その冥界、脱出困難につき・4
冥界から地上へと、正確には地上と冥界の狭間へと戻る。
クロウリーの奴は簡単な事のように言ったが、そう簡単な物ではない。冥界は死者のいる場所であり、地上は生者の住む場所である。
地上に戻るということは生き返るということと同義である――失敗したら、それは不死生物と呼ばれる魔物へとなってしまう。
スライムの不死生物――スライムゾンビなんてものの存在を僕は知らない。そもそも不死生物とは魔術によって蘇った死者か、怨念によって冥界に行けない者の成れの果てだ。
わざわざ弱い魔物の代表であるスライムを不死生物として蘇らせるような奇特な者はいないし、スライムには本来知能なんていうものはなく、死ぬ時ですら何も考えていないから怨念なんていうものは残りようがない。
つまり、俺がもしも不死生物になったとしたら、史上初のスライムの不死生物ということになる。もっとも、そんなのまっぴらごめんだ。
俺はまだ生きていたい。
生きて、いろんな美女たちの胸を揉みまくりたい。
「シエル、お前もこんなところでくたばるんじゃないぞ――ってもうそれどころじゃないか」
俺の体当たりを受けて泡を吹いて昏倒しているシエルに触手を伸ばして巻き付けた。
と同時に俺を冥界に押し戻そうとする流れが押し寄せてくる。
(これはやばいな)
目も開けていられない――というより目としてついているシールが剥がれそうだ。
死者は生き返らない。そんな当たり前の事を諭してくるかのようだ。
虎の子の火の矢は先ほど使ってしまった。こんなことがあるとわかっていたから使いたくなかったのに。
いや、火の矢を使っても一緒か――たぶんこれはそんな力付くでどうにかなるようなものではない。
太陽を目指した鳥はその翼を焼かれて地面に落ちるように、死者が地上を目指すのは愚行だというのか?
(……悪い。ムラサメ、アドミラ、ミミコ、ペス)
このまま地上に戻れそうにない。
一応、他にも七つ程地上に戻る策はあるけれど、成功率はどれも高くないから、先に――お前等に一番近いこの場所で謝っておくわ。
そして、俺の上へと向かっていく勢いが完全に停止し、あとは落ちていくのみとなったその瞬間だった。
急に激流が停まった。
なんだ、これ?
【こんなところで死んでもらったら困る】
突然、声が聞こえてきた。
これは――この声は聞いたことがある……ような気がする。
【貴様に預けた大事な物を守ってもらうためにも、貴様には生きてもらわないといけない】
俺に預けた? いったい何を?
そんな疑問に声の主は当然答えてくれない。
だが、流れの向こうに何かの姿を見つけた。
あれは――一体あれは誰なんだ?
(どこかで見たことがあるような)
そう思った瞬間、再び流れが俺にぶつかった。しかし、今度は上から下の流れではなく、下から上への流れ。
逆の流れがいけなかった――なんとか持ちこたえていた俺の目のシールが二枚ともとうとう剥がれてしまった。
(うっ、何も見えないっ!)
目を失って視力が失われた俺はそのまま激流に押し上げられた。
結局、さっき一瞬見えかけたのが誰だったのかわからないまま俺は流れに身を任せて上がっていく。
そして――
(抜けたっ!)
体が宙に浮くのを感じた。
しかし、直ぐに落ちていく。
シエルの魔法の効果が切れたのか。
こんな状態で着地できるのか? というか、真下に落ちているからこのままだと冥界に逆戻りだ。
「タードっ!」
「アドミラかっっ!」
アドミラの声が聞こえた。
声がした方は――こっちかっ!
俺は声がした方向に触手を伸ばす。
そして、接着粘液でそれにくっついた。
どこにくっついたのかって?
そんなもん、確かめるまでもない。何回も、何十回も、何百回も触ってきたアドミラの胸に決まっている。
俺の体が落ちていく。
「痛い痛い、タードっ! 胸が引きちぎれる」
状況がわからないが、俺とシエルふたり分の体重がアドミラの右おっぱいに力をかけているということか。
ならば――
「タード、あんたはあたしの胸にしか興味ないのかよっ!」
俺の触手がアドミラの両方のおっぱいにくっついた。
そして、もう一本、アドミラの足元へと触手を伸ばすが、うまく狙いが定まらず、何度も空を切る。
「悪い、アドミラ! 目のシールが剥がれて何も見えていないんだ」
「……タード」
シエルが俺に声を掛けた。
どうやら目を覚ましたようだ。
「タード、目のシールがなくても普通に見えるんじゃなかったの?」
「――あ、そうだった」
俺としたことが、人間だったころの感覚に頼り過ぎたせいで忘れていたが、俺はもともと目がなかったんだった。
スライムとしての視覚の使い方を戻し、触手の先を見上げる。
「そこかっ!」
俺はアドミラの足元の地面へと触手を伸ばした。
そして、アドミラから離れた場所で待機していたムラサメ、ミミコが駆け寄ってきて、俺を引き上げてくれた。
「……タード、私たち助かったのね」
「シエル、まだ油断はできないぞ」
「なんでよ。もう何も――え?」
クロウリーの城があったほうから轟音が聞こえてくる。城が崩壊している――いや、城だけではない、他の建物が、町が、全てが崩れていっている。
「クロウリーが冥界に堕ちたことでダンジョンの崩壊が始まった――ここも直に崩れるぞっ!」
俺はそう言うと、シエルの頭の上に飛び乗り、
「逃げるぞっ! ペスが出口で待っているはずだっ!」
「え、私、さっき謎の衝撃をお腹にうけてまだ意識が」
「死にたくなかったら走れっ!」
泣きそうなシエルの尻を触手で叩き、俺は彼女を走らせた。
「タード様っ!」
「ペスっ! 無事だったかっ!」
出口で待っていたのは傷だらけのペスだった。
やはりクロウリーの奴、スケルトンを配置していたらしい。
大量の骨が落ちている。
「これ、お前が倒したのか?」
「申し訳ありません、途中で聖灰が尽きてしまい――」
「よくやった! ミミコ、笛を吹けっ!」
「うん、わかった♪」
ミミコが笛を取り出して鳴らした。
これでババアが迎えに来たら後は地上に戻るだけ――のはずだったのに。
「ババアはまだかっ!?」
五分、十分待ってもババアが来ない。
もしかして、あのババア、裏切ったのかっ!?
振り返ると――
「ちっ」
先ほどまで俺たちがいた橋が崩れ落ちていた。
それでも、崩壊はまだ止まらない。




