣いているところ悪いんだが――ここはどこだ?」
俺は彼女にそう尋ねると、彼女はきょとんとした目でこちらを見て来た。
さっき周囲を見たところ出口のない部屋のような気がしたが、そんなわけないよな。
「聞こえなかったのか? ここはどこだって聞いてるんだ――ってか、やけに視線が低いんだが、俺、いったいどうなってるんだ?」
どうも倒れているようだが、起き上がろうとしてもうまいこといかない。
「悪いが二日酔いで頭が痛いくて、体も動かないんだ。水をくれないか?」
「わ、わかったわ」
とさっきまで泣いていた少女は本棚の上に置いてあった水差しの水を――俺の頭にぶちまけた。
「って、何しやがるっ! 水を飲ませろって言ってるんだっ! 口に入れろよっ!」
「え、でも口なんてどこにもないじゃない!?」
その少女は逆ギレ口調で言った。
「口がない? 何言ってるんだ、口がなかったら喋られるはずがない……ってあれ?」
そう言えば、俺、さっきから口の感覚がないんだけど。
「もしかしてやばい病気かもしれない。手も足も口の感覚もないなんて……」
「感覚がないのは、そのものがないからじゃないかしら?」
と彼女は本棚の本と本の間から手鏡を取り出し、俺の前の床の上に立てた。僅かに曇った鏡の向こうに、本来なら俺の顔が映っているはずだったが、そこに映っていたのは、青のゼリー状で人間の頭より少し大きいくらいの体の魔物。
「スライム?」
スライムだ。雑魚モンスターだ。なんでこんなところに? っていうか、これ、鏡じゃないのか?
ということはつまり――
「それが、あなたよ」
彼女はそう言った。
よし、わかった。
「現状に鑑みると、俺の今の状況は理解できた」
「え? 本当に? 私は全然理解できていないんだけど」
「俺の姿がスライムになった。ということは、勇者である俺の力を恐れた魔王が配下の魔女の力を使ってスライムに変えた――つまりお前が魔女ということだな」
「全然違うわよっ! っていうか、あなた、勇者だったの?」
「そうだったら女の子にモテそうだなって思っただけだ……まぁいいや」
「まぁいいのっ!?」
「スライムって一度なってみたかったんだよな――溶解液っ!」
と俺は頭に触覚を作り、そこから溶解液を飛ばす。その溶解液は目の前の少女の胸の部分にあたり、その服をシューっと音を立てて溶かす。
白い下着が見えて、ワンテンポ遅れて、少女は悲鳴を上げた。
「きゃぁぁっ!」
「おぉ、やっぱり溶解液プレイはそそるものがあるな……」
ブラのサイズはあまり大きくなさそうだ。着やせするタイプかとも思ったが、見た目通りの少女のようで少し残念だ。無乳というほどではないな。ブラのサイズはBくらいか。
貧乳には貧乳の需要がある!
「それにしても、白とは思っていなかった。魔女といったら黒下着かと思ったが――って何いきなり脱いでいるんだよっ!」
「こっちを見ないで! はやく染み抜きしないと溶解液の穴が広がっちゃうでしょっ!」
少女は服を脱ぐと、涙目でさっきの水差しの水を持っていたボロボロのハンカチにしみこませ、染み抜きの要領で溶解液を取っていくと針と糸を使って縫い始めようとした。が溶けた服を縫い合わせるには布が足りないらしく、袖の部分を鋏で切って、それを使って繕った。そして服を着る。
その間、僅か三十五秒――超早業だ。
ただ、パンツが青と白の縞パンツなのはダメだな。縞パンツがダメなのではなく、ブラと柄が違うのは減点だ。
と俺が考えていると、彼女は俺を睨みつけ、
「何するのよっ! 私、服はこれだけしか持ってないのよ」
と訴えて来た。下着を見られたことよりも服を溶かされたことへの怒りが上回っている。
「悪いな、俺もずいぶんと混乱したらしい。下着を溶かす作業を忘れていた」
「溶かしたらそのまま踏みつぶすわよ――」
シエルはそう怒鳴りつけると、ふと何かを思い出したかのように咳払いをした。
「……ごほん、申し遅れました。私はダンジョンフェアリーのシエル。あなたをこのダンジョンのボスモンスターとしてスカウトする者です」
「ダンジョンフェアリー? 聞いたことがないが、妖精だというのなら、魔物なのか?」
「魔物の一種ですね。頭に魔石があります」
とシエルは帽子を脱いで、前髪で隠れているおでこを見せた。そこには紫色に輝く宝石のようなものが埋め込まれている。
彼女が嘘をついていない限り、あれは魔石だろう。
人型の魔物は全員体のどこかに魔石を埋め込んであると聞いたことがある。誰から聞いたのかは覚えていないけれども。
「で、俺をダンジョンボスにねぇ。こう言っちゃ悪いが、俺、スライムらしいぞ? スライムがボスのダンジョンなんて聞いたことがないんだが」
「仕方ないのです。ダンジョンのボスはランダムで召喚され、チェンジは基本できません。あなたがダンジョンのボスになることを断れば私は十年間の眠りにつかなければいけません」
「なるほど、ずいぶん丁寧な喋り方になったのも、俺をダンジョンボスとしてここに据えたいからか……事情はわかった」
「わかってくれたの?」
「ああ、つまり、俺がここで断ればシエルは困るってことだろ? 例えばここで扇情的なポーズを取って俺を悩殺することができたらダンジョンボスになってやる! と言えばお前はそれに従わざるを得ないってことだ。違うか?」
「……ま、まさかそんな命令しないわよね?」
「そういえば、お前、俺を見て泣いていたよな。どうしてスライムなんだ? って。召喚されたのが俺でショックだったんだよな。そんなにイヤなら契約はしなくてもいいんだぞ」
「そ……そんなことないわよ! スライムでよかったと喜び泣いただけよ」
「なんだ、シエルはスライムマニアだったのか。変態だな」
「そ……そうよ。だからお願い、私と契約を――」
「喉が渇いたな――この家は客に対してお茶も出さないのか」
「あなた、喉なんてどこにもないでしょ。それにさっき水をあげたし」
「何か言ったか?」
「ま、待ってて」
とシエルはどこからともなく緑色の湯呑を取り出して、
「水」
と魔法を唱えた。
「すみません、茶葉を切らしていまして、水しかありませんが」
「まぁ、用意していないものは仕方ないか」
と俺は湯呑を見る。さて、どうやって飲めばいいのだろうか?
とりあえず体を触手のように伸ばして湯呑の中に体を浸けてみた。うん、この感覚は水を吸い取れそうだ。
水を吸い取っていくと、確かに水を飲んだという気分になれた。
「次は肩がこったな」
「あなた、肩なんて――」
「何かいったか?」
「揉ませてもらうわ」
シエルは多少苛立った様子で俺の肩をもみ始めた。
「って、そこは頭だよっ!」
「どこが頭でどこが肩かなんてわからないわよ!」
「そんなこと言われてもなぁ、なんで俺、人間だったはずなのにスライムになってるんだ?」
「え? あなたもともと人間だったの? 人間の言葉が話せるのもそれが理由?」
「だろうな。でも記憶が曖昧で、自分の名前すら思い出せない。とりあえず、仮の名前でも用意してくれないか?」
「名前? そんな急に言われても……」
とシエルは俺の頭を揉みながら、考えた。
「かっこいい名前にしてくれよ。じゃないと契約してやらんぞ」
「……バスタードってどうかしら?」
「バスタード?」
「かっこいいでしょ?」
「バスタードって、まがい物だとか庶子だとかろくでなしだとか、そういう悪い意味の言葉じゃなかったっけ?」
「……うっ、そうだっけ?」
白々しくシエルが誤魔化そうとした。急に口笛を吹きだす。
って、うまいな、口笛。プロの演奏みたいだ。
でも、バスタードか。
「いいぞ、それで。アウトローな感じがして俺好みだ。でも呼び名はタードでいいぞ」
「え? 本当にいいの?」
「あぁ、気に入った。ダンジョンボスとして自己紹介して相手が変な顔をしたら、シエルに名付けてもらったって自慢するからな」
「え、そんなことしたら私の評判が――え?」
シエルは俺の言葉の意味にようやく気付いたようだ。
「なってやるよ、ダンジョンボス。どうせスライムなんだ、他の生き方をしても冒険者に狩られて終わりだろ?」
「ほ、本当にいいの?」
「じゃあやめた」
「契約してくれる気になってうれしいわ! じゃあ、この契約陣にサインをお願い!」
シエルはささっと魔法で地面に文字を書く。
『汝、ダンジョンボスとして生きるなら名を書け』
と文字が光る。
「……偉そうだな」
「そういう決まりなのよ」
「仮の名でもいいのか?」
「いいんじゃない? 召喚されたモンスターって、ほとんどの場合最初は名無しだから召喚したダンジョンフェアリーが名付けるものだし」
そういうものか。
「何で書けばいいんだ?」
「なぞるだけでいいわよ。勝手に光るから」
「そうか……えっと、シエルっと」
「ちょっと、何で私の名前を書いているのよっ!」
俺がシエルの名前を書いたことに気付いた彼女は、俺を押しのけて文字を見た。
俺が書いた文字は一瞬光ったのち、消えてなくなった。
「いや、何か罠じゃないかと思って一応な」
「よかった、何も起きていないわね。言っておくけど、自分の名前を書かないと成立しないわよ――そんなことが許されるのなら強制的に契約とかできるでしょ?」
「やっぱりそうか……じゃあシエル、お前が自分の名前を書いてみろよ」
「なんで私が書かないといけないの!」
「罠じゃないことを証明するために。お前が書いても問題ないだろ? ダンジョンフェアリーはボスモンスターになれないんだよな? なれるのならお前があんなに泣いて、俺に媚びへつらってまでボスモンスターになってくれなんて言うわけないし」
「どうしてそんなに疑ってるのよ」
「俺は性格が悪いから人に恨まれている自信があるんだ」
「悔しいけど、すごく納得したわ」
そして、シエルは徐に床に座り込み、指で名前を書こうとして、息を飲んだ。
指の動きが止まる。
「どうした?」
「大丈夫だとは思うんだけど、ダンジョンフェアリーがこの契約に名前を書いたらどうなるかなんて教科書にも書いていなかったら、どうなるか心配なだけよ……ねぇ、やめない?」
「やめない。というか、前例がないのならむしろやっておけよ。今後の後輩のためにも」
「わ、わかったわよ」
とシエルは震える指で、自分の名前を一文字ずつ確実に書いていった。
結果――
「やっぱり何も起きないか」
俺がシエルの名前を書いた時と同様、文字が消えただけで何も起きない。
「……こ、怖かった」
「じゃあ、俺が書くか」
と触手を伸ばし、すらすらと名前を記入した。
【バス・タード】
すると俺が書いた文字が二回点滅したのち、シエルが書いた契約の文字とともに消えて俺の体に吸い込まれていった。
現在の課題 (クエスト)
・ダンジョンの経営方法について学ぼう
・自分の能力について知ろう